【遥かなり台湾】私と台湾

【遥かなり台湾】私と台湾

    メルマガ「遥かなり台湾」より転載

私と台湾

                                   重松 均

はじめに
私が「台湾」という言葉を意識したのは、小学校の時に東洋の鉄人と称えられた十種競技の『楊傳廣』さんです。
台湾には凄い人がいると思ったことを覚えています。その後は中学校に入った頃は色気も出てきて『ジュディ・
オング(翁倩玉)』さんに憧れを抱き、『テレサ・テン(?麗君)』さんの歌声に癒され、『金美齢』さんの歯
に衣着せぬ歯切れのよい論説に共感し、『李登輝』さんの話には感動しました。
 さて、私は子供の頃から中国の歴史小説が大好きで三国誌や水滸伝及び史記などを読んで四字熟語の語源を探し
出すのが得意でした。でも私が読んだのはすべて日本の作家が書いたものでした。1972年に日中国交回復で、大陸
の様々な情報がもたらされ歴史物語が映画やテレビドラマで数多く放映され、大好きだった三国誌の内容が微妙に
違うことに気が付き、いったい中国語ではどういう風に書かれているのか調べたくなり、中国語に興味を持つよう
になりました。しかし、所詮独学では分かろうはずもなくすぐに壁にぶつかり、定年退職を機会に本格的に中国語
に取り込もうと決意し、家の近くにある大学に社会人大学生として申込み、審査に合格し外国語学科中国語専攻の
大学生になりました。
 さて、そんな私を台湾へいざなう事件が発生しました。若い時台湾で小学校の教師として勤務していた叔母が亡
くなりその遺品を整理していたら台湾の教師時代に撮影した古いアルバムが出てきて、中を見たら叔母とその教え
子たちの写真があり、当時の学校の状景がありありと残されていました。これは燃やしてはいけない、写真は当時
を物語る貴重な資料なので是非台湾に届けなくてはいけないと思いました。
大学での台湾への留学申請もすんなり受理され、希望通り台南の長栄大学への交換留学生となり1年間の留学が決定
しました。留学の目的はもちろん中国語のレベルアップですが、そのほかに個人的には、叔母のアルバムを当時勤
務した学校に届けることと、テレサ・テンさんのお墓に花を手向けることにしていました。

期待と不安を胸に抱いて2015年9月7日に桃園国際空港に降り立ち、入国手続きを終え到着ロビーについた時に、
長栄大学の学生がわざわざ桃園まで出迎えに来てくれていました。私にとっては台湾の人たちの心温まる配慮の
始まりでした。初めての台湾、初めての新幹線、目に入るものすべてが新鮮でした。普通の大学生は学園内の寮
で生活するわけですが、私は大学側の助言もあり近くの学生専用のアパートを借りました。ここの大家さん夫婦は
とても親切な方で、他の店子とは別にお茶や食事に招待してくれたり、近くの観光地に車で連れて行ってくれたり、
とにかく面倒見のいい方で、私には片言の日本語とあまり流ちょうではない北京語で話しかけてくれました。台南の
食べ物にもすぐになれて、留学生活は戸惑いながらも周囲の方々の支援を得て順調にスタートしました。

1 交換留学生の授業
日本で学んだ中国語は簡体字の普通話でした。台湾は台湾語があり漢字も繁体字だと分かっていたので日本大学
中国語の先生に台湾で中国語を勉強するのに問題はないのか尋ねたところ、問題はありません台湾の人は大陸のど
こよりもきれいな北京語を話します。繁体字も日本の漢字に近いので日本人なら分かりやすいはずですという返事
だった。実際授業が始まる前には、私達交換留学生は中国語の能力によって基礎班と進達班にクラス分けが行われ
ました。先生と一対一で会話してそのレベルでクラスを分けるのです。私は日本での学習の成果もあって進達組に
入りました。授業は会話と読解の2科目が週二回ありました。会話のテキストは簡体字を使っていたのでわりと楽
に入り込めましたが読解の方は、ニュースの記事や歌の歌詞の翻訳だったので、とても難しかったです。というの
も私の中国語のレベルでは日本で使用したテキスト一冊分の語彙しか理解していなかったからです。短縮した表現
や、成語を多用したニュースなどはいったいどの文字のところで区分けして、辞書を引いたらいいのかさえもわか
らない状況でした。台湾のニュースの中には「凸槌」とか「放馬過來」のように辞書に出てこないものがたくさん
ありました。私は日本にいた時は中国語の勉強を兼ねて中国のテレビドラマをよく見ていました。一番好きだった
のは金庸さんの時代劇です。長栄大学の講義の中に「金庸の武侠世界」という科目があったので受講しました。幸
い金庸の作品はDVDで見ており、あらすじが分かっていたので、教授の講義の中から理解できた単語をつなぎ合
わせて、こういうことを言っているんだろうなと想像しながら講義を受けていました。しかしながら金庸さんの作
品の中には、あれほど奥深い中国の歴史と文化が表現されていたとは夢にも思いませんでした。日本へ帰ったら改
めて見直そうと思っています。講義の最後には当然試験があるのですが、幸い私の想像が当たっていたようでわか
らないまま想像で答えたのが当たっていたようで、無事試験をパスして単位を得ることができました。多分教授の
大サービスだと思います。

