【寄稿】こうすれば、台湾は国際社会で承認される国家になる

【寄稿】こうすれば、台湾は国際社会で承認される国家になる
         
          

         アジア安保フォーラム 宗像隆幸

1、外務省はこの重大な歴史偽造を容認するのか

2009年4月28日、台湾の馬英九総統は台北賓館において
、「57年前の今日、中日和約(日華平和条約)はここで調印
された。1945年10月25日に台湾は中華民国に返還され
たが、この中日和約によって台湾の主権は中華民国に返還され
た事が再確認された」と語った。1945年10月25日とい
うのは、日本の安藤利吉・台湾総督が降伏文書に署名した日で
ある。

 5月1日午前、斉藤正樹・交流協会台北事務所代表(事実上
の駐台湾日本大使)は、台湾で行った講演で「サンフランシス
コ条約と日華条約に基づいて、日本は台湾の主権を放棄したの
みで、台湾の地位は未定であり、これは日本政府の立場である
」と語った。これは馬英九が3日前に話した事を否定する発言
だったので、その日の午後、台湾の夏立言・外務次官は斉藤代
表を呼んで、彼の「台湾の地位は未定」という発言に厳重抗議
した。斉藤代表は「これは純然たる個人的見解であり、日本政
府代表としての発言ではない」と弁明して、「この発言を撤回
する」と話したという。その夜、馮寄台・台北駐日経済文化代
表処代表(事実上の駐日台湾大使)は台湾の記者に対して、「
畠中篤・交流協会理事長(斉藤大使の上司)は、斉藤代表の台
湾の地位に関する発言は日本政府の立場を代表するものではな
いと話し、『日本はサンフランシスコ平和条約第2条によって
、台湾に関する全ての権利、権原および請求権を放棄しており
、台湾の法的地位について、独自に認定する立場にない』と書
かれた書面を私に渡した」と話したという。(5月2日『自由時
報』)

 斉藤代表が「日本政府代表としての発言ではない」と弁明し
、さらに畠中理事長がそれを確認したところを見ると、これは
外務省の判断に基づくものと考えられる。これでは、日本政府
が馬英九発言を認めたことにされてしまうであろう。これまで
の日本政府の一貫した立場は、「日本は連合国との平和条約(
サンフランシスコ平和条約)で台湾に対する一切の権利を放棄
したが、台湾の地位は決定されなかったので未定である。台湾
の地位をどうすべきかについては、台湾を放棄した日本には発
言権がない」というものであった。斉藤発言は、日本政府の立
場に少しも反していないではないか。このままでは、大変な事
態を招く事になろう。

 5月5日、中国外務省の馬朝旭スポークスマンは、「台湾の
帰属未定論を持ち出す事は、中国の核心利益への挑戦であり、
中国政府と人民は絶対に受け入れる事が出来ない。日本側に対
して厳正な申し入れを行った」と述べた。中国外務省は、「台
湾の地位未定」を覆して、歴史を偽造する絶好のチャンスと判
断したのであろう。これまでも中国は多くの歴史偽造を行って
きたが、この歴史偽造を許せば、中国による台湾併合を支援す
る事になる。これは台湾だけでなく、日本と米国および東アジ
ア諸国の基本的国益にかかわる重大問題であり、決して放置す
る事は許されない。日本政府は、一日も早く「台湾の地位は未
定である」と言明して、日本の立場を再確認すべきである。

2、日華平和条約は「台湾と澎湖島の地位未定」を確認した

 4月28日の馬英九発言の第1の問題点は、「台湾の日本代
表が台北で降伏文書に署名した日に、台湾は中華民国に返還さ
れた」という主張である。降伏は一種の休戦協定であり、法的
には平和条約によって戦争は終結される。休戦協定によって、
領土主権の変更が行われる事はあり得ない。2番目の問題点は
、馬英九総統が「中日和約によって、台湾の主権は中華民国に
返還された事が再確認された」と語ったことである。彼が「中
日和約」と呼んだ「日本国と中華民国との間の平和条約」(略
称=日華平和条約)は、1952年4月28日に台北市で署名
され、同年8月5日に発効した。この日華平和条約は、「日本
国との平和条約」に基づいて締結されたのである。

