【書評】菊池一隆『台湾北部タイヤル族から見た近現代史』

【書評】菊池一隆『台湾北部タイヤル族から見た近現代史』

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より転載

宮崎正弘

「仰げば尊し」の美談に隠れてきた台湾原住民の過酷な運命
  
  清軍と戦い、日本統治に反旗、のち協力。やがて国民党がやってきた

  
菊池一隆『台湾北部タイヤル族から見た近現代史』(集広舎)

 それにしても、いまのような享楽的で刹那的な時代に、こういう地道で真摯な研究書を出版する良心的な書店があるというのは驚きである。

 版元の集広舎は、これまでにも一般読者とはあまり縁のなさそうな分野の、たとえば、文革や南モンゴルの近現代史の研究書を多く出されているが、本書は台湾の少数民族というより原住民の苦難の歴史を綴った珍しい本である。

 なんの偶然だろう、評者(宮崎)が、本書を手にする前夜、来日中の許世楷(元駐日大使)を天ぷらをつつき、酒を飲みつつ、様々な話題を語り合っていたのだが、本書に出てくる国民党の二二八事件以後の「白色テロ」の詳細についても話題が及んでいた。そして、その話が後半に出てくるのだ。

 読み進んでいくと、許世楷氏の名前もでてくる(75p)。氏は『土匪』の反乱を三つの期間にわけて研究されている。

 さて、日本人がおおいに台湾原住民を誤解したのは、下関条約で割譲を受けて以来の公民教育が「うまく行っていた」という神話の類いからだろう。たしかに日本人教師は懸命に台湾の子供達を教えて、貧乏な子には弁当もわけて、家族のように育てた。
 いまから二十年ほど前まで、そのときの台湾の教え子らが来日すると、恩師を呼んで半世紀ぶりの同窓会、謝恩会をほうぼうで執り行い、評者も何回か招かれたが、最後にでてくる歌は「仰げば尊し」と涙だった。

 日本の統治時代、台湾原住民を日本の当局は7種族に区分していた。
 タイヤル族、サイセット族、ブヌン族、ツオウ族、パイワン族、ヤミ族、アミ族。これらを総称して「高砂族」と言っていた。

敗戦後、台湾が唐突に「中華民国」となると、パイワン族を三分化したので、9種族となった。近年の研究の結果、さらに細分化され、たとえば、タイヤル族は、タロコ族、セデック族に分化されたりしたため、台湾原住民は合計16種族となっている。

 著者が注目したのは、このタイヤル族である。
 タイヤル族が滅法戦争に強いことを、当時敵対した日本軍が発見した。
「男は狩猟者、農民であり、同時に「戦士」である。武器は銃(モーゼル銃、村田銃、レミントン銃ほか)、蕃刀、槍などが主であり、特に銃がないと恥とする。男は老人、病人、幼児を除いてすべて戦闘に参加する。女は武器を取って敵と戦うことはしないが、戦闘のための食料準備、負傷者の看護など後方支援にあたる。このように部落全体が一つの軍隊といえる」

 戦闘力は抜群であり、しかし死を軽んじたりはしない。
 日本の統治を悩ました原住民の反乱、襲撃事件は霧社事件が象徴する。そして原住民と融合的となり、統治の末期、日本は原住民から志願兵をつのりフィリピン、ニューギニアへ派遣することになった。

 これが「高砂義勇隊」と呼ばれ、勇猛果敢に戦い、その死亡率は部隊によっては八割にも達した。

 日本の敗戦後、こんどは蒋介石国民党がやってきた。かれらの一部が騙されて、中国大陸に送られ、内戦を戦い、また多くが死んだ。悲劇に満ちた原住民の歴史を淡々と本書はまとめ上げた。

 貴重な研究成果と言える。

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