【李登輝講演録】竜馬の「船中八策」と台湾の政治改革

【李登輝講演録】竜馬の「船中八策」と台湾の政治改革―江口克彦社長の提言

                       二〇〇九年九月六日(於高知県)
                          
                                    李登輝

 はしがき
 高知県日華親善協会の稲田覺会長をはじめ、ご来賓の皆様こんにちは!台湾の李登輝です。

 この度、「東京青年会議所六十周年フォーラム」で講演するよう、栂野理事長や幹部の方々から私に依頼がありました。熱心な日本の若き青年の要請に応じて日本に参りました。
 
 目下日本に存在する政治的行き詰まりを打開する方法なきやと、色々考えましたが、結果として、高知県出身の坂本竜馬の「船中八策」から観た現在の日本の政治態勢というテーマにしました。
 
 せっかく、東京で竜馬の話をしたのですから、その故郷である高知県を訪れ、記念館や竜馬の銅像を訪問するのが当然であると考えました。

 本日、実際に高知県に伺うことが出来、このような形で皆様の歓迎を受け、心からうれしく思っております。
 今日は皆様にお目にかかった時、何をお話したらよいかとずっと考えておりました。

 平成九年四月二十九日、私が総統として台湾の民主化と自由化に努力奮闘している時、PHP総合研究所社長の江口克彦社長から、竜馬の「船中八策」に託した激励のお手紙を頂きました。
竜馬の「船中八策」に託しての私への提言は、非常に意義深く、総統である私に大きな勇気を与えてくれるものでありました。江口社長からの総統たる私への提言の内容を今日、高知県の皆様方に伝えることは、非常に意義深いものがあります。

 台湾の政治改革が、竜馬の影響を深く受けていることは長い間明らかにされませんでした。本日この竜馬の生地、高知県の友人に、伝えることを誇りとすると同時に、皆様への感謝の意をここに表する次第であります。

 二、坂本竜馬の「船中八策」に託した江口先生の提言
 江口先生から台湾の総統に対してなされた好意的な「船中八策」に託しての提案を見てまいりましょう。

 第一議 天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出ずべきこと。
 これは倒幕ではなく、「大政奉還」による新政府の樹立を企図したもので、徳川家の将軍位返上によって、平和裡に維新を実現しようとするものでした。
 幕府を「対中統一派」、薩長の倒幕派を「台湾独立派」とすれば、そのいずれでもない朝廷(総統府)に政治権力を糾合して、「普通の民主主義国」になる、すなわち大陸中国のような「党があって政府がある」という一党独裁政治から完全に脱却されることを意味します。
 李総統は昨年三月、すでに中国政治史上初めての民選総統になられました。また近々、憲法改正を行われて、民主政治国・中華民国の実をあげようとされています。ますますこの路線をお進めになられますことを!

 第二議 上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛せしめ。万機よろしく公議に決すべきこと。
 一般に「公議政体」論といわれていますが、将軍による独裁支配
から脱却する方途として、議会政府の振興を説いたのも坂本竜馬の特
徴です。
 李総統は現在、憲法改正によって総統府と「立法院」を強化され、アメリカ型ないしフランス型の民主政治を台湾に実現しようとされていると拝察いたしますが、これは明治維新の経験に照らしても、じつに的確なご方針だと考えます。
 願わくば、議会政治とともに、議会外交をも振興され、アメリカ議会、そして日本の国会とも興隆を盛んにされることを期待します。先日、ギングリッチ米国下院議長が台湾を訪れたことは、その大きな可能性を示唆しております。このとき適切な議員交流の場、たとえば下院議長の立法院での演説等が実現しなかったことは残念ですが、今後またその機会もあるでしょう。また、日本にも、衆参両院議員を結束させた「日華議員懇談会」が先ごろ発足しています。
 議会政治が活性化することは、香港統治を世界注視のなかで行わざるをえない大陸中国とのコントラストを強烈にアピールすることにつながり、台湾の安全保障にとって計り知れないプラスをもたらすはずです。

 第三議 有材の公卿・諸侯および天下の人材を顧問に備え、官爵を賜い、よろしく従来有名無実の官を除くべきこと。
 これは維新なったあとの新政府の障害を、倒幕・佐幕の別なく、能力によって整えるべしとの意味です。
 台湾においては、国民党と民進党、ないし「本省人と外省人」の反目が依然として残っていると伺いますが、総統府の人材登用はその両者の和解を象徴しなければならないことは申すまでもありません。既に李総統は、そのことを念頭に改革の実をあげておられます。
 さらに、このたび有名無実の官、「台湾省」などの凍結を英断されたことは、同じく喜びに耐えません。

