_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

むら雲こそ釈迦に提婆    平成二十三年三月上旬   塚本三郎

二月中旬、近くの健康ランドへ、夕食後、休養のため出掛けた。温かい露天風呂のひとときは、極楽の気分であった。天を見上げると、満月が美しく輝いている。

 冬の時期に、寒空を眺める機会は極めて少ない。まして、良く晴れ、しかも澄んだ天空を独り占めし、輝く満月を見るのはまれである。

 お湯に浸りながらだから、寒空と云う思いはしない。

 光り輝く明月を眺めながら「これが自然の本当の姿だ」。月はいつでも光り輝いている。曇天で月が消されているのは、途中で雲と呼ぶ邪魔者が大きく羽を拡げて、隠しているだけではないか。

更に思いをめぐらせれば、三日月とか、半月は、これまた太陽と月との間に、我々の住む地球が邪魔をし、欠けた姿に変形して、みせているに過ぎないと気付く。

満月が普通の姿である

我々の魂も、常に満月であるはずだ。自分の心の中の人間的邪心が、雲の如く、霧の如く曇らしている。また政治の世界でも、地球上の国家が、紛争の種を撒き散らし、満月を曇らせ、たまにしか真の姿を現してくれないと、思わずお湯の中で自分を納得させた。

政治の世界に生きた私の立場から振り返れば、最近の政治情勢もまた、平和が普通ではなくなった。曇った雲即ち覇権が、真実を隠しているからであろう。

人間は、わがままで、平和で安楽であれば、わざわざ変化を求める。否、わざわざ苦労さえ求める。たとえば芝居見物で、他人様の不幸に涙を流して鑑賞している。逆に云えば、それによって、自分の幸福を確かめたいのかもしれない。

平凡に生きている我々にとっては、働かないと毎日が退屈になり、働くことによって、その生き甲斐を自覚する。

毎日が同じ仕事の繰り返しならば、退屈だから、休日には違った働きで気分を休める。

逆に、毎日が激動の仕事ならば、休日こそ精神も体力も回復する。

我々には、「節度」の大切さを自覚しながら自然に生きている。そして相応に歳を取って老いてゆく。

邪魔ものは影の役者

満月を覆い隠すむら雲の正体は何ものか。言うまでもなく、海から太陽が吸い上げた水蒸気、即ち雲である。

人間生活にとって海水そのままでは、生活用水に出来ない。太陽が吸い上げた水気が雲となり雨と化して、山林に降り注ぎ、結果として森林を育てている。それがまた水源となって、清流を我々の住む町に注いでくれている。

太陽や月を曇らせている景色の元凶、雲こそ人間にとっては、なくてはならない清流の源であり、樹木を育て、日本人特有の、木造家屋の材料を提供してくれるのだ。

邪悪な曇りは、真夏の暑い日照りを中和していてくれるだけではない。時には酷暑の風や嵐になって、さわやかなひとときを形成してくれる。

地上に住む我々は、成熟した円満な人格者ではない。足らざる処を補って一刻も速やかに、神・仏の如き人格者に近づけせしめたい。それが大自然の願望と悟りたい。

仏説によれば、足らざる処を補わせしめる為に、我々の周辺に、さまざまの障害を発生せしめて、反省を求めている。

雲と呼ぶ、「大切な神・仏の使者」を地上に派遣しているとみたらどうか。否、仏説を素直に受け止めてみれば、その雲こそ大自然の使者の一つとして、また仏の手足となって、人格完成の使徒として、我々地上の周辺を取り巻いていると、解してみたらどうか。

人間の持つ、「邪心」を雲にたとえてみたが思い過ごしか。

最近の国際情勢は

アフリカ北部における人民のデモは、「チュニジア」から「エジプト」へと飛び火し、独裁政権は混乱の末崩壊した。双方に挟まれた「リビア」も、その支配者・カダフィ大佐が危機に陥っていると報じ、内戦の様相である。

若しかすれば、更に東に飛び火して、中東諸国の王制下でも、反応せざるを得ないとみる。既に小さくても、その波動が胎動している。

それのみではない。中国の独善的政権は、今日までの北アフリカや中東の騒動の原因と全く同様の強圧的政権で支えているから、騒動の波及を恐れている。

同じ原因を抱えていれば、やがて同様の騒動が持ち上がって来ることは避けられない。

我々、人智の発展の根本には、ことが起こる度に、ナゼと問いかける好奇心、否、人智は原因を探り、先見の為の判断力を持っている。だからこそ、一つの事象に対しても、結果は別々で、幸運と、不運に分かれる結果を現しているとみる。

米国は、衰えたりとはいえ、全世界に於ける、自由と平和の守護神であると、今日なお自負している。とりわけ、民主政治こそが、自由のシンボルと信じている。

その点では北アフリカの、チュニジア、リビア、エジプトの三国は独裁政権で米国の意に反した政体である。しかし曲がりなりにも、エジプトのムバラク大統領は親米政権として、北アフリカのみでなく、中東にも、親米の立場でニラミを効かせていた。

