_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

混迷の年を迎える        平成二十四年正月   塚本三郎

「一年の計は元旦に在り」とか「初志貫徹」と伝えられる日本的標語は、先祖様の生き抜いた歴史の教訓である。人生は心の持ち方がすべての基であると、自問自答している。

 元旦に計を立てるとすれば、先に来るであろう今年一年の内外の諸情勢を検討し、分析を重ねた上での判断が必要である。では経済と政治について考える。

   平成二十四年の世界の経済情勢は、果たして回復に転ずるのか、或いは更に二番底と呼ぶ、更に危険が控えているのか。諸情勢を分析すると、良かれ悪しかれ、日本の政治と経済は、まず米国の動向に左右されることは避けられない。

現在の米国は必死に足掻いているし、底知れない力を蓄えているから、大きくは望めないが、二番底の心配はなかろう。

経済的に注目を要するのは、中国人民の政権に対する不満と騒動の行方である。

無理を重ねた、景気の下支えの土木工事(道路、住宅等)が、政府資金の限界となり、大きなインフレを招いており、 新年中に大破綻を来たすとの識者の論が少なくない。

  BRICs各国発展のスピードも、年末には既に期待したよりも鈍化してきた。

それと共に、欧州の立ち直りが、期待できるのかが最大の関心事である。

    世界の政治状況は、経済の破綻が、民衆の不満の根源となり、北アフリカのジャスミン革命から、中東へと飛び火した民衆の蜂起は、静かなる革命として、各国の全体主義政権の足下を揺り動かしている。

   とりわけ、力で権力を維持しているとみる、中国及びロシアの独裁政治は、自国の不安定が、そのまま中近東と連動して来ることを、政権崩壊の危機だと恐れている。

   ロシアでさえも、人民のデモが頻発して、プーチン政権を脅かしている。

民衆の不満の捌け口の在る民主政治の、アメリカでさえも、全国各地にデモが続発して、オバマ政権を揺さぶり続けているではないか。

 表面的には静かに見える世界の政治状況も、一つ誤れば、中国も、ロシアも、そしてアメリカまで、中東から欧州へ、大政変が、地下で不気味に胎動している。

政治の世界は「一寸先は闇」と称されている。

 北朝鮮の独裁者、金正日総書記が死亡したと、突然十九日の平壌放送は報じた。その影響は、北朝鮮自体は勿論、周辺の各国も、少なからず緊張を伴う対応を迫られている。

 少人数の弱小国家であっても、金正日氏は、独裁権力をもって「核」で周辺国を恫喝し続けて来た。日本にとっては、拉致問題と呼ぶ、許されざる非人道的手段をも悪用して、今日なお解決の目途がつけられていない。

釈迦に提婆、日本と中国

 新しい年について、日本に対しては、唯一の目立った紛争の種は中国政権である。

 中国は国際法の多くに遵守を約し、調印しながら、その公的約束を守ろうとはしない。このことは、中国人の悪しき習性と云えば言い過ぎか。

 日本にとっても、日清、日露の両戦争、そして満州事変、日支事変から、大東亜戦争に至る、すべては、中国が紛争の火種となっている。それが為に日本をして、好むと好まざるとに拘らず、「富国強兵」にならざるを得なかった。それこそ天の啓示であり、中国の不法、無作法な、国際的倫理無視の所業であった。

 中国とは、日本にとって例えて述べれば「釈迦に提婆」ではないか。

 たとえ日本国が善人になったとしても、例えば、仏となった釈迦に対してでさえも、提婆達多と呼ぶ怖ろしい、そして悪辣な仇が付いて回った、と法華経に説かれている。

 それは、日本人をして試練を与えてくれる、そして油断をさせないための、神様や仏様の慈悲と堪忍の鞭が、隣国に備えられている、と心得るべきではないか。

 隣国の政治が悪魔だと思っても、日本列島を引っ越すことは出来ない。だからと言って、隣国の中国人を矯正せしめることも無理である。所詮日本国が、そして日本人が、自国をして、指一本、悪の手を触れさせない、強固な国防力と、天地に恥じない慈悲と堪忍に練り上げられた「人道的国家」を築くことである。それが因縁であり、天命ではないか。

 来年は、米国も、中国も、ロシアも、台湾も、そしてわが日本も、政権担当の代表者が交代する年とみる。大国の政変による、国家の大転換は、まずないとしても、代表者の個性は、その国家の方向を大きく変化させることとなるであろう。

 とりわけ、欧州経済、特にギリシャの不安定が、世界を揺さぶりつつある。

 前に届けた『世界経済は行き詰まる』の如く、世界各国は経済的に行き詰まっている。しかし、このまま「ジリヒン」には堪えられない。特に人民の不満が拡大しつつあり、各国共に政権が危くなると心配する。

