【寄稿】日本に非あり

【寄稿】日本に非あり

日本台湾医師連合 理事 王 紹英

尖閣諸島の国有化が中国13億人民の感情を「傷つき」、中国各地に野田総理大臣が想定外の反日デモ成らぬ反日テロを起こした。中国人が案の定、自分の暴力行為について謝るところか、すべての暴力行為の責任は日本にありと指弾した。今までと同様、大中華のスタンスを崩さず、中華の思想を堅持している。そこに“俺たちに反するものに非あり”の中華的な美学が煌々と輝いている。その中華的な美学には理性も法も入る余地が残っていない。

その美学のより所は、恐らく13億の中国人民の感情と天下無敵と思いこんでいる武力であろう。中国の武力について、素人の自分が分析したり、コメントしたりするほどの見識は持っていない。しかし、自分より弱い相手には無慈悲に刃を向き、虐殺する決意は固い。その虐殺の事例を一々挙げる暇もない。しかし武力よりも厄介のが、13億中国人民の予測不能で大変不安定の感情ではないか。確かに13億の中国人が一糸乱れずに怒鳴ったり、号泣したりされると感動するところが恐怖を覚えざるを得ない。

中国人は物事気に食わないと、自分の非を省みずに直ぐ13億中国人民の感情が傷つかれたとヒステリックに怒る。なぜ、中国人の感情がそんなに脆いのかはとっても不思議仕方らがない。その一方、中国人は他国の人間の感情は全く頭に入っていない。きっと、他国の人間を禽獣のごとくであり、人間と思っていないでしょう。

蛇足だが、かつて中国人留学生が私を睨まれながら「解放軍の弾を使わず、われわれ13億の中国人が一緒に放尿すれば、台湾人全員が水死するぞ。」と言った。もちろん物理的には不可能だが、その威圧は本気であった。しかし、13億の中国人が一斉にパンツを降ろし、お尻をまる出して放尿する情景を想像すると思わず爆笑したくなった。脱糞よりも放尿をすると言い出した中国人留学生も上品でかつ相当ユーモアセンスの持ち主ではないかと感心した。日本留学の成果であろうか。

今回の反日テロについて中国が、日本企業の略奪も破壊も、邦人の傷害の全責任は日本にありと言い張って、日本は反省すべきだと威張っている。相変わらず、中華思想が丸出している。考えれば考えるほど、ついつい、中国人の言葉を信じて日本は反省しなければいけないと思うようになった。

戦後中国人の反日テロの素地を作ったのは日本人であり、日本人の中国政策の賜物ではないか。不謹慎ながら仏様のお言葉を借りると、自業自得の言うことらしい。

大分前に、ある親台湾と自任した退職高級官僚が「台湾と50年の植民地関係よりも中国との5千年の付き合いのほうが大事だ」と上の目線で放言した。残念ながら、この考えは今でも日本の政界、文化人、財界に漂っている。したがって、5千年付き合っても中華思想について無知であり、中国人の感情を理解できていないことは反省すべきだと言わざるを得ない。

台湾を中国歴史的の「固有領土」に勝手に主張したことも、中国がフィリッピンのミスチーフ島を占拠したことも、尖閣諸島の領有権を主張したこととも、すべて中国が捏造した歴史の事実に基づいて行動している。日本は他人事のごとく前者を容認して黙認した。ところが、一旦匪賊が自分の玄関まで土足のまま上がってきた途端、慌てぶった。中国から見れば、今まで日本は中国の歴史を根拠とした領土主張を理解し、黙認したのに、なぜ今更国際法とか国際法廷を言い出すのかと、不思議に思っているに違いない。中国は匪賊の論理で貫いている、日本が前後不一致でぶれていることは明白だ。

中国人がチベット人、ウイグル人を虐殺し、文化を破壊尽くしても、日本は坐視してきた。千発のミサイルを台湾に睨みをきかせて台湾人を威嚇しても、日本は無視してきた。さらにあかんのは、台湾海峡の緊張を来すかもしれない台湾独立運動を支援するところが、中国の歓心を買うように批判した。中国から見れば、もちろん日本はこの匪賊的な論理を十分理解し、擁護している。中国は日本が自分の歪曲した論理を十分理解しているという結論に到達したに違いない。

今までの日本は、中国の歴史的な理屈を恰も良く友人のように理解し、卑屈な属国のように土下座外交をし、援助交際のように経済的に応援してきた。中国人の匪賊的な行為を容認しながら育ったのは、日本のこのような姿勢ではないかと思わざるを得ない。やはり、日本に非あり、中国政策を大いに反省するべきと言わざるを得ない。


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