【宗像隆幸】米国、中国との冷戦に突入(3−4章)

米国、中国との冷戦に突入(3−4章)

国名を台湾共和国に改めて台湾が国際社会の承認を得る絶好機到来
2011年 6月  宗像隆幸

http://www.wufi.org.tw/jpninit.html

  3、台湾の国際的孤立は、世界最大の異常事態

台湾はいかなる外国にも支配されていない独立国家であるにもかかわらず、台湾はすでに40年間も国際社会で孤立している。国際社会で主権独立国家として認められている国は193か国あるが、これらの国々は相互に国交を結んで条約を締結したり、主権独立国家であることを加盟資格とする種々の国際組織にも加盟している。自ら加盟を希望していないローマ教皇のバチカン市国を除く192か国は、国際連合にも加盟している。台湾だけが外国と条約を締結できず、重要な国際組織にも加盟できず、国際社会から疎外されているのは、現代世界で最も異常な事態であろう。この異常事態を正常化しようとする動きが、国際社会にも台湾にもないのは、この異常事態があまりにも長く続いたために、それを異常と感じなくなっているからであろう。

 台湾は決して小国ではない。台湾の面積は36,000平方キロメートルで世界134位であるが、面積の少ない32か国の総面積よりも広い。台湾の人口は約2,300万人で、オーストラリアやルーマニアより多く、世界48位であるが、人口の少ない49か国の人口総計にほぼ等しい。2010年の台湾の国内総生産(GDP)は約4、300億米ドルで、デンマークやアルゼンチンより多く、スウェーデンに次いで世界21位であり、台湾は経済先進国である。

 台湾以外に国際社会で主権独立国家として承認されていない国としてパレスチナが存在する。1996年にパレスチナ暫定自治政府が成立、ヨルダン川西岸とガザ地区を合わせた領土面積は約6,000平方キロメートル、人口は約390万人、GDPは約30億米ドルである。台湾と較べると、領土は6分の1、人口も6分の1、GDPは140分の1だ。このパレスチナでさえ、数年以内に国連加盟が実現すると見られているのに、台湾の国連加盟は見通しさえ立っていない。

   台湾が国際社会で孤立しているために、アジア・太平洋、ひいては世界の平和が脅かされているのだ。中国が武力を行使しても台湾を「統一する」と主張しているからである。台湾が世界の他の国々と同じように、国際社会の平等な一員として認められたら、台湾を武力で攻撃することは侵略行為であることが明白になり、中国が台湾を攻撃することは困難になるであろう。そうなれば、台湾防衛に協力している米国の立場も、今よりずっと楽になるはずだ。台湾の国際的孤立という異常事態を正常化することは、台湾だけでなく、世界のために必要なのである。

 台湾の国際社会への参加を実現するには、どうしてこのような異常事態が生じたのかを知る事が必要であろう。そのためには、第2次世界の終結にまでさかのぼらなくてはならない。

   4、蒋介石による占領から台湾の不運が始まった
 
1945年に第2次世界大戦が終結し、敗北した国々は全ての植民地を放棄させられた。間もなく、世界的に人民自決の気運が高まって、戦勝国も植民地を放棄せざるを得なくなり、アジア、アフリカ、太平洋などで旧植民地は続々と独立した。

 しかし、日本の植民地であった台湾は、蒋介石を総司令官とする中国国民党軍に占領されたことによって、世界的な独立の気運から取り残されてしまった。台湾と同じように日本の植民地であった朝鮮半島は、米国が南部を占領し、ソビエト連邦が北部を占領したが、1948年に南部は大韓民国として、北部は朝鮮民主主義人民共和国として独立した。

 1945年9月2日、日本の降伏文書が日本と連合国の代表によって調印されると、マッカーサー連合国最高司令官はただちに1般命令第1号を発令し、日本本土と日本の植民地および占領地の日本軍に対して、それぞれ降伏すべき相手を指定した。台湾の日本軍は降伏相手として蒋介石総司令官を指定されたので、中国国民党軍が台湾を占領したのである。

マッカーサーはトルーマン米大統領の指令に従ってこの命令を発したのであるが、トルーマンがこう指令した原因はカイロ宣言にある。カイロ宣言と呼ばれているは、1943年11月にローズベルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中華民国総統の3人がエジプトのカイロで会議を行った後に発表された声明であり、これは報道陣用のニュース・リリースに過ぎず、条約でも協定でもなく、3人の署名もない。カイロ宣言には「満州、台湾および澎湖島のような日本国が清国人から盗取した全ての地域を中華民国に返還する」と書かれており、ポツダム宣言には「カイロ宣言の条項は履行されるべきである」と書かれている。ローズベルトがこのような条項をカイロ宣言に加えたのは、日本軍によって中国の奥地にまで追いつめられていた蒋介石を激励するためであった。しかし、台湾は米国の領土ではなかったから、米国の大統領に台湾を譲渡する権利はない。ポツダム宣言は日本に対する降伏勧告であり、戦争に伴う領土変更は平和条約によって行われるのが原則だから、平和条約による裏付けがない限り、降伏勧告によって領土変更を行なうことはできない。

