_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

絶対のピンチこそ絶好のチャンス  平成二十二年十二月下旬   塚本三郎

 日本国が,本来の日本ではなくなった。これは、戦中、戦後を生き抜いた日本人の誰もが抱く憂いである。このままでは、周辺の共産主義諸国によって、日本列島の北・南の島々は、むしり取られてしまう。否、それよりも、共産中国によって、チベットやウイグルの如く属国化されてしまう。日本の現在は、そんな危機に直面している。

 日本国家が弱くなった因は、唯々日本人の魂が、「平和憲法」を枕にして、安眠、安住し、その上、日米同盟によって、自主独立の魂を、自ら骨抜きにしているからである。

 争いの場合、ピンチこそチャンスという激励の言葉を思い出す。

 日本にとって、これほどひどいピンチは無い。逆に考えれば、こんな良いチャンスは無い。願ってもない危機とみる「中国の毒矢」が、平安の床に眠る日本に襲って来たからだ。

 心ある指導者は、ここ数年、日本国内の堕落し切った政治、経済の怠惰に、警鐘を鳴らして来たが、国民は勿論、為政者すら耳を貸そうとはしなかった。否、どうしたら良いのか、その手段も方途も見出せなかった。日本国内には、戦争は絶対に起こり得ないし、起きるようなキッカケを作ってはならない、平和が絶対条件だとの空想が、朝野に染み透っていた。その「平和主義」こそ、日本の平和の大敵だと気付かされた。

空想から抜け出るとき

 政治、経済、教育の各分野では、戦争の危機を口にするだけで、非国民であり、軍国主義、極右主義者である、とのレッテルを貼られる状態が日本国内を支配してきた、それが周辺各国の状況からして、本当は空想であることを内心危惧しながら。

 友愛外交、そして米外交を主軸とする民主党政権は、こと中国に対しては、媚中政権そのものとみる。ならば、どの国よりも中国が、親日政権となるはずではないか。

それが「好意を仇で返す」態度に開き直って来た。それでも民主党政権は、対中、対共産政権に対して見直すことをせず、警戒心さえ持たない。その結果、政権交代による直後には、国民の支持率は、七〇%近くであったのに、現在は二〇%台へ支持率は低下した。

 既に、日本に襲い掛かって来つつある、外交、防衛、経済、そして教育の諸難題の現況に対し無能な民主党政権の実体を、国民が見抜いている、理由を述べる必要はない。

 民主党政権は、「なんで俺達の政権に、こんな難問が起こるのか」と心底では困り、うろたえている。だが、引き続いて襲って来つつある諸問題は、まともな国家ならば、乗り越えねばならない当然の道である。日本が、まともな独立国となるためには、為さなければならない、不可避の道を迫られただけではないか。

日本が今日まで、正常な独立国でなかったのに、自立でき、その上、国民が豊かで、平和に暮らすことの出来たのは、例外中の例外であった、と受け止めるべきである。

勿論日米同盟の後ろ楯があったことも決定的であった。

ちなみに、周辺の国々を眺めてみるとき、アジアの、どの国でも、日本国ほどの安逸で、不用意な憲法に縛られて、自存している国が在るのかと言いたい。

否、かつては、日本と同様の無防備であった、一世紀前の国状を考えてみよ。それらの国々はすべて、欧米白人国家の支配下に置かれ、植民地であったではないか。

 現在、日本に襲い掛かって来つつある難問は、当然に為さねばならない普通の国家としての大事であり、「自分のことは自分でする」という必要な事項を、国民の前に迫られたものに過ぎない、と受け止めるべきである。

民主党政権が、独立国家の「当然の責任」として、直ちに憲法改正をはじめ、自民党政権の積み残した諸政策を実行してくれれば、国民は拍手で応じてくれるほど、熟している。

それにもかかわらず、菅直人総理は、日本丸の操舵席を独り占めしておりながら、何れの方向に進むのか、進路さえ、否、羅針盤さえ見ようとしないようだ。

国民は、今こそ絶好のチャンス、日本人の自力を発揮し、自主独立国家としての意地と実力を示すときだと、大合唱している。それでも船長の菅直人は、舵を握ったまま、支持率一%になっても離さないと、言ったとか、と伝えられる。

日本の絶対のピンチを、国民は「戦後体勢脱皮」の絶好のチャンスと自覚している。

その声さえ聞こえないふりの、ふてぶてしい総理を「アキカン」と呼ぶのは某週刊誌だ。

内閣の支持率が二〇%台となり、風前の灯となっているのは、国民の悲痛な声である。一刻も早く総理を正気にさせるか、或いは交代させるか、それは、国家にとっては時間との闘いでもある。来年は、その好機を活かす一年とすべきである。

今こそナショナリズムの自覚を

明治維新の錦の御旗は「尊皇攘夷」であった。現代は、皇室が健在である。したがって今日直面する課題は、攘夷、即ち「ナショナリズムに戻れ」の一語につきる。

国家を忘れ、領土と国民を守ろうとしない政権が、第二の明治維新だと口では唱えていても、その大切な魂を持たないならば詭弁にすぎない。

アジア諸国は、中華大帝国の脅威に晒され、止む無く、ナショナリズムに起ち上がらざるを得なくなりつつある。そして今日なお、日本に期待を寄せている。

「アジアの盟主日本」は、我々日本人の自負だけではない。アジアの一部の指導者は、大東亜戦争を戦った日本軍は、我々を解放し、独立を可能にしてくれた、日本軍は解放軍であった、との見解を持っている。だから日本の動向を気にかけているのであろう。

