_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

日本に対する天災は神の声か  平成二十三年六月上旬    塚本三郎

 人間も他の動物も、すべて大自然の下で生かされ、育てられている。

 適者生存とは、良く表現したものだ。自然に適合している者のみが、生き延びる権利を持つ。人間はそのたるものと信じたい。

 さてその人間集団は、世界各地において、同じ民族を中心に国家を形成し、互いに争い、また協調しながら生存、成長している。

中国の台頭と不信

 世界は目下、約二百近くの国家を組織し、生存し、自立共存している。

 その中では、アメリカが一番の力量を全世界に発揮しているが、徐々にその国力にカゲリが見えている。それと対比して、急速にその頭角を現して来たのが中国である。

国力は、領土、人口、及び資源がバロメーターとなっている。勿論その活用にもよるが。

 とりわけ、中国は十数億人と、世界第一位の人口を、国力発揮の為に活用している。そのことが充分に活用しているか否かは、やがて歴史が証言明するであろうが。

 中国は目下膨大な人口を活用して、現代社会の産業に適合する、安価な労働力を維持し、全世界の労働力供給の基地とし、先進国の産業の一端を担い、国力を貯えつつある。

いま一つは、その労働力を、兵力にも転用し、アフリカをはじめ、途上国に労働力と兵力を活用し、その国の資源を、見返りとして取り入れつつある。

 産業の世界では、有、無相通じる製品の製造には、一定のルールが必要で在る。

 世界各国と自由競争による貿易と呼ぶ物々交換にも一定のルールがある。その点、中国は、自国内は勿論、他国との貿易に於いても、すべて勝者となるためには、ルール無視、云わば「不公平なルール」によって勝ち抜いて来ている。人権無視及び環境破壊等々。

 文明国間の交流は、まず公平なルールの設定から始められる。

 中国は相手国と公平性を約束しつつ、現実には、殆ど違反行為の連続である。

 中国は既に、長い歴史的伝統を持つ国家であり、その歴史こそ、ルール無視の勝者による歴史であった。そして今日なお、国内に於いては、それが伝統的民族慣習となっている。今日、中国の政権が維持出来ているのは、武力と警察力で、民衆のルール違反に対しては、強権を利用して、押さえ込んでいるからである。警察権力と呼ぶ、武力に依って束ねられた仮装の国家と呼ぶべきか?中国にとっては民主政治は無理だ。自由放任、わがまま勝手に育った民族であるから、政治的権力が強権によって束ねるより仕方が無い。

中国が自立する国家として維持する為には、強権国家以外にない、と現政権は云う。

 中国の共産党一党独善政権成立までの歴史を見れば、その体制を黙認せざるを得ない。それを仕方がないとは認め難いが、彼の国の民衆が、それで沈静化した政体ならば、一つの方法と認めるより方法がないのか?何れは破綻するとみるが?

その政権にどう対処するか

 強権による政治権力は、自国内のみに止まらない。その国力が強大となれば、他国に対しても自らルール無視の、わがままな強権外交とならざるを得ない。

 独裁政権は、やがて民衆の内部不満が爆発点に沸騰する。その時、民衆を抑圧する前に、政治権力者は民衆を扇動する。例えば「隣国が侵攻して来る」と嘘の宣伝をすることで、内政に対する不満の矛先を外に向けさせる。 

 とりわけ民衆に対して、嘘の歴史教育によって、「隣国を侵略者に仕立てあげる」。それが独裁政権の行き着く宿命である。中国は目下、その手法で日本を標的としている。

 日本は、幸い四方を海に囲まれて、建国以来、外敵との禍は少なかった。ゆえに穏やかな内政、外交を重ね、それが民族の魂ともなって来た。今日はそれが危機を招いている。

とりわけ、中国は独裁、独善、そして嘘の歴史を民衆に押し付けて恥としない、謀略を重ねている。日本は、言論の戦として、中国の嘘の歴史と対決することさえ、避けて来たことが、大きな禍となり、国家の危機の増大となりつつある。

素朴な民衆の感情でみるのに、国を守るために、外敵と戦って命を落とした戦士の神として祀ったお社、靖国神社へ、昭和六十年から六十一年にかけて執拗に内閣総理大臣の靖国神社公式参拝に向けての、中国の内政干渉に対し、政府の外交交渉は無残な敗北を喫した。以来、我が国の歴代首相は、隣国の不快表明に屈服して、靖国神社への参拝を控える様になった。歴代十四人の総理大臣が隣国からの内政干渉に摺伏して、護国の英霊に表敬の参拝することさえできずにいる。

防衛力こそ日本自立の道

 日本は平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した(日本国憲法前文の一部)。

 われわれ日本国民は、爾来六十数年、この憲法前文の決意を捨てなかった。しかし、時代は急変しつつある。国力にふさわしい「防衛体制を整備する」ことは、国家としての当然の権利であり、国民に対する不可避の義務となって来た。