 「日本国との平和条約」は、1951年9月8日にサンフラ
ンシスコにおいて、第2次世界大戦で日本と戦った連合国(the
Allied Powers)
のうちの48か国と日本国の間で締結され、1952年4月28
日に発効した。このサンフランシスコ平和条約で、「日本国は
台湾および澎湖諸島に対する全ての権利、権原および請求権を
放棄する」(第2条B項)「日本国は、新南群島および西沙群
島に対する全ての権利、権原および請求権を放棄する」(第2
条F項)と定められたが、日本が放棄したこれらの領土がどの
国に帰属するかは一切規定されなかった。その帰属が決定され
るまで、これらの領土の地位が未定なのは当然である。

 中華人民共和国と中華民国はサンフランシスコ平和条約会議
に招かれなかったので、日本はどちらと平和条約を結ぶべきか
という問題に直面した。当時、日本は米国の占領下におかれて
いたが、米国は朝鮮戦争で中華人民共和国と戦っていたので、
日本に対して中華民国と平和条約を結ぶ事を強く要求した。そ
こで日本は中華民国と交渉したが、中華民国は台湾と澎湖島の
領有権を認めよと主張した。しかし、日本は放棄した領土に対
する一切の権利を失っていたので、中華民国の要求を受け入れ
る事は不可能だった。結局、日華平和条約第2条は、サンフラ
ンシスコ平和条約第2条に基づいて、日本国は「台湾および澎
湖諸島、並びに新南群島および西沙群島に対する全ての権利、
権原および請求権を放棄した事が承認される」と規定された。
これはサンフランシスコ平和条約で決定された事を再確認した
ものにすぎず、日本が放棄したこれらの領土を中華民国に譲渡
したものではない。なお、この日華平和条約は、「中華民国政
府の支配下に現にあり、また今後入る全ての領域に適用される
」事が、日本国政府と中華民国政府の交換公文によって確認さ
れている。

3、台湾人民の多数意志を確認すれば、
国際社会は台湾を主権独立国家として承認する

 1945年9月2日、日本国と日本軍の代表は、東京湾の米
海軍戦艦上で、連合国に対する降伏文書に署名した。同日、マ
ッカーサー連合国最高司令官は、この降伏文書に従って、「一
般命令第1号」を発令した。この命令によって、アジア各地に
駐在していた日本軍は、降伏すべき相手を指定されたのである
。例えば、日本国本土や北緯38度以南の朝鮮、フィリピン等
の日本軍は、合衆国太平洋陸軍部隊最高司令官への降伏を命じ
られた。連合国最高司令官としてのマッカーサーは、これらの
日本軍に米太平洋陸軍部隊最高司令官である自分への降伏を命
じたのである。満州、北緯38度以北の朝鮮と樺太および千島
諸島の日本軍は、ソビエト極東軍最高司令官への降伏を命じら
れた。満州を除く支那、台湾および北緯16度以北のフランス
領インドシナに駐在していた日本軍は、蒋介石総帥への降伏を
命じられている。日本軍はこの一般命令第1号によって指定さ
れた相手に降伏したが、日本や南朝鮮などが米国の領土になっ
たのでもなければ、満州や北朝鮮などがソ連の領土になったの
でもない。中華民国の領土であった支那は別として、台湾と北
部インドシナが中華民国の領土になったのでない事は明白であ
ろう。

 日本国が連合国との平和条約で放棄した領土の地位は連合国
が決定すべきである、というのが日本政府の一貫した立場であ
るが、平和条約が発効した時点で連合国は解消したと見るべき
であろう。現実問題としても、60年以上も前に日本と戦った
連合国が、それら
の領土の地位を決定できるとは考えられない。サンフランシス
コ平和条約が締結された後
に、国際法として確立された「人民自決権」に従って、台湾な
どの地位は決定されるべき
であろう。

 国連憲章(Charter of The United Nations)にも人民
自決の原則を尊重すべきで
あると書かれているが、原則を述べただけで、その内容は規定
されていない。
1960年に国連総会が決議した「植民地独立付与宣言」は、第2
項「自決権」で「全ての人
民は自決の権利を有し、この権利によって、その政治的地位を
自由に決定し、その経済的、
社会的および文化的発展を自由に追求する」と、自決権の内容
を規定した。2,300万
人もの人口を有する台湾(澎湖島を含む)は、かつての日本の
植民地であり、しかも地位
が未定なのだから、人民自決権が適用される十分な資格がある

