【傳田晴久の台湾通信】国家の品格を取り戻そう

【傳田晴久の台湾通信】国家の品格を取り戻そう 

◆はじめに

 今回の台湾通信は高雄市で発生したガス爆発事故の報道を見ていて、台湾の評論家王美琇さ
んの「国家の品格」論を思い出しましたので、それを紹介したいと思います。

 「品格」については色々な方が色々なことを述べておられますね。藤原正彦氏の『国家の品
格』、三浦朱門氏の『老年の品格』、渡部昇一氏の『日本人の本能』の中に「品格とは何か」、そ
うそう昔大相撲の小錦関の横綱昇進を巡って「品格」が問題になったことがありました。

 今回の爆発事故を巡る人々の言動は「品格」を考えさせられます、そして……。

◆高雄ガス爆発事故

 8月1日午前0時頃、高雄市の目抜き通りで大爆発事故、死者31名、負傷者309名という大惨事が発
生したことは、日本でも大きく報道されたと聞いています。この朝、私はテレビのニュースを見て
おらず、昼頃新聞を買って、初めて知りました。慌ててテレビを見ましたが、いったい何が起こっ
たのか、よく解りませんでした。

 その後の経緯を見ても、いったいなぜ目抜き通りの地下に石油化学の原料輸送パイプが埋設され
ていたのか、事故発生前、ガスの漏えいに気づいていたらしい、関係企業(榮化、華運、中油な
ど)、関係諸官庁が責任逃れの発言をしている。中央政府も危機管理がなっていないと批判されて
いる。現地を訪れた総統は爆発事故の救済とは全く関係のないサービス貿易についてスピーチした
とか。

 一方、台湾の多くの人々がいち早く義捐金の拠出を始めている。事故発生から3日も経たないの
にその金額は30億元(100億円)を超えたと報道されている。もちろん日本各地の友好団体、都
市、個人も募金を開始したという。

 ここで昨年(2013年)11月に自由時報紙に掲載された「国家の品格」という評論(王美琇
作)を思い出したのです。

◆王美琇女史の評論「国家の品格」

 女史の主張は、国家が世界の人々に尊敬されるかどうかは国家が持つ底力であって、国の大小は
関係ない。その底力は国民の総体に基づき、それは生産力であり、創造力であるが、なかんずく国
民の品格が最も重要である。国家の品格は「国魂」、「国の霊魂」であるが、台湾のそれは現在急
速に崩壊しつつあり、台湾最大の危機である。

 国のトップ階層、司法関係者、企業経営者など、本来範を示すべき人々が、嘘をつき、詭弁を弄
し、誤りを断固認めず、責任を負わない、捕まってもいささかも悔いることなく羞恥心もない。

 これらは昨年話題になった貪官汚吏(汚職役人のこと)、食品安全問題(食用油表示偽装)を指
しているのであろう。そして、女史は他人の行いを見て、己を反省すべしとして日本の例を挙げて
いる。

 一つは2004年、養鶏場経営者が鳥インフルエンザ発生を保健所に報告しなかったことを問われ、
老夫婦は責任を取って自らの命を絶って詫びた。もう一つは2006年、上海駐在の外交官が中国の
「美人計」(美人局)にはめられ、外交機密文書を強要されたとき、国家を裏切ることはできない
として、飛び降り自殺した。彼は死を以って最後の尊厳を守り、恥辱に耐えた。

 さらに311東日本大震災の被災者が暴動を起こさず、罵り喚くことも無く、全ての人々が整然と
長蛇の列を作り静かに救済を待っていた。国難の時にこそ国民の品格が表される。

 女史は『国家の品格』(藤原正彦著)を引用し、日本の国魂は家族愛、郷土愛、祖国愛、人類愛
と言った「情緒」と判断行動基準となっている武士道精神という「形」であると述べている。武士
道精神は誠実、自制、忍耐、正義、勇気と惻隠の情などを含み、さらに名誉と恥の意識が生命の価
値に重なる。日本人にはこれらの武士道精神が長期間にわたって道徳の核心として形作られてい
る。

 国民の品格が国家の命運に深い影響を与えたからこそ、日本は明治維新を成し遂げ、20数年にし
て日本の経済現代化に成功し、大戦後も全国民が一致協力し、廃墟の中から30年にして世界第2位
の経済大国となすことができた。これが「国魂」の力というものである。