2 台湾の歴史
台湾歴史という講義がありせっかく台湾にきたのだから台湾の歴史ぐらいはちゃんと勉強して帰らないといけない
と考えました。私が台湾の歴史でもっとも知っている出来事は鄭成功の話です。これも日本では国姓爺合戦という
本で読んだからです。でも本当にこんな人がいたのだろうかと半信半疑だったのが偽らざる気持ちでした。衝撃を
受けたのが戦後の台湾の出来事でした。私が学習した日本の近代歴史教育は明治維新から昭和初期まででそれ以降
は習ってなかったので、台湾のことが全く理解できていませんでした。この授業は全編英語で実施されましたが、
教授は日本人でしたので、時々私のために日本語も織り交ぜてくれました。この講義を受けて私を含む戦後世代の
日本人は生粋の台湾人の方のことを全く理解していないことを思い知らされました。日本人はこれまでに外来政権
に支配されたことがないので、台湾人の方の思いが理解できていない。台湾に住んでいる人はみんな台湾人だと、
中にはみんな中国人だと思い込んでいるものがほとんどです。かつては日本にとって敵将だった蒋介石でさえ恩人
だと思っている人もいます。これが戦後の日本の歴史教育の教えないという実態の一部なのです。まして、日本が
撤退した後に台湾で何が起きたのかなどは知る由もありません。報道で長い間戒厳令が敷かれていたことは知って
いましたがなぜ戒厳令が敷かれていたのかについての真実は分からず台湾の大陸への併合を願う輩の暗躍を取り締
まるためだろうと思っていました。日清戦争以降に台湾が日本に割譲され、日本が西洋と肩を並べる国家に成りあ
がろうと台湾を植民地化し台湾の人たちを強要した身勝手な行為は国家として許されるものではありません。しかし、
日本も台湾の統治に日本のためとはいえ、英知をつぎ込んで全力で取り組んでいたのも事実でこれを台湾の近代化の
端緒として理解をしていただいている方々がおられることに安堵の感を覚える自分がいます。しかし、それがゆえに
勃発した悲劇228事件があることも知りました。祖国復帰を夢見たみなさんの思いがかき消された。さらには中国
共産党軍に敗北した蒋介石が中国国民党軍を率いて台湾に乗り込み台湾人の方にとっては宝の島が暗黒の島になった
と私は理解しました。台湾人の方々は言葉さえむしり取られ黙り込むしか生きる道はなかったのでしょう。そんな中
で働き者の台湾人の方は世界一流の経済大国まで成長させたのですよね。そしてついに台湾人の李登輝さんが政治の
舞台に登場し、見せかけの民主主義が徐々に本来の目に見える形で成長し、今年の選挙で台湾人の真骨頂があらわさ
れたと感じました。

さいごに
今の台湾は日本で言うと明治維新と同じではないでしょうか。皆さんの力が政府を変えたのです。明治維新がそうだ
ったように当時の若者が身を賭して改革に挑んだようにその覚悟無くして大成はかないません。台湾はすでに一つの
国家の体制を整えています。これと中華思想を掲げる中国に飲み込まれてはいけません。いまでも日本と台湾は運命
共同体と思っております。さて、帰国するにあたり留学の目的でもあった古いアルバムに写っていた学校は、現在の
学校名:高雄市美濃区吉洋国民学校と判明し6月の初めに校長先生に手渡しすることができました。学校は3年後に創
立100周年を迎えるそうで、古い写真がなかったので大変喜んでいただきました。また、台北からずいぶん遠くに
あるテレサ・テンさんの記念公園に行って花も手向けることができました。初めて台湾に来て、皆様方とお近づきが
できたという大きな成果を得て帰国することができます。私の眼には台湾の日本語世代の方々に自分の両親のことが
重なり合って写っています。これは私と台湾の新しいスタートでもあります。
大学卒業までは、まだあと1年以上あります。卒業論文の作成はこれからです。機会を見つけて台湾に何度でも来よ

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