 1966年に国連総会が決議した「国際人権規約」は、第1条「
人民の自決の権利」に「植民
地独立付与宣言」の「自決権」をそっくり採用する事によって
、人民の自決権がもっとも
基本的な人権である事を確認した。この人民自決の原則によっ
て、台湾人民だけが台湾の
地位を決定する権利を持っている事は明白である。
 台湾人民が、国際社会で認められる公平な手段によって、「
台湾はわれわれ台湾人民の
領土であり、台湾人民の国家の領土である」事を表明すれば、
人権と国際法を無視する国
家でない限り、この台湾人民の意志を受け入れるであろう。人
民の意志は人民投票によって
確認されるのが一般的であるが、馬英九政権が人民投票を認め
るとは思えない。そうであれ
ば、署名運動によって人民の意志を確認しても良いのである。2004
年2月28日、約220万の
台湾人民が「統一」に反対する意志を表明するために人間の鎖
を作った。一定の時間に、
一定の場所に、台湾人民の10%が集まったのである。時間と場
所を制約されない署名運動
なら、台湾人民の圧倒的多数意志を実証するだけの署名を集め
る事も可能であろう。
台湾は小さな国のように思われているが、決して小国ではな
い。台湾の人口は2,300万
人で191の国連加盟国の42番目ぐらいに相当する。面積は36,000
平方キロメートルで、ベル
ギーより広く、2008年の一人当たりの国内総生産(GDP)は17,500
米ドルで、経済的には
先進国である。これだけの国家が、世界でただ1国、国際社会
から排除されている方が不正
常なのである。

4、国際連合も「台湾の地位未定」を確認した

 台湾人民は総統(大統領)と立法委員(国会議員)を直接選
挙で選出しており、台湾が
台湾人民を主権者とする独立国家である事は否定できない事実
である。しかし、台湾は現在
も蒋介石占領政権によって強制された中国の憲法である中華民
国憲法を使用し、中華民国を
国名にしている。この状態を変えない限り、国際社会が台湾を
主権独立国家として承認でき
ない事は、国連憲章を見れば明白であろう。

 国連憲章第23条に、中華民国は5か国ある安全保障理事会常
任理事国の中の1国であると
明記されており、中華人民共和国の国名は国連憲章のどこにも
書かれていない。しかし、
中華民国のかわりに中華人民共和国が安保理常任理事国の地位
を占めているのは、中華民
国は主権独立国家としての資格を失い、その権利は中華人民共
和国に継承されたからである。

 1971年に国連総会が決議した第2758号決議案には、「中華人
民共和国の代表が、国際連合
における中国の唯一の合法的代表であり、蒋介石の代表を国際
連合および全ての国際連合関
係機関から即刻追放する」と書かれている。「中華民国を追放
する」ではなく「蒋介石の代
表を追放する」と書かれているのは、中華民国はすでに主権独
立国家としての資格を失って
いるという判断に基づくものである。

 主権独立国家には、一定の領土とそこに住む人民、この領土
と人民を統治する政府の存在、
この3条件が必要だ。しかし、台湾の地位は未定だから、国際
法で認められた領土を持って
いない中華民国は、主権独立国家としての資格がない、と国連
は第2758号決議案を決議した
時点で判断したのである。台湾で中華民国と称しているのは、
蒋介石を領袖とする亡命集団
に過ぎないという意味なのだ。この亡命集団は「中華民国の領
土には中華人民共和国の全領
土が含まれる」と主張していたのだから、中華人民共和国にと
っては叛乱団体という事になる。
台湾は中華人民共和国の領土ではないが、主権独立国家として
中華人民共和国は叛乱団体を
鎮圧する権利を持っているのだ。だからこそ、中華人民共和国
が「国連憲章に書かれている
中華民国の国名を中華人民共和国に変更する事」を要求すれば
、国連はそれをすぐに受け入
れるであろうが、中華人民共和国はこの変更を要求しないので
ある。