 「内政と外交」を解決するには、為政者の執る道は、歴史を省みると、一番多いのは、残念なことに戦争と云う手段が多かった。発端は権力者の決断にかかっている。

TPP(環太平洋経済連携協定)と原子力発電

 新しい年には、日本政界に二大問題が決定を迫られている。

 その一つはTPPへの参加の是非であり、その二は原子力発電の是非である。

この二つは、共に我が国にとって、死活的の大問題である。

 第一のTPPについて。日本は貿易立国として、戦後急速に発展を遂げることが出来た。それでも、なお相互の関税の障壁は、除去する必要を認めている。科学技術の発展と通信、交通、輸送の進化によって、自由貿易の壁を除去せよとの声は高まりこそすれ、狭くする益はない。既に二国間の貿易協定は、各国それぞれ進められ、利益は拡大されている。

 だが環太平洋諸国が、一挙に、約十年後迄には、関税を徐々に撤廃し、ゼロにすることの約束は、理想であっても、危険視する識者の声も少なくない。

 この協定は「完全毒薬構想で、アメリカの一人勝ちのブロック経済だ」とか、

また「バスに乗り遅れるなと言うけれど、どこに連れて行かれるのか、行く先が判っているのか」との疑問と反対の声が、識者や日本の伝統を守る愛国者の間に強くある。

TPPが日本の望む方向に在ることは間違いない。されど同乗者の中で、アメリカが、どんな野卑な根性をもって、あばれるか知れないとの不信感が多い。

アメリカの強引さを警告し、そして力ずくで圧力をかけられても逃げられなくなるよと。今回の主導者がアメリカだから、過去の実績から、不安の声は大きい。

もっと心配なことは、「同じ車に乗る日本の民主党政権」が、腰抜け的な外交で大丈夫なのか?と云う心配が多い。野党だけではなく、与党内でさえその声が大きい。

野田首相は、理想論ばかり述べているが、腰を据えた、自信と決意がない処に、与野党議員に、動揺と反対論が重なって居る。理想実現には、それに進む「用意と必死の決意」が在るのか、それが賛否の分かれ道となる。野田総理にそれが在れば必死で進め。

これから先の世界は、今迄見て来た光景と、見ていない光景とがある。その奥深い光景を見つけたうえで、我々は歩んでいかなければならない。TPPの賛成者も反対者も、双方が極論を述べている今日では、国民は迷い、判断しかねているではないか。

原子力発電については、既に世界各国で有効に活用されており、火力を補う発電から、原子力発電が徐々に主力となり、その地位を確立しつつある。

東京電力福島発電所について実体を論ずれば、日本の想定を超えた「大災害に襲われた」

こと。更に菅内閣に因る損傷に対する「実体軽視の初動の誤り」が、事故を拡大させた。今回の大事故の主因は、「原子力発電」そのものの危険性が原因ではなく、右二点の如く外部要因に依る事故の突発と拡大である。

それを日本では、広島や長崎の「原子爆弾と同列」に論じて、政治問題化した、民主党政権こそ軽率と言わなければならない。

原子力こそ、地上に於ける最大のエネルギー源として、科学の世界では中心課題となっている。日本は、その原理、原則に対しては、世界中で最も先進的技術を体得している。

電力を取り巻く、エネルギーの開発は、今日では自然の力を活用する、クリーンの手法として、風力、太陽光、地熱等々、あらゆる分野で開発に余念が無い。

やがては、危険の伴う原子力よりも、右の如き、天然のエネルギーが主役となる時代が、来ることを期待している。だがそれが実現迄の「期待と期間」こそ、原子力発電が補っており、更に今日の主役である「火力発電」をも補う必要は、経済的にも絶対的である。

また福島の原発事故が発生した「放射能の恐怖」が連日報道されている。だがその被害についても度々論じられているが、放射能そのものの害についての、詳細な検討が為されないまま、唯々、恐怖の実体を拡大し報道されている。

福島の原子力発電所の大事故を制御するに対して、直接、事故現場で働いた自衛隊員、東電社員、そして政府の原子力安全委員の担当者等、必死で働いた人達には、放射能に対する被害は、報道されていないのはなぜか。『放射能を怖がるな』の著書も一考に値する。

放射能に対する被害を軽視することは戒めるべきだが、その恐怖心が、広島や長崎の原子爆弾による被害と同一視して居りはしないか。放射能に対して冷静な議論が必要である。

混迷を脱け出す新年の反省

   新憲法を創設して、独立国家として、日本国の進むべき基本方針を示し、全世界に日本国の在るべき姿と国民の決意を明示する。

   周辺国家に対する善隣友好の為に、外交と安全保障に対して、強固な防衛力を構築すると共に、信頼される若い隊員を養成する。

   国民の先頭に立つ代表者、即ち国会議員自らが、襟を正すべきである。茲十余年の間に、以前の約三倍、国民の税金を党と個人に入れていることを合理的に整理し改めよ。

   希望と自信に満ちた高度成長期、そのままの安易な感覚、即ちバブル期に育った若者が成人となり、今日のデフレ経済に直面したからには、今日の厳しさに対処すべきだ。

   すべての問題は日本人自身に在る。その根本は、我々国民が、「日本人らしくない」国民に変質して来たのではないか。その結果が民主党政権の出現となった。

選挙公約を無視し、見るに堪えない、聞くに堪えない、鳩山、菅、野田、三政権の「国家無視の政治」が今日の混迷を招いた。この現実を直視し、国民総懺悔の時と心得、それが明るい年、平成二十四年の一年間の決意だと誓おう


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