 第四議 外国の交際広く公議をとり、新たに至当の規約を立つべきこと。
 当時、日本は開国か攘夷かで国論が二分し、幕府もその両者を朝令暮改するありさまでした。しかしここに坂本のあげた条約改正問題は、維新後も明治政府の重要外交案件として残りつづけ、その解決は後世に託されました。
 その意味で、外交上の問題解決は、拙速を避け、実務的に事実を積み重ねておられる総統の叡智に敬意を表さざるをえません。
 もし「三通」がそれほど重要なことなら、まずアメリカ、および広く世界との通商、通航、通信を第一にされてはいかがでしょうか。日本は残念ながら、はっきりとした外交支援ができる立場にありませんが、日米関係が外交の機軸であり、その意味では「アメリカ次第」です。

 第五議 古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を撰定すべきこと。
 憲法制定のすすめですが、すでに李総統は「憲法改正」を政治日程にのぼらせておられます。第一議から第三議までは、同時に憲法問題でもありますから、改革の実績を踏み固められる意味で、重要なご英断だと思います。あわせて「蒙蔵委員会」の縮小・廃止等で、大陸中国とのコントラストを鮮明にされるご予定とうかがって、喜ばしい限りです。

 
 第六議 海軍よろしく拡張すべきこと。
 大陸中国はいわゆる「近海防衛戦略」を掲げて、空母を保有することを予定するなど、沿岸地域への兵力投入能力をたかめつつあると報道されています。この点、通商路の安全が国民経済の重大な生命線である極東諸国は、誰しも無関心ではおれません。

 第七議 御親兵を置き、帝都を守衛せしむるべきこと。
 御親兵とは、朝廷の直属軍を意味します。当時、幕府と諸藩は軍事力をもっていましたが、「国軍」はありませんでした。
 今日、国土防衛の主力は空軍ですから、李総統がお進めの「F16 150機配備計画」は、まさに御親兵を整えられることと同義でしょう。
 昨年三月の総統選挙中の大陸中国の軍事演習を想起すれば、そのことが極東アジアの安全保障上にもっている意味は、どれだけ高く評価してもしきれないほどです。

 第八議 金銀物価よろしく外国と平均の法を設くるべきこと。
 幕末当時、日本の金銀交換比率は国際社会のスタンダードと大きく異なっており、ために莫大な額の金流出が起こりました。事ほど左様に、国際標準に合致しない商慣行を放置することは、国民経済を疲弊させるもととの認識です。
 今日、米中間は知的所有権の保護等の問題で、最恵国待遇が問題になるほどの係争を展開中ですが、台湾におかれては、大陸に先駆けて商業法制などを世界標準化させる、あるいは米国との標準化を心掛けておられるものと拝察いたします。

 以上、坂本竜馬の「船中八策」に寄せて、私たちの拙い思いをまとめさせていただきました。いささかなりともお役に立ちますれば幸いです。

 三、お手紙の要点
 以上江口先生のお手紙の内容を引用しましたが、この中でいくつかの重点をまとめてみましょう。

(一) 明治維新を動かした憂国の志士は殆ど三〇代の青年達でした。薩摩・長州・土佐の諸藩が後ろ盾でした。坂本竜馬は徳川家幕府の重役である勝海舟を師としてその教えを受けているほど、徳川末期に於ける若者たちが申し合わせたように、政治改革の必要性を感じ取っていたことです。

(二)坂本竜馬が長崎から京に上る船の中で、政治改革を八ヶ条にまとめたことは、その時の青年達が只、血気に事を進めたのでなく、如何によく国勢を了解し、国運を一己の使命として活躍したことです。

(三)江口社長は当時の台湾内外情勢と私の国家主張をかなり了解しており、坂本竜馬の「船中八策」に託して提言なされたことは非常に意義深いものがあります。結論としていえば、(一)日本の若き青年達にとって、竜馬の「船中八策」は、古今中外を問わず、大きな誇りであったこと、そして若き青年達が命を賭しての実践は、万世の歴史に永く残るものでありました。(二)日本だけでなく、台湾に住む我々にも、「船中八策」は、非常に重要な政治改革の方向であったこと。これが私の言う脱古改新、即ち中国的政治文化に対する離脱であったことと共に、私たちにとっても誇りを持って実践に当たる使命感が強化されました。

 四、結論
 政治は常に改革され続けなければなりません。人民の生活が変わり、国際的環境が絶えず変化するからです。台湾は今、最大の政治改革を成し遂げるためには、若い青年たちが志を高く持って行動することです。

 素晴らしい台湾を築くため、若い人々が立ち上がることを、私は心から期待しています。

 また、更に一層、良き台湾と日本の関係を構築するために、台湾の若者たちと日本の友達とが力と心を合わせて下さることを切にお願いし、私の皆さん方へのお話とさせていただきます。

 ご清聴ありがとうございました。


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