 中華人民共和国は台湾を自国の領土であると主張しているが
、中華人民共和国の指導者
たちが台湾の地位は未定である事を知らない筈はない。国連総
会が決議した第2758号決議案
はアルバニア決議案と呼ばれたが、実際にこの決議案を起草し
たのは中華人民共和国の周恩
来総理だったからである。朝鮮戦争以来、アメリカは中華人民
共和国を敵視して、「中国封
じ込め政策」をとってきた。中華人民共和国が安保理常任理事
国として国連に加盟する事を
阻止するために、アメリカは中国の領土の一片すら支配してい
ない蒋介石政権が安保理常任
理事国の地位を守る事を支援してきたのである。しかし、ニク
ソン米大統領は中華人民共和
国との関係を改善する政策に転換した。そのためニクソン大統
領は、大統領特別補佐官の
ヘンリー・キッシンジャーを中国に派遣した。

 キッシンジャーは、1971年の7月と10月に訪中して、周恩来
と機密会談を14回行っている。
この機密会談録は2001年に機密を解除されたが、1971年10月21
日に行われた第7回会談で周
恩来は、「この決議案の下では、台湾の地位に関する条項を挿
入することは不可能ですし、
もし、これが通れば、台湾の地位は未定という事になります」
と語っている。それは周恩来
が書いたアルバニア決議案の事であるのは明らかなのに、キッ
シンジャーは「アルバニア決
議案でもですか?」と聞いているが、周恩来は「そのような危
険性があります。もちろん、
アルバニア決議案を支持する国々は、このような側面について
考えた事はないでしょう」と
答えている。(玉里和子・増田弘監訳『周恩来、キッシンジャ
ー機密会談録』岩波書店刊、P.159)

周恩来が「この決議案の下では、台湾の地位に関する条項を
挿入することは不可能」と言
ったのは、もし「台湾は中華人民共和国の領土である」という
条項を挿入すれば、台湾の帰
属問題が討論される事になり、それまでは中華人民共和国と中
華民国のどちらかが中国を代
表すべきかという事しか念頭になかった各国の国連代表たちが
、「台湾の地位は未定である」
ことに気づくからである。また、アルバニア決議案に「中華民
国を国連から追放する」と書
けば、国連加盟国の除名には安全保障理事会の勧告が必要であ
り(国連憲章第6条)、中華民
国を一加盟国として国連に残すつもりであったアメリカが、安
保理で拒否権を用いるだけで、
アルバニア決議案は否決されるからだ。周恩来は中華民国を国
連から追放するために、やむ
なく「台湾の地位未定」を利用したが、その事に気づかれるの
を恐れたのである。米国務省
はこの会談の半年前にも「台湾の地位は未定である」と米国の
見解を述べていたので、周恩
来は第1回会談以来、「台湾の地位未定」を公言せぬよう強く
アメリカに要求し、キッシン
ジャーはそれを受け入れていた。周恩来とキッシンジャーの第
7回会談が行われた4日後の
10月25日、国連総会はアルバニア決議案を決議したが、周恩来
が予想したように、殆どの国
の国連代表たちはこの決議案に「台湾の地位未定」が含まれて
いる事に気づかず、この問題
を提起した国連代表はいなかった。しかし、少数ではあっても
「台湾の地位未定」を知って
いる国があった筈である。台湾の地位が未定である事をよく認
識している日本も、アメリカ
に要求されたのか、沈黙を守った。「台湾の地位未定」を知っ
ていた他の国々も、アメリカ
や中国に口止めされたり、政治的な関係から、この問題を提起
しなかったのであろう。いず
れにせよ、「台湾の地位未定」が含まれたアルバニア決議案は
、国連総会で決議されたので
あり、国連が「台湾の地位未定」を確認した事に変わりはない

5、米国と日本は、中国が東アジアの支配者になる事を支援す
るのか?