日本人は、戦争の破滅も、戦後の復興も、そして今日の衰退も、体験している。だから今こそナショナリズムに戻るべきだと、自覚しており、国家を忘れた経済は、やがて国家そのものが衰亡させると気付きつつある。

戦後六十年にして我々は、勝者、アメリカと肩を並べ得る復興を現出した。経済大国として、その頂に辿り着いた時、四方を眺めてみれば、前方の大きな山であったアメリカが、融解しつつあるのに、後方の活火山の中国が噴煙を上げ続けている。

中国の毒を含んだ火山灰が、日本の南の諸島に降りかかりつつある。否、日本の本土に降りそそぐ塵と灰こそは、大自然の徒らではなく、神・仏の啓示と受け止めるべきだ。

日本人の祖先は、大自然の動きを「神様のお告げ」と称したはずだ。

日本は今日、大のピンチに陥っている。だが、絶好のチャンスでもある。チャンスと受け止めなければ折角の神意に背く。それなのに政府は後を向いて動き出した。

 菅総理は、社民党の福島瑞穂党首と会談して、同党との連携に大きくカジを切った。

政府提出の法案を成立させるには、参議院との「ネジレ解消」のため、衆議院で、再議決可能の「三分の二」以上の議席を確保するために。

それは、日本の進むべき道とは反対の方向だ。社民党と結ぶことによって、眼前の重要課題の解決を、あっさりと放棄し、唯々自らの延命のみに執心しているとみる。

それは、日米合意無視であり、日本国を弱体化し、より窮地に追い詰めることになる。

 現下の菅政権の失墜は、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件や、北朝鮮の韓国のへの砲撃等、安全保障政策に対する国民の不安が募り、外交、防衛問題の無策が中心である。

その上、経済政策に対する失態である。

 菅首相は、支持率回復に躍起になっているが、社民党との協力を期待するのは、国民に対して、より不安を増大させることに、なぜ気付かないのか。

失点を回復するには

菅政権が生き延びるには、国家中心の安全保障に取り組み、「起死回生」を期す以外にはない。勿論、それは、菅総理の、従来からの建前に相反する提言である。だが生き残る道は、それ以外にない。それこそが、国家と国民への政府の責任を示すことだ。

 先ず憲法を改正し、国防軍の創設によって、自民党内閣では手掛けられなかった施策を劇的に進める。日本の生きる道は、自民党でさえ出来なかった国政の重大事を、声高らかに掲げて、各野党に呼びかけるべきだ。菅内閣の生き残る為と云うよりも、日本政府としての、当然の道に戻ることである。自民党も、これに反対することは出来ない。

民主党は、社民党にすり寄るよりも、国家本位の政策を大胆に打ち出して、自民党をして、仲間に引き寄せる道を選ぶことを提言する。

 菅総理は、市民運動家として、体制の側に対して、常に批判者の立場に立って論及し続けた。不幸にもその立場こそ、本人を成功に導いた歴史となった。

それゆえ、その土台から足を洗うことは不可能のようだ。菅総理が約十年前、国旗掲揚、国歌斉唱の法案に堂々と反対した、その根本は、彼の生い立ちそのもので、それが総理大臣の地位に就いている今日でさえ、拭い切れない。

彼の言動は、こと国家の大事については、「よそよそしく」聞こえて仕方がない。彼の魂は未だ反政府、反国家の習性が根底に在るからではないか。

 仙石由人官房長官は弁護士資格を得て、最初の弁護士としての仕事は二十五歳の時、日立製作所の、在日韓国人就職差別訴訟であった。この裁判で見事原告を勝訴に導いた。

 彼は、日本が過去に、朝鮮半島を植民地として支配したという、敗戦後の韓国人の勝手な主張と、占領軍による「誤った歴史教育」に慣らされて、日韓併合当時の歴史を学ばずして、韓国への「謝罪行動」にのめり込んでいる。仙石長官も「反国家」の習性から離れない。だから政府要人となってさえ、「自衛隊を暴力装置」と思わず口にする。

無理を承知で、菅、仙石両氏に提言する。

民主党も自民党も、身を捨てて生まれ変わることこそ、日本を救い、政党政治を活き返らせる。日本が普通の日本国家に立ち直る絶好のチャンスと心得、自分達の政党が、前面に出て、一刻も早く憲法の縛りを解き、外交防衛で正論を貫くべきである。

空前の失業率の回復及び経済を立て直せと、国民が逆に政府を突き上げて来ている。

政権が行き詰る時には、衆議院を解散して民意を問うのが民主政治である。負けることを承知しているから解散を避けて、より反対の社民党と組んで延命を計るのは逆方向だ。

見るに見かねた国民は、〝自民党は一体どうしているのだ〟と苛立ち、この機会こそ、自民党が捨身で、政局建て直しのために、大声を挙げるべきだと期待している。

自民党は、この機に及んでも、菅政権の自然崩壊を待つのみでは駄目だ。共倒れになってもよい、身を捨てて倒閣に追い込むか、それとも悪者と言われても、菅内閣を支えるから、外交、防衛だけは正常に戻せと、民主党へ、温かい手を差し延べる勇気を出すべきだ。


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