_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

国難来る、西・北より来る  平成二十二年十月上旬     塚本三郎

政治は硝煙なき戦争 

外務省報道官談話は、尖閣諸島衝突事件について「中国漁船による公務執行妨害事件として、わが国法令に基づき、厳正かつ粛々と対処した」と表明。――尖閣諸島に関して「わが国固有の領土であることは歴史的にも国際法上も疑いなく、現にわが国は有効に支配している。解決すべき領有権の問題は存在しない」と改めて強調した。
 しかし中国当局は、白旗を掲げて中国人船長を釈放した日本に対して、和解の握手を交すどころか、くみやすしとみて、図に乗ってきた。
 中国外務省が日本に「強烈な抗議」として、今度は逆に謝罪と賠償を要求した。中国は、弱い相手には、より強く出る。 菅首相は「政治主導」を掲げながら、記者会見では、建前論を繰り返すのみで、決定的に発信力が欠けている。中国の対抗措置にも、人ごとのような対応をしている。
 中国の温家宝首相は、国連総会での一般演説で、国家主権や領土保全では「屈服も妥協もしない」と、国際社会に明確なメッセージを発信した。
 国際社会では「沈黙は金」ではない。尖閣諸島の歴史や事情を知らない諸外国には、このままでは「中国側が正義だ」という誤解を生みかねない。
 「政治は硝煙なき戦争であり、戦争は硝煙による政治」これは毛沢東の言である。
 中国漁船衝突事件での中国側の対日攻勢は、まさに国を挙げて勝利をめざし、持てる手段を動員した「銃火なき戦争だった」。
 中国は、主権問題としてとらえ、一歩も譲らない方針を決めていたからだ。
 思えば六十五年前の日本は、アメリカをはじめ、連合各国と戦い、歴史始まって以来の敗戦を経験した。吾々は、口惜しさはあったが、「力一杯戦った結果」という、一種のあきらめと後悔もなくはなかった。その我々の気持ちが、「戦勝国を追い越せ」と云う経済戦争に駆り立てた。それが戦後の復興の原動力となった。
 だが、日本が経済戦争に勝利を得たと自負するのは、少々偏見ではなかったか。勝者アメリカが防衛力をもって、曲がりなりにも日本を庇護してくれたことを我々は軽視した。
 この条件が当たり前だと確信して来たことが、今日の日本政治混乱の元凶であろう。
 
もうアメリカは当時ほど強大ではなくなった。それと並行して日本は、失った独立国としての防衛力の整備を進めなければならなかった。
 しかし防衛力をないがしろに放置、否、削除して来た。なんと愚かな月日であったか。
 経済力の伸長と並行して、防衛力の充実を進めることは、独立国の当然の任務であるのに、日本はその逆を行って、安易な福祉政策に惰眠を貪って来て、未だに止まらない。
 そして、近々中国が凶暴な魔手をもって、寝ぼけ眼の日本政府に襲い掛かって来た。
 既にアメリカをはじめ、自由諸国は、ここ十年来、中国の軍備増強の牙に警戒心を高め、アセアン各国は戦慄している。それなのに、なぜか日本だけが、夢遊病者の如く「友愛外交」の発言を繰り返している。
 まさかとは思うが、この「友愛外交」は、中国謀略の手先として、意図的に、日本国民を惰眠の淵に陥れているのではないか、とさえ疑う。これは云い過ぎか。

中国・ロシアが領土問題で共闘

 尖閣諸島の領有権を主張し、強硬姿勢を崩さない中国は、北方領土問題を抱えるロシア大統領の訪中[九月二十六日]を好機に、日本との対立をエスカレートさせている。
 ロシアは、昭和二十年八月、日ソ中立条約を一方的に破棄して、日本が米国等連合国に降服した、その同時期に、火事場泥棒の如く北方四島を強奪した。それを「大戦の成果」と、ロシア大統領は云う。日本はロシアと戦争をしていないのに、大戦で日本が降服文書に調印した「九月二日」を、今年から事実上「対日戦勝記念日」とロシアは制定した。
 ロシアが、大戦の成果を尊重する認識を、中国と正式に共有したことで、日本との北方領土交渉の停滞は必至。中国が尖閣諸島の領有についても「大戦の成果」と強弁することだろう。
 日本の政権が、国内の政争に気を取られ、対応が後手に回っている間にである。
 中国とロシアが組んで、太平洋への覇権伸張をめざすその出口を求めている今日、日本列島は、彼等の目的にとっては、余りにも目障りな防壁となっている。
 経済力の伸長と共に、この共産両国が、北と南の日本列島の無防備の島々を取ろうとしている。否、無人のを名目にして、海底資源の試掘をめざし、日本列島は、悪い評論が許されるならば、今や「北の火事場泥棒」と「南の空き巣狙い」に脅かされている。
 既に南シナ海に面したアセアン各国は、中国の侵攻の下に脅えている。それでもアメリカは、フィリピンからを引き揚げて以来、中国の強暴に対応する手段を持たない。
 日本が、今日に至っても、中国が国際条約や文明の常識をも無視した、狂気の行動に対応出来るのは、日米同盟という最強にして「最後の砦」が在るからである。