 中華民国が国連から追放された後も、蒋介石・蒋経国父子の
独裁政権は、中国大陸は
中華民国の領土であると主張し、この領土を奪回するという目
標を放棄せず、中国共産党
と中国国民党の内戦が継続しているという立場を変えなかった
。1988年に蒋経国総統が死
去し、副総統だった李登輝が総統を継承した。初めての台湾人
総統となった李登輝は、
1991年に「内戦の終結」を宣言し、台湾の民主化を推進して、
国民は直接選挙で、1992年
に立法委員を、1996年には総統を選出した。民主的な国民の選
挙で選ばれた初めての総統
となった李登輝は、1999年に「(中華民国と中華人民共和国の
関係は)国家と国家、少なくと
も特殊な国家と国家の関係である」と語った。台湾人民が主権
者として総統も立法委員も
選出している事を根拠として、中華民国は台湾の国家であり、
中国の国家とは別の国家で
あると言明したのである。しかし、中国の憲法である中華民国
憲法を使用していたので、
台湾の法的な位置づけは曖昧であった。李登輝総統は、もとも
と中国の政党である中国国
民党の主席でもあり、党内に蒋政権と共に中国から渡ってきた
有力者達を抱えている事も
あって、台湾憲法の制定には至らなかったのである。李登輝総
統が引退を表明した後の
2000年の総統選挙では、台湾人の政党である民主進歩党の陳水
扁が当選した。陳水扁総統
は「台湾と中国は、それぞれ一つの国家である」と言明して、
台湾憲法の制定を目指した。

台湾憲法の制定は、台湾の法的民主化のためにも必要であった
。民主主義の基本原則は、
国民が直接に制定した法か、国民が選出した代表達によって制
定された法に従う事だから、
中国憲法を使用している限り、台湾は法的には民主国家と言え
ないからである。しかし、

民主進歩党は立法院で過半数を制した事が一度もなく、中国国
民党は民進党の政策にこと
ごとく反対した。蒋政権と共に中国から台湾に来た人達とその
子孫は、台湾人口の約13%
にすぎず、国民党でも台湾人が多数を占めているのだが、李登
輝総統と共に民主化を推進
した人々は国民党を追われ、少数にすぎない「統一派」が国民
党の実権を掌握した。
このような状況で、民進党は台湾憲法の制定を実現する事が出
来なかったのである。

 2008年の総統選挙では、中国国民党の馬英九が当選した。彼
は幼いとき両親に連れられ
て台湾に来た香港出身者であり、中国人意識の強い人物である
が、選挙運動中は「自分は
台湾人である」と繰り返し強調し、自分が総統に当選しても、
「中国との統一政策は絶対
に推進しない」と公約した。しかし、総統に就任した馬英九は
、「中国は一つであり、台
湾はその一部である」と言明して、急速に中国との統一政策を
推進している。彼は「自分
の主張は中華民国憲法に基づくものであり、一つの中国とは中
華民国の事である」と説明
しているが、これは中国の台湾に対する武力行使を正当化する
ものだ。また国際的には、
「一つの中国」と言えば、世界の人々が中華人民共和国の事で
あると思うのは当然である。

 中国は「武力を行使しても台湾を統一する」と台湾人民を威
嚇する一方で、経済政策や
さまざまな手段を用いて、台湾の平和統一政策を推進している
。台湾全土で「統一政策」
に反対する大衆運動が展開されているが、馬英九政権は中国の
力を背景に、反対運動を弾
圧しながら、着実に「統一政策」を推進している。それに反し
て、台湾の独立と民主主義
を守るための台湾人民の大衆運動は、アメリカや日本から「台
湾の独立は支持しない」
などと圧力をかけられて、孤立感にさいなまれているのが現状
である。

 中国は1992年に制定した領海法で、一方的に南シナ海と東シ
ナ海の大部分を自国の領海
と定めた。もし、中国が台湾を支配下においたら、日本と東南
アジア諸国の生命線である
南シナ海を通るシーレーンも中国が支配する事になる。そうな
ると、中国は東アジアの覇
権を握る事になり、東アジアにおける力の均衡は崩壊してしま
う。「ハワイ以西を支配下
におき、太平洋を米国と二分する」という中国の目標が、現実
化するのである。アメリカ
も日本も、自国の基本的国益に反する対台湾政策をとり続けて
いるのだ。

米国と日本は、その事に気づいて、台湾に対する冷淡な政策
を転換し、「台湾の地位未定」を言明して、台湾人民の人民
自決を積極的に支援すべきである。 

2009年5月13日