【書評】淺野和生編著『民進党三十年と蔡英文政権』

【書評】淺野和生編著『民進党三十年と蔡英文政権』

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より転載

淺野和生編著『民進党三十年と蔡英文政権』(展転社)

苦節三十年、台湾本省人の悲願がようやく実りつつある
  
「『中国は一つ』には縛られない」とトランプの爆弾発言まで

 
淺野和生編著『民進党三十年と蔡英文政権』(展転社)

              宮崎正弘

 最初は地下運動だった。創設は秘密メンバーで、戒厳令下に民進党は結党へ向けて密かにスタートした。

蒋介石国民党の独裁時代、野党の存在は許されていなかった。台湾は蒋介石外来政権の体制下、言論の自由は封じ込められていた。

 70年代後半からアメリカの圧力もあって、緊張緩和が進み、このころの台湾は治安もたいそう安定しており、夜中まで飲み屋も開いていた。台湾独特の文化がかたちづくる、台湾版銀座=『酒家』も繁盛していた。驚いたのは街角で「党外雑誌」が売られていたことである。

 国民党を批判した書物がおおっぴらに売られていたのだ。

 表面的に違法だから取り締まりの対象だが、警官も見てみないふりをしていた。書店を覗くと、カーテンで仕切られた奥の部屋には『発禁書』が並んでいた。日本語の書籍も輸入が禁止されていたのに、夥しい日本からの書籍があった。

 これらは評者(宮崎)が直接、台湾で目撃したことで、仕事のため、しょっちゅう台湾へ行っていた時代である。本省人の人々と会うとおおっぴらに蒋経国を批判していた。獄中にあった独立分子も釈放される措置が次々にとられた。
88年に蒋経国が急死し、李登輝が総統代行となる。
 そして1986年9月28日、台北の円山飯店で「民進党」が合法的に結党され、本格的な政治活動が始まる。長い道のり、外国へ亡命していた独立運動の活動家らも、陸続として台湾へ帰った。

 『民主進歩党』という党名を提案したのは謝長挺である(後年、行政院院長=首相、08年の総統候補、現駐日台湾大使(台北経済文化代表処代表))。
 謝は、そのとき『民主的包容、進歩的取向』という理想を表す十文字が念頭にあった。
はじめての民主選挙による総統選挙は1996年だった。
民進党は独立運動のカリスマ膨明敏を擁立し、李登輝に反感をもつ国民党反主流派は林洋港をたてて臨んだ。無所属からも王履安などが立候補したが、結局圧倒的過半で、李登輝が当選した。

李登輝は以後、静かに、しかし決然と国民党の古い体質を変え、蒋介石時代の独裁のシステムを破壊していく。これを李登輝の「千日革命」という。
台湾に本格的な民主化が始まり、2000年には国民党の分裂で「漁夫の利」を得て陳水扁が総統となった。2008年には馬英九に奪回され、しばし民進党は「冬の時代」を送った。

馬英九は外省人であり、急速に北京に近づき、独立路線を消した。
雌伏八年、2016年1月、蔡英文は圧倒的支持を得て、国民党を破り、また議会でも民進党がはじめて多数派となった。

 72年の日華断交以来、民間交流しかなかった日本外交に大きな『変化』が起きた。
 「蔡英文の当選が決まった1月16日夜に、岸田外相が『基本的な価値観を共有し、緊密な経済関係と人的往来を有する重要なパートナーであり、大切な友人』と台湾を評し、『祝意』を表した」(66p)

 しかし絶対安定多数を獲得した民進党であるにもかかわらず「蔡英文は、『改革を支持するすべての人たちと一致団結』するため、民進党で権力を独占せずに、すべての力を結集する政府を目指した」

 謝長挺が提唱した「民主的包容」のキャッチフレーズが蘇った。
 とはいえ蔡英文政権は『一つの中国』に就任演説では言及しなかった。北京の度を超した罵倒がつづき、中台の政治的交流は頓挫したが、それは台湾民衆多数が望むところであり、大陸から台湾への観光客は激減した。

 そして、大変革の波が米国からやってきた。

 トランプ次期大統領は蔡英文の祝賀電話に応じたばかりか、「中国にアメリカは指図されない。『一つの中国』政策には縛られない」と爆弾発言をするに至ったのである。
 過去三十年の動きを、多角的に検証したのが本書である。


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