平和憲法を枕に惰眠

昭和のから平成にかけての約二十年間、世界は平穏であった。その間に、日本は経済復興と共に、自主独立国として、自民党が掲げた「新憲法制定」を実現すべきであった。
 しかし、四囲の状況が安逸であったことがかえって災いして、殆ど新憲法制定は、政治の世界、特に自民党とは無縁にして、一部の心ある人達の孤独な運動と化して時を送った。
 省みれば、現憲法が、すべて誤りであったと云うつもりはない。国家の在るべき姿や、その魂は不変であっても、政治、経済、文化の変遷によって、時代に適応させ、更に四囲の実状に対応して、日本人が有効に解釈し、利用して来たことも否定しない。
 アメリカが強大な軍事力と圧倒的な経済大国を誇示している間は、或いは日本国憲法も、「平和憲法」と認めて安逸が許された。
 ここ二、三十年の間に日本人は、日本人でなくなったというべきではないか。
 しかし戦争に破れたりとはいえ、平和で豊かになった最近の日本人は、武士道も、大和魂も失ってしまった。本来の武士道、大和魂を取り戻すには、一体どうしたら良いのか、政治も、経済も、教育も、普通のことでは日本人は立ち直らないほどに劣化してしまった。
 いっそ、どこかの国が日本に戦争を仕掛けて来たならば、国を挙げて緊張し、日本の国状に合わない憲法など一挙に吹き飛ばし、新しい日本へ舵を切り替えざるを得なくなるのではないか。――これは乱暴で、無責任な愛国者の独り言である。
 戦争になれば、すべてを失うことを、承知の上での発言ともとれる。
 悲しいことに、このような、街の乱暴者が吐くような中身が、現実のものとして、日本政府に襲いかかって来た。それは、日本国民の根性を試すように、次々と難題を吹きかけて来た。それが中国の本性である。尖閣諸島衝突事件は、中国が露骨に全世界へ自ら暴露した事件である。

天変地異は、神・仏の警鐘

今年の夏は記録的な猛暑で、九月の半ばまで三十五が続いた。
 その翌日には十五℃の冷秋が襲って、一挙に夏から冬へ交替し秋が無かったよう。
 天変地異は、人心の悪化と、政治の乱れを、神・仏が警告していると仏典は説く。
 若しの福尽きんときには一切の聖人が国を捨て、その時七難が起る、――­­地震、津波、干ばつ、非時風雨、悪疫流行、内乱、戦争。「仁王経」「大集経」「薬師経」「法華経」
 戦後六十五年間、日本はアジアのみならず、全世界の平和と経済文化の為に貢献して来たと自負して良い。
 勿論、アメリカをはじめアジア各国、及び欧州諸国の協力も軽視すべきではない。
 今日の日本は、思いもよらず、北と西の両共産国の脅威の下にさらされつつある。それは日本人の良識や慣習とは全く異質の相手国であることを思い知らされた
 だがそれも、国際外交の一つであったと警鐘されているのかもしれない。ならば、日本人も、その厳しい外交・常識に敢然と対処しなければならない。事態は最悪を想定して構えるべきだ。備え在れば憂いなしは、戦前の教訓であった。備えとは何か、日本は、経済力も、技術力も、そして戦闘能力も失っては居ない。
 既に神・仏は、日本国家と国民に警鐘を乱打している。それが、天変地異であり、既に七難のうち六難は現前に表われた。
 とりわけ毎週の如く、地震発生のニュースである。

 残るは他国から戦争を仕掛けられる難が迫って来た。
 日本が防衛力を強化することは、ひとり日本国を守るだけではない。アジアに於ける中国の脅威を抑止することでもある。否、中国自身の独善を許さないとする、中国に対する警鐘でもある。尖閣諸島騒動は一過性のものではない。
 東シナ海、日本海への中国の脅威は今後ますます増大する。
 従ってまず現在無人の「個人所有の魚釣島」などを国有化し、諸施設の建設と共に、自衛隊を駐留させる。そして海上自衛隊を近隣海域に定期的に派遣して演習を行うべきだ。


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