_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

日本は下り坂か       平成二十四年二月下旬    塚本三郎

こんな日本に誰がした
    毎日のテレビNHKニュースは、先ず、凶悪犯罪の発生及び、その行動と始末を、こと細かに興味深く報道し、凶悪犯罪が常態化していることを強く印象付けている。

最近の日本社会は、経済の低迷、教育の無責任な自由と放任、その上、金融、拝金思想の不正と、偽善がまかり通っている。その原因が無責任な与野党の政治に起因する。

日本社会は物の豊かさを生んだけれど、逆に心の貧しさと、道徳心を軽視した教育で、国民を育ててしまった。政界の混迷が、その事実を物語っている。
    交通事故の災害は、例外なく死者を伴い、その悲惨な事故現場の姿を連日のテレビは生々しく放映して見せる。マイカー全盛の日本人社会にとっては、他人事ではない。
 車が狂気、否、凶器であるから、決して自分には起こらないとは言い切れない。
 続いて火災に伴う焼死者の続出である、老人夫婦の焼死体は、判別出来ない程の悲惨さと思う。戦後の建築資材に毒性が多いこと、それが失火と共に逃げ遅れの原因なのか。
    昨年三月十一日の東日本大震災の復興は進んでいても、福島の原子力発電所のメルトダウン以後の、放射能の汚染報道が、伝えられない日は無い。放射能汚染に対する、汚染度の害に対しては、その真相は全く伝えられないまま、危険のみを煽り立てている。
 日々の報道の目的が、「原子力発電反対」の宣伝としか受け取れない程の量である。
    三年前の総選挙で、自民党は大敗して、政権を民主党に譲らざるを得なかったのは。
 (イ)保守合同の最大目標である「憲法改正」を宣言しながら実行を怠った。
 (ロ)東京裁判の非道な復讐劇、及び歴史認識の不正を、放置して正さなかった。
 (ハ) 教育勅語の放棄を議決した誤りを正し、その精神復帰の責任を果たさなかった。

右三点を改める、保守党としての責任を負いながら、長年の政権担当者として、国家目標の本務を怠った、保守政権、自由民主党の「賞味期限切れ」の敗北であった。
    民主党は政権交代を果たしたが、選挙時のマニフェストは、一年を経ずして不可能となったと気付いても全く反省せず、鳩山、菅両首相の無責任極まる卑劣な発言と行動で、三代目の野田首相と代らざるを得なくなった。
 自民党の堕落した政治を、民主党の力で変えることを国民は願ったが、失望した。
    野田首相は、政権交代時に民主党が公約した「マニフェストを殆んど放棄」した。
 その上、政策の相当部分を、自民党の政権時の政策を、そのまま踏襲しつつある。
 即ち官僚行政そのままの政策を発言して通常国会に臨んだ、これを「自民党への抱き付きの政治」と評されている。選挙時の政党としての「公約無視」でよいのか。
 その上、選挙のとき公約しなかった政策や、反国家的、反社会的政策を放言しつつある。

 例えば、米軍基地反対、親中国的北京詣で、外交、防衛の軽視、外国人参政権付与、夫婦別姓等。加えて日教組の歪められた、国家無視の、自由放任の教育及び社会的風潮の増大、それ等によって、経済的不況と、混乱に輪を掛けた日本社会を現出しつつある。

 国民の大半は選挙時の公約無視を怒り、速やかに衆議院の解散を求めている。解散すれば民主党の大半の議員は失格すると予想しているから、民主党は逃げまくる。国家よりも、自分の党が大切。政権与党としての重要案件さえも、決定出来ず先延ばしをしている。

円高は、不公平競争
 アメリカのドル及び中国の元が、異常な増発を行なって通貨安を招いている。同じ位置で日本と経済競争をする為には、同じスタートに並ぶ必要がある。
 日本は、米・中双方とは異なったスタートに並んでいるから競争にならない。
 今日の円高は、三者が、良く似た商売を行なっているのに、日本円のみが、特別に高く値を付けなければならないのでは、自由競争ではない。
 日本の経済力が強く、信用力が高いからこそ、円が自然に押し上げられたものであるから文句を云う筋合いではない。ならば、円高を利用して、外国から物資、商品、資源、株式等を購入することは、極めて優位な立場であるから、それを大いに活用する必要がある。
 資金に余裕の有る個人や会社は、ひそかに、この円高を大いに活用しつつあると信ずる。
 だが、日本は貿易立国である。反対の立場に立ってみれば、資源を購入するよりも、製品を製造し、加工し、販売する輸出の金額と量は、輸入するのと比べて、恐らく五倍以上のなりはしないか。
 リーマン・ショックの影響が、日本の貿易を行なっている業界に暗い影を投げかけて、既に三年を経過している。その結果、貿易中心の会社で、下請の仕事を行なっている中小、零細企業の破産、倒産、そして失業者の増大は、回復する見通しさえ立っていない。
 世に云う、デフレ・スパイラル。それは、政府の財政の危機をも増大せしめている。
 日本は純債権国だから破綻しないと信じられて来たが、本年は赤字国に転落したと報道された。日本の貿易黒字が、ついに瓦解した。
 原因は円高と東日本大震災の一時的なものと言い切れるのか、このまま大胆な施策を打たなければ更に赤字は急拡大する。
 世界では、既に日本が「債務国」とみられている。実際、輸出の主であった「家電及び自動車の各社」は、軒並み大赤字で、人員削減を発表している今日此の頃ではないか。
 野田首相は、長い野党暮らしで、経済政策や、財政政策に対しては、全くの素人同然である。従って三年前の総選挙で約束したマニフェストとは全く反対の、旧自民党政権時代の政策に、寄り添う以外に無い。
 その施策は、増税に頼っての財政の健全化が主であり、景気回復は二の次となり、かつ支持母体労組の、社会保障の看板に頼るのみで、財政はより悪くなるのみだ。
 勿論、消費税の増税は、日本の財政悪化の折、避けて通れない道である。しかし、不況の真っ盛りに、更に増税の追い討ちを発表することは、下の下の策ではないか。
 それよりも、先に公約した行政改革として、公務員の給与二〇%の削減及び、議員報酬にかかわる諸経費の削除と云う「身を切る公約」を先に行うべきである。
 公務員の給与が民間企業の従業員と比べて、不公平に高い。而も税収の極端な不足だ。
 民主党は議員の定数削減を云い出しているが、定数削減以上に大切なことは、行政には、余分の制度が多すぎる。「国家行政のコブ」と見られる。無駄と言うよりも、無いほうが良い部分、各省庁の地方出先機関を、先ず整理し統合すべきである。
 民主党政権最後の首相と評される野田首相は、選挙時の公約とは全く反対の政策ばかりで、やること、為すこと、すべて「大衆迎合政治」の一語に尽きる。
 出来もしない在りきたりのお題目を、言い訳として並べ立てて居る。

