_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

歴史の教訓         平成二十三年九月下旬   塚本三郎

 日本が、この戦争に負けたなら、敵であるアメリカは、我々を奴隷として、当時の黒人と同様の扱いをするに違いない。戦時中、このように教育されて我々は育った。そして、生命を懸けて祖国防衛に必勝の戦争体制を整えた。それが我々の青年期であった。

 しかし、日本は敗れたが、アメリカの奴隷にはならなかった。否むしろ、負けたことが、かえって良かったと云うことも多く在った。おおげさに云えば、の如き時代とも思えた。

 大都会は焼野原と化し、日本は三百万人を超える戦争犠牲者の数を積み重ねた。しかし表面的には、幸運続きの敗戦後の日本であった。

 敗戦の結果、日本が民主政治となり、世界の中で自由に働くことの出来る、広々とした雄飛の活躍の舞台を与えられたことは、私ども青年にとって、何にもまして素晴らしい贈り物を得た思いであった。

 勿論、勝者たるアメリカは、好んで日本人を厚遇したのではない。彼等には勝者間に於ける苦悩が在った。それは共産主義ソ連の台頭で、自由諸国にとって最も警戒すべき共産主義、独善の国・ソ連を敵視せざるを得なくなり、それに対抗する必要があった。 

思えば第二次大戦中、ソ連を味方の陣営に誘い込み、更に強大な勢力になるよう彼の国を助成したのはアメリカ自身であった。

それは、日本、ドイツと呼ぶ敵に勝つための一手段に過ぎなかった。

 第二次大戦中、日・独・伊三国軍事同盟を敵とした英・米中心の連合国は、味方に付けてはいけない相手であることを承知の上で、ソ連共産国を同盟国に引き入れた。

そして勝利が決まったその瞬間から、ソ連を敵視し警戒を強めなければならなくなった。

 皮肉なことは、日本が敗戦国となった、その瞬間から逆に日本を味方として扱わなければならなくなった。そのことは日本の為ではなく、ソ連に対抗する防壁として、日本国の力を利用すべき、と考えたアメリカの損得の勘定が露骨である。

 勿論、それが為に日本国は、敗戦国らしからぬ扱いを受けた。そのことは、占領者自身の計算であって、真に人道的な占領政策とは異なる。日本国民は、その正しからざる幸運こそ、逆に今度は冷たい報いをやがて味合わされることになる。

即ち防衛に対する責任と自立心の放棄。とりわけ独立国としての自主外交の喪失は法律上の形式のみではなく国家としての魂の喪失である。この魂を正常に取り戻すためには、今日に至るもなお、外敵の脅威が眼前に在るのに、放置されたままでいる。

歪められた歴史教育

占領下で、勝者の立場から、日本が侵略者として歪められた歴史教育を押しつけられた当時の扱いが、高い代償として教育の世界にも拡大されて今日に至っている。

特に自主防衛の整備が今日に至るも即「軍国主義」と内外できびしい非難をも味わう。

 アメリカは第一次世界大戦以後今日まで、日支事変及び大東亜戦争に於ける、日本の果しつつある役割即ち、アジア諸国の解放及び独立達成と、大東亜共栄圏の確立について、日本の行動は許し難いことであり、侵略者であり、軍国主義者だと、わざわざこれを曲解非難し、十九世紀以来アジアにおける植民地政策の夢を維持する誤りを捨て得なかった。

二十世紀アジアの動乱は、支那大陸

今日、否今後も暫くの期間は、支那大陸の中に支配力をめざす漢民族の、資源獲得と領地拡大の夢こそ、物欲、支配欲、加えて、汚職まみれの政治がうごめいている。

かつてアジアの情勢に疎いヨーロッパ各国が、支那大陸の各地に持っている植民地の維持と、ソ連の野心、それに加えてアメリカまでも、支那大陸への野心が、対日制裁と云う美名によって、日本の大東亜共栄圏構想を、アジアの外から壊すことになった。