 更にまた、自由と民主主義の協力関係に在るアジア諸国に対して、築き上げて来た信頼を維持するためにも防衛力は不可欠の備えでもある。

 日本国民の生存に必要不可欠の資源、とりわけエネルギーは、近隣諸国の依存と協力によって、今日の文化生活を維持し得た。その条件は、今後とも確保し続けることが、国家存立の条件でも在る。日本が自国の防衛を否定して来たことが、今日の危険を招いていると云わなければならない。

日本国家にとって、当面の脅威は中国である。中国の嘘で固められた、対日悪宣伝の底意は、尖閣諸島や、沖縄に対する侵略の底意が露骨に見えている。

事態を直視し、日本政府が、最大限の防衛体制を整えることが、日本の平和を守ること

であり、彼の国の野心を消すことにもなる。日本の態度がすべてを決する。

相手国が悪いと云うよりも、日本自身が卑怯な国家であったことを反省すべきである。

危機の非常時には、同盟国にして最強のアメリカに依存せざるを得ないことも当然である。だが自国防衛の為に、日本国民が血を流すことを避け、唯々アメリカが、日本防衛の為に血を流してくれると信じることは無理であり、それは勝手な他人頼りである。

日本人が、国民と国土防衛の為に血を流し、死力を尽くす実体を示さなければ、同盟国は、その任を果してくれないと覚悟すべきである。軍事同盟とは、そのようなものだ。

今日に至ってもなお、日本人が極く当たり前のことを、そこまで理を尽くさなければならないのか。それは日本人が、占領下の憲法の統治下から六十数年、こと防衛力については「痴呆の如き教育」に抑制され、主体制を保持して来なかったことに起因する。

日本は、ある一時期を除いて、積極的に軍事国家としての道を進んだことは、殆どなかったと私は信じている。

大東亜戦争も、主として欧州諸国に対するアジア解放の戦であったのに、侵略国家と断定された「東京裁判」の断罪で、日本人自身、国家を軽視する風潮が長く続いた。

今日の危機と断じなければならぬ「中国の横柄な外交」は、やがて侵略の底意を伴いつつある。問題は、それ等の謀略に追随する、愚かな一部の日本国指導者の風潮である。

日本国の外交と内政に対して、警戒すべき事態に、覚醒を与えてくれたのが、天変・地変である。日本は、神の国、仏の国である。天災と呼ぶ天の警鐘が鳴動する。日本国民をして、安易な経済至上主義、物欲中心の魂を改めよと、日本人本来の意志を呼び起こした。

東日本大震災は天の警鐘

被災地の状況は連日、テレビで映し出され、世界中で大きく報道されている。その被災者の姿に、世界各国は一様に驚きと賞賛の言葉を発している。

人々は節度を失わず、整然と列を作り、割り込みもなく、何時間も待ち、水、食糧を受け取り、避難所から数百人が移動したとき、その跡地にはゴミ一つ落ちていなかった。

被災地の方々は、何もかも失ったが、しかし、「温かい心」だけは失わなかったことを示したのがこの大災害であった。

電はもとより、自衛隊、警察、消防等、文字通り命をかけて救護活動をしている。

今回、日本を襲った大災害は、不幸ではあったが、自衛隊の存在を見事に際立たせた。その魂と行動は、凡夫の域を遥かに超え、日本国民は勿論、全世界にその存在を明確に誇示しつつある。

逆境に遇せられながら、大和魂、武士道を練り上げ、若者達を中心に別世界を形成した、自衛隊員に、被災者は、頼もしい存在を超えて「神々しい」とまで賞賛している。

われわれ日本国民はもちろん、自衛隊を敵視さえして来た、中国やロシアの人々さえ、日本人の真の姿を見直してくれた。かつて東京裁判で断罪された、日本国家と国民への誤解を一変させた。東日本への天災は、天罰なのか、天警なのか、はたまた天恵なのか。

被災地の人々は「すべてを失った」「取り戻す何物も無くなった」と嘆く。それでも日本人の温かい「心は失わなかった」。「失った心を取り戻しつつある」今回の天災は、日本人の最大の試練である。

ところが政治家は、口を開くと「命を懸けて!決死の覚悟!」と連発しているが、遠くの安全な所にいて、命をかける気持ちなどない人に限って、「命がけ」と言うようだ。

自称進歩主義者は、平和を口にし、それは非武装と云う、子供騙しの如き論理が、日本の言論界の主流となっていた。

言論界は、世間の泥にまみれない美辞麗句を中心とする大学に於いて、一部の左翼思想の主流即ち非武装論に抗し難い風潮を抱いていた。

そのことが、そのまま自衛隊の存在を、日陰の集団として過ごさせて来た。

政府の「防衛庁予算」が年々減額され、民主党政権の主唱する「子供手当て」よりも一兆円も少ない、四兆六千万円でしかなかった。

今日の事態に民主党政権は反省し、後悔しているであろうか、一片の良心さえあれば、直ちに対応できるはずと信ずる。

天災は避けられない自然現象と見てはいけない。その国の民心と為政者の誤りに対する、仏の警鐘と仏典は説き、今回の東日本の「三災七難」は、悲しいことであるが、日本人よ本来の魂を呼び戻せ、との神意、仏説と受け止めようではないか。


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