政府は日本の根本を正せ
 既に、十年前の平成十三年末、「金融政策決定会合」の議事録によると、当時の政府は、不況脱出のため、「インフレ目標」不況克服の導入を日銀に強く求めていた。
 当時、ITバブルの崩壊で、日本経済が後退局面に入った時期であった。
 それに対して、日銀の速水総裁は「内外の市場関係者に混乱を与え、日本経済にプラスにならない」と不快感を示し、「(インフレ目標が)特効薬のような論調もあるが、金融システムの機能不全といった構造問題や、需要不足など、日本経済が抱える根源的な問題を抜きにして、物価目標だけを取り上げて論ずるのは生産的ではない」と指摘して反対した。
 インフレ目標導入論は、政府と日銀との間の溝は今日に至るも、更に広がる一方で、日銀は現在も、導入に消極的姿勢をとり続けている。
 日銀は、日本の支配者ではない。政府の指示の下に在るはずではないか。今日の経済不況による社会的混乱は、日本の独立をも脅かす「国家全体の危機」である。
 失業者の増大から防衛力の低下の危機に在って、単なる物価の上下ではない。
 日銀総裁は、常にインフレを恐れている。敗戦前後の、超インフレの恐怖を、今日なお引きずっているからではないか。
 日銀総裁は、今日に至ってもなお需要がないのにと、眼前のデフレ防止に乗り出さない。
 十年前から需要を減らし削り続けたのが、日銀の下請で無能な政府ではなかったか。
 民間企業に需要が少ないからこそ不況である。
 ならば、削り続けた「公共事業」や、「防衛費」は誰が削ったのか。政府自らがデフレを招いたと反省すべきだ。政府が財務省と日銀の手先の如く無力であったからではないか。
 不況を克服する最大のキメテは、「公共事業の発注」で国家そのものが需要を造ることであることは、ケインズ経済の基本である。
 理由の無い抵抗と弁解に、翻弄され続ける民主党政権は、財務省や、日銀の下請から脱却しなければならない。政権が役人に抑えられていては、民主政治ではない。
 物価は大切である。しかし、日本経済のデフレ克服には「国家の存亡」がかかっている。
 まして防衛力の弱体化は、日本国家の安全そのものに直結している。
 政治主導を唱った民主党政権は、今こそ日本国家の根本的危機に目覚めよ。
 このまま失業し、遊び続けても、楽に暮らして行けると思う社会保障即ち、万全の日本社会が永続することは不可能である。そのツケが若い世代に残すことは眼に見えている。
 まじめに働くことが、人間の天命であり、本能として育った日本人の、優れた資質が失われつつある。加えて、自主独立の要である防衛力を、敗戦当時の占領軍であった米国に委ねたまま、被保護国として、若干の改善をされたまま既に七十年になる。
 かつて、全アジアを開放した大東亜共栄圏は夢ではなかった。アセアン諸国は、すべて、日本の大和魂を信じ感謝している。日本国は、平成の世代をもって、「本来の姿は終わりました」で済むのか、そんなみじめな歴史を残しては、昭和の時代は汚れたままになる。
 今年こそ、下り坂の日本を喰い止め、反転攻勢に転ずる年だ。富国強兵を叫ぼう。
 今更、野田首相の云う小手先の枝葉末節の施策では、国が危い。
 国会議員の諸経費の整理と削除、公務員の二〇%減員を前提に、公共事業の発注、国防力整備増強、等、まず大胆に、百兆円を「政府紙幣」として注ぐべく、政府は大胆に踏み出せ、円高を是正する絶好の機会だ、それが出来なければ、国家はドン底に落ちる。
 増税だけで財政再建をした国は一つもない。昭和恐慌でも、高橋是清が、赤字国債発行による(政府紙幣)によって公共投資を実行し、世界に先駆けてデフレ不況から脱出した。


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