_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

攻めを忘れた菅政権    平成二十二年十二月上旬    塚本三郎

民主党政権の苦悩する諸課題は、政権交代のその時点から、既に背負わねばならない宿命があった。賞味期限の切れた自民党の、やり残しの数々の宿題があったからこそ、止むを得ず、民主党へ政権を禅譲せざるを得なかったのだ。

 北方領土問題も、普天間基地移転も、尖閣諸島問題も、自民党の食い散らかした、悪しき遺産の後始末でもあった。菅政権の課題は、単に外交、防衛問題だけではない。

 税収の漸減に反比例して、国債残高の赤字増大は止まるところを知らない。また少子化の急速な波及も、これまた史上に例がないほどである。

民主党本来の在るべき姿は、われわれならば、それらの難題と取り組み、解決するという、具体的政策の実現と決意が在ってこそ、政権を奪取する資格がある。ところが、二大政党となったから、「今度は俺達の出番」であるという、ただそれだけでは余りにも無責任である。

 自民党政権の不始末が露出したからこそ、民主党に出番が来た。それを奇禍として、国民に対して、マニフェストと呼ぶ、出来もしない、甘い政策を振りかざして勝ち得た政権であった。さればこそ、自民党以上に無責任となり、国民の期待を裏切ることになった。

政権担当後、僅か一年ほどで、民主党政権の素顔の醜態が露出したことも肯ける。

 民主党の本領は、野党としての攻めの行動であった。野党だから攻められた。立場が変われば守りが主であって良いのか。国民は、民主党の守りの姿など期待していない。

 自民党が、戦後の長期政権を担うことが出来たのは、常に、その場、その場ごとに、果敢な攻めの政治を行なってきたことでもある。自民党の賞味期限が切れたのは、攻めを忘れ、守りに終始したからではないか。

権力の甘みに慢心して、事態打開の攻めを怠った為ではなかったか。政治とは、年ごとに移りゆく、国の内政・外交に対して、常に新鮮な攻めの姿勢を国民は求めるものだ。

 政権につけば、攻めの道具は幾らでもある。官僚を使い、財政を動かし、立法権を活用し、国民世論を選択するという、野党時代とは、全く別世界の舞台があるはずだ。

民主党はなぜ、その力を活用しないのか。

第二の明治維新

 昨秋、政権を手にした民主党は、「第二の明治維新」と歓喜したではないか。ならば、まず明治の元勲が、欧米の黒船にどう対処したのか、また徳川幕府を倒した直後からの維新体制では、庶民生活に対する、新しい財政をどう賄ったのか。社会生活から、教育方針等々をどう整えたのか。

明治維新は、欧米の白人支配下のアジアから、独立国家として、挑戦不可能を可能にした。それが富国強兵であり、殖産興業国家となるべく、多くの知性と経験を学んだ。

 明治の元勲達は国づくりに生命を懸けた。新政権草々であったにもかかわらず、長い歳月をかけて旅を重ねてロンドンに赴き、最も進んだ軍備と経済体制を学んだ。軍艦や大砲には莫大な資金が必要であったから、財閥を育成した。(井上馨)が三井財閥を育て、(岩崎弥太郎)が三菱を創設した。そして藩籍を奉還させ、廃藩置県を行って、治政を一新した。また太政官札を発行して、旧幕府の財政に頼らなかった。当時の画期的出来事であった。

民主党政権は、明治維新を創り出した元勲の必死の努力を学んだことがあるのか。

 文久元年(一八六一年)、ロシア軍艦ポサドニック号が対馬の芋崎を不法占拠して、要塞を築き始めた際、箱舘奉行としてロシア領事に、その退去を要求している。しかし箱舘奉行・村垣淡路守と外国奉行・小栗忠順はこれに失敗して、外国奉行を免職になっている。かわりに勝海舟がイギリス公使に圧力をかけ、上海から東洋艦隊を呼び、その力の外交交渉によって、ロシア艦隊を対馬から退去せしめた。一四〇年前でさえ、この策略と勇気があった。明治維新直前、既に自国防衛の為に、幕臣、勝海舟はロシアを追い払うため、外交戦で勝利している。西郷隆盛との、江戸城無血開城だけではない。

 幕府内にも、まして官軍にも、新しい日本を目指した、攻めの志士が連山の如く居た。

地位を死守する菅総理

日本丸の操縦者が、言うべきことを言わず、為さねばならぬ大事を為さず、進む方向さえ示さないのは操縦席を塞ぐ「重大犯罪」だと、前に指摘した。

 そんな卑怯な「ニセ権力者」を、天は見過ごしては措かない。菅内閣には、次から次へと試練の鉄槌が下される。菅政権内で、各大臣の、次から次への失言、暴言は眼に余る。

 柳田法相の郷里での、「国会軽視」の発言に対して、野党の集中攻撃によって、本人の辞意をも思いとどませつつあった首相が、遂に庇い切れず辞任の断を下した。問題の直後に辞任を認めれば良かったのに。累が身に及ぶのを恐れて暫く慰留したとみる。

 仙石官房長官は十一月十八日の参議院予算委員会で「暴力装置でもある自衛隊」という言葉を発言した。四十数年前の大学紛争で、全共闘系学生集団が、警察や機動隊と争い、神田の街は、新左翼によって、道路の敷石を割って機動隊に向かって投げて、暴力の衝突を重ね、本気で暴力革命を闘った。彼等の敵対者となる警察や自衛隊を、彼等側は「国家の暴力装置」と位置付けていた。仙石氏もその仲間ではなかったのか。