 1951年、日本と戦った連合国の大多数を占める48か国が、サンフランシスコで日本と平和条約を締結した。日本と合併する以前は独立国であった朝鮮半島は、1948年に独立しているが、この平和条約で「日本国は朝鮮の独立を承認する」として追認された。台湾と澎湖島は日本がサンフランシスコ平和条約で放棄したが、その帰属については何も規定がないので、台湾と澎湖島の国際法上の地位は未定なのである。1952年に日本が蒋介石政権の中華民国と日華平和条約を結んだ時、蒋介石は「台湾と澎湖島が中華民国の領土になったことを認めよ」と執拗に要求したが、日本は「放棄した領土について日本はいかなる権利も持っていない」と主張した結果、サンフランシスコ平和条約での決定を追認するだけに終わった。蒋介石も、台湾と澎湖島の国際法上の地位は未定であることを認めたのである。

 台湾を占領した蒋政権は、日本国と日本人が台湾に所有していた全ての土地と企業、殆どの個人財産も没収した。これらの厖大な資産の多くは、中華民国と中国国民党の資産にされた。これによって中華民国の資産は急増し、中国国民党は世界一の金持ち政党になった。台湾を占領した国民党の有力者たちが私有財産にしてしまった旧日本資産も少なくなかった。中国では内戦でも敵地を占領した将兵が略奪を行なうのは慣習化されていたから、台湾でも略奪が行なわれ、被害を被った台湾人も少なくなかった。

 米軍の中にもこのような惨状を予想して、「台湾を蒋政権の管理下におけば、搾取されるだけだから、台湾は国際管理下におくべきである」という意見書を提出した人物がいた。日本との戦争が始まって間もなく、米軍は台湾を占領することによって南方に展開している日本軍を孤立させる戦略を立てた。米軍は占領後の台湾を統治するために、台湾調査班を設置した。その責任者に任命されたのは、日本で研究活動を行った後に、台湾の高等学校で教師をした経験があるジョージ・カー(George H.Kerr)であった。

カーは蒋政権に台湾を管理させるべきではない理由として、2項目をあげた。�中国には台湾のように発達した複雑な経済社会を管理できる行政官や技術者が存在しない。�「中国の呪い」と言われている宋子文一族、孔祥熙一族、蒋介石一族を初め、中国軍部と国民党幹部によって、台湾は思う存分利用され搾取される危険が非常に大きい。

 マッカーサー連合国最高司令官の意見がローズベルト大統領に認められたことによって、米軍は台湾ではなく、フィリピンを攻撃して占領した。日本との戦争が始まって間もなく、日本軍はフィリピンを攻撃したが、フィリピン駐在米軍の司令官だったマッカーサーは部下を残して潜水艦でオーストラリアに逃亡した。この時の屈辱を晴らすために、マッカーサーはフィリピンに固執したのであろう。フィリピンを占領した米軍は、台湾を飛ばして沖縄を占領した。もし、当初の予定通り、米軍が台湾を占領していたら、その後の台湾の歴史は大きく変わったことであろう。

 ジョージ・カーは、戦後すぐ台湾に駐在したので、台湾を占領した蒋政権による搾取や略奪、2・28事件の大虐殺などを目撃した。台湾の惨状は、彼が予想した以上であった。

   ジョージ・カーは、これらの経験を中心に書いた『FORMOSA BETRAYED』を1965年に発行した。この本は蕭成美氏による日本語訳が、2006年に『裏切られた台湾』として東京の同時代社から出版されている。

 1949年、中国共産党との戦いに敗れた蒋政権は、台湾に戒厳令を敷いて、台湾へ逃げた。蒋政権は、政権に対して批判的と思われる台湾人を逮捕して、一方的な軍事裁判で厳罰に処した。台湾人は、このような恐怖政治を「白色テロ」と呼んだ。この「テロ」というのは恐怖政治のことであるが、「白色」を付したのは、中国共産党の「赤色テロ」に対する極右政権のテロという意味だとか、深夜に「政治犯」を逮捕に来る憲兵が白いヘルメットをかぶっていたからだと言われている。戒厳令は、蒋経国が死ぬ半年前の1987年7月まで38年間も続いたのである。

   (続く)