_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

日本に突きつけた矢   平成二十二年十一月上旬    塚本三郎

尖閣諸島事件は、単なる一つのでの、中国漁民の領海侵犯事件ではない。日本政府に対し、中国政権が突きつけた、覚悟の程を試した鋭く高圧的な矢であった。

 これは日本国家が、「自主独立の法治国家」に値する政府となっているか否かが試された試金石でもあった。

 事の経過は、連日報道されているから記すことを省く。だが一言で言えば、中国政権が、軍事力を背景にし、近隣諸国での資源を目当てにして、欲しい物は何でも盗ってやる。それがためにはまず国民を騙し、を宣伝し、事実と反対のことでも平然と構えて恥じない国であることを、今回の事件で露呈した。

事なかれ主義

 それに対して、日本の民主党政権は、菅総理をはじめ各大臣、とりわけ仙官房長官などが、すべて「事なかれ主義」に終始し、日本国家と領土と平和を維持し、日本国民の尊厳を守るための確たる責任は、全く持っていないことを、全世界に露呈した事件であった。

 例えば菅総理は、アジア欧州会議の会場で、中国の温家宝首相と二十五分も話したのに、中国の漁船の乱暴事件に抗議せず、中国が不法に拘束した日本人が、当時まだ拘束されているのに、日本人の解放さえも要求しなかった。今回の、民主党政権の「無責任な対応」に、怒りよりも悲しみに打ちひしがれているのが日本国民の姿である。

 過日、「国家基本問題研究会」のシンポジュームに出席した。その席で櫻井よしこ理事長、田久保忠衛副理事長の発言と質問に、民主党の代表として出席した長島代議士が応えてくれた発言が耳に残っている。彼の発言は、両役員や我々と同等の意志を示している。民主党国会議員でさえも、菅政権の今回の行動を残念がっている。

 櫻井理事長、田久保副理事長の発言は、余りにもブザマな民主党政権に、「批判の矢」が飛び、それに同調する長島代議士の発言を耳にして痛感したことは、民主党国会議員にも、本来は我々とおなじ認識と判断を持っている議員が相当に居ると受け止めた。

長島代議士は、かつて防衛政務次官を務めた経験から、中国独善政権が、日本及び周辺国を狙っての侵略性と、軍事力増強の実態を或る程度理解していた。そして、それに対応する政策を盛り込んだ「建白書」を同僚議員と共に、民主党執行部に提案している。惜しむらくは、折角国会議員として議場に登壇しながら、その真意を弁じて、政府に実行をなぜ求めないのか。

 かつて私共が昔、民社党議員として、自民党、社会党の二大政党の狭間の少数政党ながら、国家の安全の為に、防衛力の整備が在ってこそ、何れの国とも対等の外交が行ない得ると叫び続けた。その中に育った仲間の議員も未だ民主党議員団の中に相当数居る。

それ等旧民社党育ちの議員は、その当時の愛国心は未だ失っていない筈である。残念なことは民主党国会議員として、国家意志に反映させることが殆どみえない。

 さきに述べた長島代議士の如く、心の中では、また頭の中では、ひそかに秘めており、仲間の間では、真意を語り合いつつも、堂々と政治の舞台に表れて来ていない。

 国会議員は国会で堂々と発言し、政府へ、そして国民に問うことが使命である。それが権利だとも云いたい。それを行ってこそ政治家である。それを逡巡するのは卑怯の徒であり、政治屋でしかない。

官僚は政治家の頭脳と手足 

今日、各政党の指導者は、官僚のムダ使いと非合理を非難し続ける。官僚を褒めれば、逆にマスコミで非難される。これは本末転倒である。

 官僚は優秀な人材の宝庫であると思う。もちろん、中には問題の人物もいよう、しかし多くの官僚たちは一流の大学を了え、国家試験を経験して、この道に就いた。そして、同僚との争いに勝ち抜いて、出世街道の坂を登り詰めた逸材ではないか。しかしながら、政治家の眼から俯瞰すれば、注意しなければならぬ点は大いに在る。各省庁で生き抜く為の努力と労苦は、他省庁を省みる余裕など無理である。「省在って国家なし」の一語は、すべてを云い尽くしている。

 政治家は、地位も、給与も、そして人事権も、更に法の不備を改める立法権もあり、それが国会議員の本命である。ゆえに、官僚と呼ぶ行政の玄人達を、その手とし、足とし、知識と経験を提供してくれる部下として、活用することが任務と心得るべきである。

 自分の手足を役立たずだと他言し、それゆえに大衆に迎合することは見苦しい。そんな実体は、自分の統率力の不足を公言しているとみるべきだ。

 戦後の民主政治を経験すること六十数年、その間には優れた官僚のトップが歴代総理大臣を兼ねた歴史もある。否、吉田、岸、佐藤、池田、中曽根等、長期政権を築いた人達は、官僚出身であることが目立っている。