 仙石発言は、決して一時的に出た不用意の発言ではなく、本音だと思う。しかも、柳田発言とは異なり、国会の予算委員会での発言である。直後に取り消しをしたが。

 柳田発言をもって辞任させたことを弁ずるつもりはない。だが、その前に、まず「仙石発言」で辞任を迫るべきであった。その発言の内容と、発言の舞台からして。

 菅総理は、内閣の地位を守る為に、傷の軽い柳田を切って、難局をスリ逃げようとしているとみる。仙石官房長官を切れば、直ちに内閣の命脈にかかわるから。

ことの大小よりも、自己防衛に、判断の基準を置いている菅総理は、支持率一%でも辞職しないと云った、と報じられている。

身を守ることが大切で、国家の大事や、民主党の大切さよりも、身を守る卑怯な言動は、民主党そのものを卑しめつつある。総理の「石にかじりついても」の表現は、約束の実行よりも、自分の地位の死守とみる。それは、内閣総理大臣としての地位を辱しめる。

 そして民主党と、その下で、党を支えている地方議員は、来春の選挙を控えて苦悩している。党代表としての責任や、党員を思いやる温かさが在るのかと言いたい。

指導者は義憤に立て

 日本国民は、あらゆる場面で停滞気味である。上が上ならば、国民もそうならざるを得ない。あの東京オリンピック当時の日本の勢いは、どこへ消えてしまったのか。

私は、満州事変、日支事変、大東亜戦争、そして敗戦の辛苦で、生死の境をも経験した。それでも苦しいと思ったことはなかった。残念がったこと、口惜しく涙したことは度々あった。それは義憤でもあった。今日の日本人は、義憤の魂を失った。

国家の指導者が、義憤を捨てて「迷路を放浪する群れ」と化していはしないか。

 日本国は神の国、仏の国だと、時折論じて来た。神や仏は、日本国を必ず守る。だが正義の義憤を起さず、愚鈍のままの日本を守ってもらう訳にはゆかない。先ず日本の指導者が義憤に目覚めることが前提条件である。それが天の下す警鐘の乱打と受け止めたい。

 その第一弾が、中国の放った尖閣諸島への毒矢であった。そして今度は朝鮮半島での砲撃戦となった。平和を謳歌していた日本国近辺で、戦争はいつでも起こるぞと響く砲声。これで目覚めなければ、正常の国家ではない。

地涌の菩薩(地方の指導者)が政治を動かす

 毎月お送りしている私のリポートに対して、共鳴してくださる多くの方々が、ならば我々はどうすればよいのか?との問いが多い。

 日本が、日本らしくなくなった。このままでは、北からも、南からも、日本の島々は、周辺の独裁、独善の国々によって食い散らされる。心配で夜も眠られないという声。

既に大平の夢は破られつつある。そんな危惧は、やがて日本は、中国の属国となってしまわないか。大多数の日本人は、この憂いに対して急速に目覚めつつある。

 民主党政権は、国家、国民よりも、現状維持に徹して、事態の先送りばかりである。

だからこそ、ロシアも、北朝鮮も、中国も、日本に対して侵略者となって、毒矢を放ちつつある。日本国内の日々の報道は、この一点に集中警告している。理由を説かなくとも、日本国憲法の非武装は通用しなくなり、防衛力の強化は必然となったと自覚してきた。

 外敵は、日本国に対する敵ではなく、日本人が、本来の日本になるべく、仇となって警告してくれると受け止めたらどうか。日本人は、その警告と云う悪行に答えるべきだ。私は訴える。――次の十項目の実施に直ちに取り組むべきだ。

一.     現憲法を破棄し、新憲法を創設すること(準備は既に進んでいる)。

一.     日米同盟の実質的強化の具体策を進める。

一.       非核三原則を改める(周囲が核武装しているのに対抗すべきだ)

一.       集団的自衛権を行使する。同盟国として当然の責務である。

一.      武器輸出の自由は経済の原則。大量生産による効率化で武器も例外ではない。

一.      教育の改革、教育勅語の精神の復活(家庭、社会、国家の理念を強調する)。

個人の権利中心が、利己主義に陥った日本社会を是正する(日本的美風を失うな)

一.      若者に団体生活の訓練のと、愛国心の強化(徴兵制が原則)

一.      公共事業を充実し、国土を健全にし、直ちに景気回復をする(中小企業の育成)

一.      財源には節税は大切だが、それと共に「政府紙幣」を検討し、デフレ・スパイラルの克服こそ財政再建を可能にする。貨幣発行権の行使を検討すべきだ

 以上の項目は、度々述べて来たことである。日本だけが、例外として来た。

 日本が普通の国となり、独立国として、極々当たり前のことを行うべきである。ただ日本国家のみが、他国と比べて、異常な政治体制であったのに過ぎない。それで六十数年を過ごし得たことの幸運を、改めて感謝すべきである。

 だが、もうそれが許されなくなって来た。ことの経過は、中国の異常な武力の強大化でありそれに反比例して、同盟国・米国経済の後退が否応なく進んでいる。日本が、対中、対米に、対応の変化を迫られて来たと、正直に受け取るべき秋である。


PDFはこちらをクリック