ソ連は、露骨に、そして巧妙に支配力伸張を意図して、国共合作から反日戦争を強化、アメリカとも協力して、漢民族を支援して来た。

アジアの実情に疎いアメリカは、日支事変即日本の侵略と、対日制裁の美名の下に、大陸に野心の根を植え、遂に、日本の敗戦後、いっとき支那大陸を支配下に治めた。

中国大陸の主力は漢民族で、その主力が中華民国国民党であって、その勢力のなかに、ソ連の手先である「毛沢東率いる共産勢力」が根を張っていることは想定し得なかった。

本来ならば、日本の敗戦直後から、中華民国国民党と共に、支那大陸に最大の支援の力を投じたアメリカが、大陸の支配力を確保すると予測した。

しかしすぐ隣に位置するソ連が、地球の裏側のアメリカの勢力を一掃した。支那大陸で支配力を失ったアメリカにとっては、歴史の大きな誤算となり、忘れられない教訓である。

歴史の因果は明瞭

 アメリカにとっては、やがて強大な敵に成長するであろう日本を抑える為、必死に日本と戦っている支那大陸の国民党蒋政権を支援することは、自然の成り行きかもしれない。

 日本が昭和十六年末、日米戦争へと巻き込まれた。日本が日支事変の始末に結着を付け得ないのに、対米戦争を余儀なくさせられた。不運と云うか、不用意と評すべきか。

 支那大陸に大量のを動員させられ、その上、太平洋の広大な戦域に、海空の戦力を投入することは、日本国にとっては不可能の戦争を強いられた。その結果の敗戦である。

アメリカにとっては、対日戦争を仕掛けることで、日本と同盟を結んでいるドイツを攻め、そのことが、彼等の祖国英仏両国を助けるという「ズルイ計算」があったとみる。

ソ連は、日ソ不可侵条約(中立条約)を日本と結びながら、その一方でドイツと組み、いつの間にか、更に米英支の連合国に加担して軍事協力を組み、日独伊三国を敵として勝利の果実を得た、いずれが味方であり、いずれが仇となるのか、昭和十九年から二十年八月の日本敗戦まで、めまぐるしい世界情勢であった。特にソ連の動向は、第二次大戦と呼ぶ世界戦争の間で、一番卑怯でうまく立ち回り、生き残りと成長を遂げたと評したい。

そのズルイソ連は、広大な支那大陸をも、中国共産党を支配下に治めたかにみえる。

今日の中国共産党政権は、支那大陸から日本を追い出し、蒋介石の国民党を台湾に追い詰めた。しかもその大半の戦力は、アメリカの経済力を利用しての勝利である

支那大陸での日本対、支那、アメリカ、ソ連の言わば複雑極まる戦争は、確たる自国の方針を持たなかった「蒋介石政権」の、盲目的対日戦争観に在ると言うべきである。

その背後にはソ連の深い謀略が効果的に働いた。逆にアメリカのアジアに対する認識の欠如が、徒に資金を投入させられながら、ソ連の一方的利益に加担する結果となった。

それにしても謀略は長続きするものではない。ソ連の支配下に在ると信じ支持した従順なはずの中国共産党は、最早今日のロシアの弟分ではなくなってしまいつつある。

今日では手に負えないライバルか、敵対国と化しつつある。

野田新政権は言行一致となるか

 ひるがえって、わが日本の現下の政治情勢は、保守合同以来約五十年。自民党が政権を担当して来たが、保守政治が「良くやった」と褒められたことは一度も無かった。

 政治が行き詰まる度に、新政権に交代しても「タライ廻し」と揶揄され続けた。

 そして外交、防衛の面では、独立国らしからぬ、すべて先送りと非難されて来たが、経済政策については、アメリカと肩を並べる大国として、それなりに成果をあげて来た。

 しかし、民主党の鳩山、菅、両政権混迷の二年間と比較し、皮肉にも自民党の政治はまともな政治だったと、政権を失って漸く、評価された。――と(麻生元首相)は云う。

 そして、菅政権は、野垂れ死にの如くして、野田新政権の誕生となった。

野田新政権は民主党政権の看板である「マニフェストを全面的に見直す」と、自民党や各野党に足並みを揃えつつある。ならば二年前の選挙公約の否定であるから、一刻も速やかに衆議院を解散し、国民に信を問い直すべきが当然ではないか。

野田首相は自分を「どじょう」に喩えて謙遜しているつもりだが、ズルイ心の内を知らねばならない。日本国の総理たるもの、自分を卑しめることは、仲間には好感で迎えられても、国民への侮辱であることに気付いていない。

野田新首相は、組閣に当たって、まず党の幹事長に興石氏を起用した。小沢一郎氏が最も信頼している相手である。世間では、幹事長の起用に驚いた。

新首相が、新政権の出発で最も警戒したのは、党内の対立と分裂であったとみる。従って、内閣もまた、すべての大臣の任命が、党内勢力のバランスをとった人事となった。

 一体、大臣の使命を何と心得ているのか、一国の命運を懸けた、各省の最高責任者を任命するのに、その人物と能力はどうでも良いのか。

野田内閣各大臣の人選は、肝心の政策を余りにもおろそかにしているとみる。

 一川俣夫防衛相は就任の挨拶で「安全保障に関しては素人だが、これが本当のシビリアン・コントロール(文民統制)だ」と述べている。防衛と外交に全くの素人が、日本国家と国民の安全保障担当大臣に選ばれた。皮肉を云えば、「反国家的民主党政権」が、防衛を画するよりも、自衛隊が自由に体制を造るから心配ないとでも云うつもりなのか。

 もちろん、野田首相に、一国の総理大臣としての責任と見識をまず問いたい。

それにしても、各省それぞれの大臣の政策及び識見や能力に付いては、全く考慮していない組閣であり、人選だと断ぜざるを得ない。

野田新政権は、直面する当面する政策課題と共に、日本国家としての大綱を画き、国民にそのデザインを明示すべきである。

 その大胆なデザインには、日本国憲法が最大の障壁となっている。ゆえに、まず第一に憲法の破棄を宣言すべきである(過半数によって)と共に新憲法の創設を。

 第二に防衛力の整備によって、国力にふさわしい陸海空軍力を強化する。

 第三に、デフレ克服に全力を挙げる。その為の資金には堂々と政府紙幣の活用を。

 第四に、教育の刷新、特に教育勅語の精神と、若者に団体生活を一定期間義務付ける。徴兵制度もその一つの方策である。

 第五に、政党助成法と小選挙区制を見直し、本来の民主政治制度を取り戻す。

 第六に、東日本大震災の理想的早期復興に、全力を尽くす。


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