だが近々の混乱は、既に、北アフリカの各大統領の失権と、その後の混乱は治まっていない。のみならず、その動乱の波動は、中東全域に拡大されつつある。

「なんで俺の時代になって」オバマ大統領は、なぜこんなにも動乱が続出するのかと、不運を嘆きながら、俺は運の悪い大統領なのかと?自問自答していることと想像する。

運が悪いのではない。大統領自身が、自ら生み出した不備ゆえの試練であると省みるべきだ。言い過ぎとは思うが、オバマが大統領になったからこそ、これ程の混乱がもたらされたのだ。自分に付いて廻った試練と思うことだ。天は、その人にふさわしい試練を与えるものである。

失礼な表現とは思うが、大統領がオバマ氏でなかったならば、こんな混乱は起きなかったかもしれない。否、逆説でみれば、こんな混乱の胎動が在ったからこそ、神はオバマに対して天命を与えたとみたら如何か。

オバマ大統領に対して、天は、これは君に対して堪え得る、世界平和の守護神としての「使命を果たす時だ」と神が与えてくれた天意、神意ではなかろうか。

日本の政局と天変地異

民主党政権は、衆議院では絶対多数であっても三分の二には足りない。まして参議院では、半数に届かないゆえ、予算関連法案は成立しない、それを補うため、少数野党の社民党に頼ったが断られ、公明党にも袖にされて、取り付く手立てがない。

まして党内では、政権確立の主役であった小沢氏一派を敵に回している。その上、衆議院選勝利のマニフェストは、実現不可能で、公約違反の赤恥を天下にさらしている。

権力を、宗教界では、実力に比べて、それに至らない「仮りの力」と呼んでいる。

政見担当の能力も、信用力も持ち合わせていない人達が、権力にしがみついている。

菅直人総理にも、オバマ大統領と同様の試練が、相次いで襲来している。

菅内閣は、その任にあらざる、まさに「権力亡者」そのものにみえて仕方がない。

その時には、天が代って、天誅と呼ぶ困難、それが外敵、他国の侵攻ではないか。

今を去る約七百五十年前の、元寇の役を予感した日蓮上人は、経典を鑑とした立正安国論、国民の思想と政治の乱れにより、結果として地震、津波、旱魃、非時風雨、悪疫流行、内乱、そして「他国侵逼の難」と呼ぶ七難は避けることができないと説いている。

現代の日本には既に仏説による六難が日本に来襲している。そして最後に、戦乱の凶兆が迫っている。――約七百五十年前と同じで相手は中国である。

この時に、これ程の内憂、外患が重なることも、菅直人氏に付いて廻った、試練である。菅総理だからこそ、次々と起こる災悪と観念すべきである。

総理よ、その患いを正視せよ。

これは、運が悪いとか、不幸とかと思うのではない。自分に付いて廻る、徳分相応の試練だから、己を捨てて、日本国家の最高責任者として、何を為すべきか、国内外の聖なる声に耳を傾け、決断すべきである。

釈迦に提婆

お釈迦様のような、人格円満にして、仏の如き指導者でさえも、あの凶暴な「提婆達多」と呼ぶ仇が居て、常に釈迦の布教活動を妨害していた。

時には、釈迦の命をも危うくさせられる時があった。

当時の提婆達多は、釈迦の従弟であり弟子であった。鋭い知慧と感性は人並み外れて優れているから、強力な指導力で、多くの友をも従えて居たから油断は出来ない。その人物がなぜ、釈迦の仇となって布教の妨害を重ねたのか。

仲間から造反者が出てくるのは、仇ではない。提婆を敵と視ることは誤りである。

たまりかねて、不平と対抗策を口にする弟子に対して、釈迦は、自分と提婆との因縁を次の如く説かれた。

私が生まれる前の世の中を辿れば、自分が、檀徳王として国家の施政を行なっていたとき、その国を更に豊かにする「道を説いてくれる師匠」が現れた、その名を「阿私仙人」と呼ぶ。私は阿私仙人の弟子として修行して、仏道を体得することが出来た。

前世の師匠であった阿私仙人こそ、今の世には悪役となって、私の足らざる処を指摘し、補ってくれている、それが現在の「仇役を働く提婆達多」である。今日なお大切なお師匠であり、決して敵ではない、と弟子達に諭した。

菅総理よ、先輩であった小沢氏を、「どう扱っているのか」、まして中国の尖閣侵攻を「どう受け止めているのか」、総理の一挙手には、国運がかかっている。

小沢一郎は、日本政局の提婆達多に似ていないのか。中国の尖閣侵攻は、昔の元寇に似ていないのか。菅内閣は、旧態依然たる鎌倉幕府なのか。それとも、一刻も早く、国難を救う、北条時宗を生み出すため、政権交代の任を果たす決意があるのか。


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