 女史は日本が完全無欠であるというつもりはない。完璧な民族などあるはずがない。反省能力を
持つ民族のみが進歩を持続させることができるのである、と述べている。

 昨今の台湾と中国を振り返ってみると、両国人は権威主義的な政党(中国国民党と中国共産党)
の下に半世紀以上にわたって統治され、汚染されているので、国民の品格は劣悪な状態を呈してい
る。上にいる者は貪官汚吏、権力を振りかざして私腹を肥やす、下にいる者は目先の利しか考えて
いない。中国語の諺で言う「上梁不正下梁歪」(上に立つ人が正しくなければ下の者も悪くなる)
そのものである。

 女史は最後に、「台湾は正に『創造的破壊』の段階にあり、もし我々台湾人が台湾を変え、未来
を取り戻そうというならば、全ての人々が、メディアも公務員も、知識分子も、公民もすべて、不
正を暴き、批判する者にならなければならない。『水滴石穿』(雨だれ石を穿つ)の行動で、創造
的破壊をすすめ、このような卑劣な行為を暴露し、国や民を誤らせる悪徳商人や政治屋や売国奴ど
もを逃すことなく、彼等を一挙に歴史のゴミの山とすることによってはじめて台湾は生まれ変わら
せることが可能となる」と述べている。

◆「太陽花扎根基層」(太陽花は末端層に根を張る)

 そして2014年8月24日の「自由時報」紙に次のような記事が出ていた。タイトルは「『動かそ
う、政治を!』 ひまわりは根を張る。若者たちは村里長選挙に打って出る」という特集記事であ
る。これはもちろん今年の春、立法院を占拠した「318太陽花學運」(ひまわり学生運動)および
反核などの大型公民運動を受けての特集である。

 あと3か月もしないうちに台湾では「九合一選挙」、すなわち地方統一選挙が行われ、11,130人
の「地方公職」(首長、地方議会議員など)が選ばれます。11月29日に市長選挙、地方議会議員選
挙、村長里長選挙など9種類の選挙が同一日(9合1)に行われます。

 特集記事は冒頭に、「318運動の後、多くの若者たちは公民の力を政治参加に転化して初めて台
湾の現在置かれている状態を改変させることができると認識し、現在公民団体、学生運動団体、政
党などを組織化し、約200人を超える若者と素人が末端層の選挙に参入し、政治文化を転換するた
めの準備に取り組んでいる」と伝えている。

 台湾の選挙は大別すると「中央公職人員」(総統・副総統、立法委員)選挙と「地方公職人員」
(市長、地方議会議員、民代表、村里長)選挙の2種類があり、末端層の選挙というのは台湾の最
も小さい行政単位である「村」や「里」の首長を選ぶ選挙で、約7,850人が選ばれる。

 ひまわり學運が3〜4月にかけて立法院を占拠し、撤収するとき、彼らは今後地方の隅々にひまわ
りの種を蒔くと宣言していたが、その活動の表れが、この末端層選挙への参画であろう。

 特集記事には、若者が首長選挙に打って出ることについて、冷ややかな意見も述べられている。
ある里長は「学生運動をやるのと選挙は違うよ」と笑い、「まぁ、早い時期に末端選挙のむつかし
さを知るのは良いことだ」と言う。また、ある里長経験者は「若い人たちは、どぶ板政治(註1)
や冠婚葬祭で駆けずり回ることを低級であると言って排斥するが、里長はもともと里で起こるもろ
もろの出来事に関心を持つ必要がある。冠婚葬祭を通して人々の問題を理解するのである」と。

 確かに日本でも「どぶ板選挙」(註2)が行われており、選挙民が政治家に「何か」を期待して
いるようである。

◆おわりに

 渡部昇一氏は著作『日本人の本能』の中の「品格とは何か」の章で品格は「自助」努力から生ま
れ、国家としての品格は「先祖の偉大さを受け継ぎ、先祖が遂げた光栄を永続させようという風土
が出来上がった時に高まる」としている。「自助」の精神がなければならない。

 台湾の人々が他人を思いやり、被災者に献金し、困っている人を見ると手を差し伸べるという素
晴らしい徳性を持っておられる。

 確かに過去の選挙では政治屋は金をばらまき、汚い手(奥歩)を繰り出し、有権者は「何か」を
期待して投票行動を起こしたかもしれない。今、若い人々が古い体質に浸っている基層を変えるこ
とから始め、台湾の「創造的破壊」に取り組もうとしている。私は大いに期待したい。

註1:「どぶ板政治」:(どぶ板のあるような細い路地にも気を配ることから)庶民の暮らしに密
   着した政治。地域住民の声に耳を傾ける政治。(デジタル大辞典・小学館)

註2:「どぶ板選挙」:(どぶ板のあるような細い路地を一軒ずつ訪ねて回ることから)選挙区を
   こまめに回り、有権者の一人一人に訴えかける選挙運動。(同上)

『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html


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