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【レポート】戦後台湾の負の歴史を知った研修

【レポート】戦後台湾の負の歴史を知った研修

日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載

     杉本 拓朗(日本李登輝友の会青年部長)

 
 去る4月19日から23日にかけて第19回日本李登輝学校台湾研修団(略称:李登輝学校研修
団、辻井正房団長、前田清文副団長)が開かれました。今回は総勢35名の参加です。

 今回の野外研修は、緑島(旧「火焼島」)と景美人権博物館という戦後台湾を語る上で
避けては通ることができない、負の歴史を知る研修でした。現在の台湾に至るまでどれだ
けの悲劇と苦難があったのかを知り、自由と人権の重みを知った内容でした。

◆第1日・4月19日

 初日は台東の娜路彎(なるわん)ホテルに宿泊するため、国内線が飛び立つ台北市の松
山空港で合流し、台東空港へ。ホテル集合組も無事に合流、夕食会へ。

 辻井団長・前田副団長の挨拶の後、辻井団長の発声で乾杯。アルコールの力と料理の力
で、一同だんだんと打ち解けて話が盛り上がり、台湾への思いを話のネタに盛り上がりま
した。

◆第2日・4月20日

 2日目は緑島へ船で渡り、バスで緑島人権文化園区に移動。蔡焜燦先生実弟の蔡焜霖(さ
い・こんりん)先生はじめ、王文清(おう・ぶんせい)先生、陳孟和(ちん・もうわ)先
生などが出迎えられ、早速、施設で緑島と収容所の歴史のビデオ、各先生方の来歴などを
伺いました。

 驚くべきことに、先生方は全て無実の罪でこの島に送り込まれ、長期間収容されていた
受難者です。王先生に至っては、勤め先で中国語を教えていた教師が共産党員だったとい
うことだけで逮捕され、懲役15年の判決を受けて収容されたそうです。無実・無関係な人
間であっても逮捕し、一方的な裁判で刑務所に送って殺める白色テロ・独裁政権の恐ろし
さ。この恐怖の中で台湾人は過ごしてきたわけです。

 昼食後、使われていた刑務所(緑島新生訓導處)にご案内いただく。その塀には「光復
大陸國土」、門には「忠愛」の文字。無実の台湾人に恐怖と価値観を押し付けた痕跡が未
だに生々しく残っています。訓導處の中には、刑務所周辺とその生活を再現した、40平方
メートル以上はあろうかと思われる巨大かつ精巧なジオラマがあり、これを組み立てられ
た陳孟和先生に、実際の生活を教えていただきました。

 受難者たちは、食料生産や、畑を潮風から守るために風避け作りなどの重労働に従事さ
せられ、唯物論や毛沢東を批判し三民主義を学ぶなどの「洗脳教育」を受け、抵抗したり
獄吏にとって気に食わない者は、酷暑の中、海の近くにあるコンクリート製の建物に水も
食料も与えられず閉じ込められ、命を落とした人もいたそうです。

 当初、島民は交流することを恐れていたそうですが、大学教授や作家、医学博士など多
くの知識人が勉強を教えたり治療を施すなどで、島民も交流するようになったそうです。

 刑務所を出て人権紀念碑がある公園に行きました。ここには受難者の名前と収容時期が
記載されています。3回も収容された人や、著名な政治家の名前もありました。

 そこで蔡焜霖先生に「絶望的な中で何が心の支えだったんですか?」と伺うと「故郷の
家族への思いと、周りに立派な大人が多かったから年下の私を助けてくれた。みんなで日
本の童謡を歌ったんだ」とのこと。収容者がたくさんいるところには獄吏も迂闊には入れ
なかったそうで、そのため、みんなで童謡を歌ったり日本語を使っていたそうです。

 自由がない緑島で自由に日本語が使え、戒厳令下とはいえ自由なはずの外の世界で日本
語が自由に使えないとは何と皮肉なことでしょう。

◆第3日・4月21日

 緑島から台東へ引き返し、台東で昼食後に台北へ移動、景美人権文化園区を訪問しまし
た。ここは警備総司令部の「景美看守處」として政治犯を収容した監獄で、実際に収監さ
れていた郭振純(かく・しんじゅん)先生がメイン講師を務め、引き続き緑島の三先生も
参加しました。

 郭先生のお話のあと「仁愛楼」と呼ばれる施設へ。この中に、政治犯を収容する監獄、
面会室、警備室、売店、録音室などがあり、この施設は建物だけでなく、実際に使われて
いた拷問器具もあり、非常に生々しく、胸が苦しくなる思いでした。

