【寄稿】黄昭堂先生の命日に思う

【寄稿】黄昭堂先生の命日に思う
               台湾独立建国聯盟日本本部 委員長 王 明理 

台湾独立建国聯盟総本部主席で、昭和大学で長く教授を務められた黄昭堂先生が急逝されてから11月17日で四年になる。台湾大学卒業後、東大に留学して、そのまま台湾独立運動を始めたために台湾に帰ること叶わず、長年日本に住んだ黄昭堂氏は、日本でも多くの人に慕われた。1992年に帰台してからは、台湾で独立運動のリーダーとして活躍する一方で、李登輝総統、陳水扁総統のブレーン的存在となった。

思えば、黄先生が亡くなった当時も総統選挙の真っただ中であった。中国政府と国民党が経済界に圧力をかけ、大陸に進出している企業や商売人も台湾人実業家も国民党支持に回るなど、民進党の蔡英文氏の形勢が悪くなっている最中であった。もし黄昭堂主席が存命であったなら、選挙までの二か月間に何か巻き返しの手を打ったであろうと思われる。誰よりも幅広く人脈を持ち、卓越したアイディアの湧いてくる人だったから。
例えば、2004年の総統選挙の際、選挙の三週間前に台湾の北から南まで手を繋いで台湾人の団結を演出したのが黄昭堂主席だった。そのお蔭で陳水扁総統は僅差で再選を果たした。

 しかし、2008年、2012年の選挙で民進党は負けた。私達、台湾独立運動者は、馬英九を選んだ台湾人に呆れ果てた。馬英九は香港(広東省深センという説もある)生まれの中国人であり、ハーバード留学中も国民党の学生スパイとして暗躍したことが知られていた。そんな人間を総統に選んだ台湾人は今まさにその愚かな選択を後悔している。

 この八年間の任期中に馬英九がしたことは、台湾という美味しい魚を中国のテーブルの上に載せたことである。食べやすいように骨を抜いて。

 台湾の資本や技術を中国に差し出し、交通や観光の開放という一見ソフトな手段で、中国人を台湾に流入させた。中国人花嫁は増え続け、彼女たちは短期間で中華民国国籍を取得できるが、アイデンティティは「中国人」である。台湾の産業は日本以上に空洞化している。数え上げればきりがないほど、小さなことが積み重ねられて、実質的に台湾は中国に呑み込まれそうになっている。

 しかし、台湾人は覚醒した。2014年春のひまわり学生運動がそれだ。サービス貿易協定の締結に反対する若者達が政府に抗議するために立ち上がり、それを上の世代や市民たちが応援した。黄主席も天国からあの温かな笑顔で見ていたにちがいない。もうこれ以上、台湾を売り渡すことは許さないという台湾人の意志は強固で、11月の統一地方選挙で国民党は惨敗した。

 さて、来年1月の選挙である。民進党の蔡英文が圧倒的有利であり、立法委員選挙でも、順当にいけば、民進党はじめ反国民党派が過半数を取ると予想される。と、台湾人がのほほんと考えている最中の11月7日、馬英九と習近平がシンガポールで首脳会談を行った。

 馬と習が確認しあったのは、「中国人の利益を協力して守りましょう。台湾人に取られてなるものか。日本やアメリカに手出しはさせないぞ」ということであっただろう。民進党が勝って、台湾人が台湾の政権を担うことを中国人が指を咥えて見ているかどか……。

 日本のメディアは「1949年の中台分断以来の歴史的握手」と他人事のように書いていたが、台湾が中国と一つになれば、日本は反日国家に囲まれ孤立無援の状態になるということを忘れてはならないだろう。

こんな時、黄昭堂先生ならどう分析し、どういう手を打つだろう。黄先生がいない今、台湾人と日本人が、知恵を絞って考えなければならない重要な局面である。なんとか自由と民主主義を大切にする民進党が選挙に勝ち、5月20日の就任式を無事に終えることができれば、その時、私たちはやっと黄昭堂先生の笑顔の遺影に顔向けができる。


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