かく論じてみれば、日本の政界は、如何に在るべきかが見えてくる。

政治家の下には、知識も経験も、情報も集まってくる。それ等をどう活用するかである。

大衆の支持を得て当選した国会議員であれば、世間の風潮は身に沁み、体で会得している。問題は決断力である。官僚は手足となり、かつ所属する政党は方向を指示している。政治家に今日期待する最大の問題は、実行力、即ち、良心を表面に出す勇気ある決断力である。菅政権はそれを欠いている。今日、未だ野党慣れから醒めていない。

平和革命のツケ

 暴力革命と平和革命の関係は、直接侵略と間接侵略との関係に似ている。今日、暴力革命を公然と唱える政党はないが、平和革命は、国家と社会の腐食・解体を目的として長期にわたり深く進行している。

 北朝鮮の拉致実行犯の助命・釈放を嘆願した首相。

 サハリン残留韓国人を利用して戦後補償という闘争モデルを創始した官房長官。

 慰安婦問題でソウルの日本大使館へ、反日デモを敢行した国家公安委員長。

政府組織である大臣の中に心配すべき人がいる。と指摘するのは藤岡信勝教授である。

 一九五〇年代初め、日本共産党が火炎ビン闘争など、武装闘争にうつつを抜かしていた

頃、当時の共産党幹部の一人、志賀義雄は次のように語った。

 「なにも革命などする必要はない。共産党が作った教科書で社会主義革命を信奉す

る日教組の教師が、みっちり反日の教育をほどこせば、三十~四十年後には、その青少年

が、日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる」。

 この憂慮すべき話は、自民党の有識者の間にも広がったが、誰も対処しなかった。

 それについて、このような実体に対し、自民党幹部は次の如く嘆く。

 「今日の教科書は共産主義者が書く、その教科書を左翼の日本社会党支持の日教組が教

え、自民党政権の指示で、金を出させる」。

既にその行き着く先は推測出来たはずである。その危険性を放置し、永年政権を担当し続けた自民党の教育政策のツケを、更に拡大露出したのが今日の民主党政権ではないか。

 日本が敗戦の中から立ち上がることの出来た原因は、数え上げらればいくらもある。だが、失政として正さなければならないのは、教育の歪みであることが漸く気付かされる。

 教育は国家百年の計である。さきに共産主義者が語る如く、三十年、四十年先に、その成果が表われる。占領軍が命令した「教育勅語の廃止」が、今日の日本社会をいかに大きく歪め、混乱を拡大しつつあることか。

 平和革命は、人間の怠惰な心を誘導しながら人間を腐食して来る。決して堂々と悪をすすめるのではない。むしろ善意の進行こそ、侵略の方策かもしれない。人間の欲望や願望のゆきすぎは、すさまじいとみるべきだ。

中国は釈迦に提婆

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」これは憲法の前文である。これは余りにも善意であり、大きな願望である。この善意が共産主義者の侵略の餌食となると、当時誰が予想し得たか。

それを承知していたと思われる国会議員が居た。共産党の国会議員四名と日本社会党の穂積七郎氏の五名である。さきの志賀氏は四名中の一人であった。この五名の国会議員の反対の理由は「独立国に防衛力を否定する憲法は認めない」であった。正論では在るが真意のほどは?穂積氏だけは真意とみる。

 日本は神の国、仏の国である、と私は、しばしばこのレポートで綴ってきた。

 日本は、目覚めるのには遅すぎた。それでも今ならば未だ間にあう。人心の乱れと、政治の不正に際しては、天がこれを警鐘して七難を興す。既に、全国各地に地震をはじめ、天候の不順、悪疫の流行等が続発しているだけではない。

 信頼し切っていた隣国の中国政権が、日本に毒矢を放って来た。

 如何に愚鈍な日本人といえども、如何に善良な為政者といえども、そして如何に容共主義者といえども、これを弁護することは不可能である。

 平和憲法を枕に、大平の眠りにある日本へ、一大警鐘の毒矢を放って来た中国こそ、日本国民と日本政府に対して、警鐘による最大の指導者としての任を果たしてくれている。

 仏典には、「釈迦に提婆」の説話が在る。

 提婆多は、釈迦の従弟であり、弟子であった。そして頭脳明晰な彼が、釈迦の教団を乗っ取るべく、幾多の悪計を試みた。しかし、ことごとく失敗した。最後には釈迦の命までも狙った。たまりかねた弟子達が、提婆の悪行を責めたとき、釈迦は諭す、彼こそ私の足りない処を指摘し、戒め、私をして完成した「仏の如き人格者」たらしめるための仏の使いである。「提婆達多在るがゆえに吾、解脱せり」と宣言しておられる。

 かく省みるとき、尖閣事件を契機にして、日本国のあらゆる場所で、朝夜の別なく、国難来るの警鐘に醒めつつある。

 今日では日本覚醒の主役として、提婆達多の悪役を果たしつつ在るのが隣国中国ではないか。日本に対する野心こそ、悪役の主人である。その結果、日本が正気に戻ることが出来れば、中国は世界中の非難を浴びつつも、日本を戒めてくれたことになる。

 問題は日本政府が、本当にめざめつつあるのか否かである。


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