 今回の野外研修で講師を務めてくださった先生方はみな受難者でしたが、その思いを日
本人である私たちも受け止め、語り継ぐ必要があるのではないかと強く思わされました。

◆第4日・4月22日

 この日から始まる座学のため、淡水の李登輝基金会へ移動し、王燕軍秘書長から歓迎の
挨拶をいただきました。

 第1講は羅福全(ら・ふくぜん)先生(台湾安保協会理事長)の講義で、中国の領土覇権
主義の問題が台湾だけではなく、アジア全体の問題とする安全保障と国際情勢に関する内
容でした。

 中国は石油を年間1億トン消費し、石油をマラッカ海峡を通じて輸入していることから、
マラッカ海峡や周辺国に基地を作り、基地による「真珠の首飾り」を形成しつつあるそう
です。また、東南アジア諸国は南沙諸島などで中国との領土問題を抱えているため、台湾
はアメリカや日本・アジアと連携して対応してゆくことになり、台湾は孤立していないと
明言されました。

 第2講は許世楷(きょ・せいかい)先生(元台北駐日経済文化代表処代表)の講義で、日
本と台湾の関係に関してです。

 東日本大震災の時、台湾は200億円の義援金や様々な支援を行ってきており、交流協会の
世論調査でも台湾人の好きな国の一番が日本で41%となっていて、親日は台湾にとって外
交資源と指摘。また、東日本大震災追悼式典への台湾の正式出席を石破幹事長に交渉して
出席できるようになり、中国は抗議の意味で欠席しましたが、これも外交上の駆け引きで
あり、親日が外交資源となった一例だそうです。

 日台間には共通の関係があり、そこには親日という基礎と、その上に安全保障と自由・
人権などの価値観を共有していると指摘。また、親日は台湾国内においては対中傾斜に対
する警告になると話されました。

 第3講は、台湾の国際法上の地位に関して李明峻(り・めいしゅん)先生(台湾安保協会
秘書長)からの講義です。

 まず、国際法で考えられる領土取得に関して、オランダや鄭成功の事例を用いて説明さ
れました。台湾の国際法上の地位を「カイロ宣言」の当事者であるアメリカやイギリスは
法的地位未定と明言し、日本も台湾を法的地位は未定と明言していることを紹介。

 また尖閣諸島の領有権に関しても、国際法上、日本に領有権があると言及され、それに
関連する台湾問題を論じることは東アジア情勢を論じることになると締めの言葉で終了し
ました。

 第4講は、陳南天(ちん・なんてん)先生(台湾独立建国聯盟主席)による台湾関係法と
台米関係に関する講義です。

 台湾関係法がないと、東アジアのシーレーン上を中国の潜水艦が自由に動くようにな
り、東アジアの生命線が危機に見舞われるため、同法は日米関係だけではなく、台湾と日
本・ベトナム・フィリピン・インドなど周辺諸国に関係する法律であると述べ、台湾問題
とは国際問題であると説明されました。

◆最終日・4月23日

 最終日、9時15分からの第5講は蔡焜燦(さい・こんさん)先生(李登輝民主協会理事
長)による、ご本人曰く「放談トーク」。

 愛日家を自称する先生ですが、その昔、友人に「俺は親日でも愛日でもない懐日だ!」
と上手いことを言われたエピソードを紹介。また、さまざまな日本語グループがあること
を紹介しつつ「君が代も旗も知ってる認知症」というある台湾人の川柳を紹介されまし
た。認知症になっても、日本のことだけは知っているという台湾人の日本への思いです。
また「台湾人は日本人に対して阿ったりしません。いいことはいい、悪いことは悪いとい
います。これが親日・愛日・懐日のもう一つの顔です」と、台湾人の思いを開陳していた
だきました。

 そして最後は、李登輝元総統の特別講義です。李登輝先生は、若いころから禅や人の嫌
がることをやって自分に打ち克つことを考え、生と死について深く考えて来られたそうで
すが、戦後は唯物論に転向したものの虚しさを覚え、信仰に行き着かれたそうです。

 副総統・総統に就任するときも悩んだそうで、牧師と話し、台湾人のために働こうと決
意し、民主化に着手されたそうです。しかし、台湾の民主化は並大抵ではなく、大政奉還
と同じく軍を人民の軍隊にし、総統職も直接選挙にして民主化を進められたそうです。

 私は私(わたくし)ではない私。つまり、私は台湾のためにある私であるという意味と
解説され、これに至ったのも自我を超越し、日本的な教育を受けてきたおかげであり、こ
れこそ伝統的な日本精神であると強調されました。

 「『ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞをヽしき人もかくあれ』という御製を残さ
れた昭和天皇も自我を超越しておられたから、マッカーサーも感激した。この御製をもっ
て皆さんへ送る言葉とさせていただきます」と締められて全日程が無事終了しました。

 李登輝先生をはじめご講義いただいた先生方、李登輝基金会の皆様、今回もお世話にな
りました。真多謝!

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