_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

日・米・中は、正三角形か?  平成二十二年三月下旬    塚本三郎

日本の外交は、米国と中国との関係では正三角形だ、との考えが鳩山政権の外交政策にはあるとみられる。小沢幹事長も同様であろう。されば、日米同盟はどうなるのか、と問われれば、それは大切だから、二国間の関係は、より深化すべきだと鳩山総理は弁解した。勿論、就任以来、何度も前言を翻す総理の言動は、信用出来ないけれども。

日米間の同盟を、対等の関係と鳩山総理は就任以来言明しているが、それは、近すぎる米国との距離を広げ、遠かった中国との関係をより近づけて、正三角形に変形せしめる底意があるとしか受取れない。

 今更、説明するまでもなく、日本が、通常の独立国家として防衛力を整備し、自立出来る安全保障の体制を確立した国であることと、隣の中国が、米国と同様の民主主義政治体制を採り、且つ異常な武力中心の覇権国でなければ、遠い米国よりも近い中国に友愛の外交政策を採用することには、誰も心配しない。

 しかし、現実には、中国共産党政権は、日本にとって極めて危険な政権とみる。ここ百年の歴史を振り返ってみるに、日本が、動乱と、事変と、戦争に引き込まれた数々の争いは、すべて中国との諍いである。そのすべての原因を、日本帝国主義が仕掛けた「侵略戦争」と宣伝して止まない中国政権には、余程寛大な日本人と雖も黙視出来ない。

 まして、国境紛争や、自由貿易の際の没道義的犯罪の数々など、中国人の言動は眼に余る。このことは、日本に対してだけではない。今や個人と言わず、国家と言わず地球的規模で、非道義的振舞いを重ね、世界的警告の対象とされつつある。

因縁の地沖縄

戦争で失われた領土は、戦争で取り返す以外にない。これは世界史の鉄則らしい。しかし、沖縄は例外であった。佐藤栄作総理当時は、種々と苦心を重ねて、戦争で失った領土を、外交政策で取り戻した唯一の例外と思われ、佐藤元総理がノーベル平和賞を得たゆえんでもあろう。沖縄は、日本にとっても、米国にとっても、因縁の地である。

 敗戦による、米軍の占領政策は、サンフランシスコ条約によって、日本は独立を得たけれども、占領軍によって、「日米安全保障条約」を承認することを「必須条件」として呑まされた。言わば、内実は、米軍の占領政策当時そのままであった。勿論、それ以前に指示され、制定している新憲法の制定も、教育勅語の破棄も含まれている。

 一九六〇年の日米安保条約の改訂は、国論を二分する大混乱を重ねて、現在の日米同盟が成立している。岸信介元総理の信念と努力の結果であった。要約すれば、

 日本有事の場合には、米軍が防衛の責任を負うが、しかし日本は、米国有事の場合でも、米国に対して防衛の責任を負わない、と云う「片務的な防衛条約」である。それは、日本国憲法には、他国は勿論、自国の防衛でさえも、これを否定する第九条が明記されており、その憲法を押し付けた米国は、その責任を自覚しているからであろう。

その代わり、米国軍が、日本国有事に対応出来るよう、日本国政府には、米軍の防衛活動に必要な基地の提供を義務付けている。

問題となるのは、憲法の前文や、第九条に明記されている、不戦の条文である。

 前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と述べているが、現に信頼できない、無頼の国々が日本周辺に横行している今日、憲法前文の決意をそのまま認め続けていくことは、実状を無視していることであり、政府に対して国民からは、不誠実そして無責任ではないかとの論議が興るのは当然である。

 「第九条に、国際紛争を解決する手段としては、永久に之を放棄する」と在るが、売られた喧嘩には、個人としては「正当防衛」として防御の手段があるとし、また世界各国を見比べてみれば、国家にも、軍備は、それなりに必要だとの常識の論も否定出来ない。

 「陸、海、空軍、その他の戦力はこれを保持しない」国の交戦権は、これを認めない。

 日本国憲法の第九条は、制定当時、荒廃した日本の国土のゆえに戦争とは対象外の国と誤信し、半ば強要だが、他面、誇りをもって国民は、成立せしめたことも否定しない。

勿論、相当の有権者は、やがてこれ等の条文は空文と化することを、堂々と批判していたが、米軍の強い要求に屈せざるを得なかったのが、当時の日本国会の実情であった。

 皮肉なことは、この憲法制定に臨んだ国会議員のうち、「共産党国会議員四人全員」と、日本社会党左派に属していた「穂積七郎」氏の五名が反対した。「こんな憲法は独立国の憲法には値しない」との趣旨である。その共産党と、社会党系の人達が、今日に至って、憲法第九条死守を叫んでいるのは、素晴らしい見識と言おうか、それともマンガなのか。

 沖縄、普天間基地の移設が、今日、鳩山内閣最大の外交課題となっている。原因は、連日報道されているから重複を避けたい。

 既に自民党政権と、駐留米軍との間で、十三年の歳月をかけて、漸く沖縄県内「辺野古」への移設が合意内定し、新政権は直ちに実施するものと期待されていた。

 沖縄に米軍の基地が集中していることへの、県民の被害者意識が高まっている中を、地元の県知事と、市長が政治生命をかけ、加えて政府の、苦労と慰労と振興策の双方の努力で、漸く、この地に落ち着けた苦肉の施策である。ところが政権交代によって鳩山内閣は、相矛盾し対立する三点、即ち連立政権内の対立、地元住民への迎合、その上、駐留米軍の軍事状況の三者の、円満解決が必要と積極的に発言した。この現実離れをした、鳩山総理特有の迎合的発言が、沖縄県民の、「県外か、国外へ」の移設の気運を煽り立てた。

その結果、本年はじめの選挙で、辺野古への反対派が、管轄する名護市長の席を占め、沖縄県議会も、県内への移設に正式に反対の決議を全会一致で行なってしまった。

 鳩山総理は、就任以来発言して来た、見識の無い迎合政治の言動が、自らの政権に対して、外交政策の手足を縛っていることに漸く気付きつつある。

国家観なき政権

 米軍が日本国内に駐留する目的は何か。それは日本国家の平和と安全が第一である。

残念ながら、今日のアジアに於ける軍事力脅威の最大勢力は「中国と北朝鮮」である。

 鳩山政権が、一番大切な「国家観」が最初から無い処に、混迷の原因がある。

本来ならば、沖縄に在る駐留米軍の移設の是非を論ずる前に、日本国家として自国を守る為に、国防の体制を明確に確定することが必要である。

 その根本には、憲法問題の解決が必須条件である。だが法治国家として論ずることは、憚られるが、目下、歴代政権が憲法改正を怠っている間に、日本国は、他国に侵略され、隷属国とされかねない、危機状態を控えている。「憲法の条文がいかがあろうと」と云っては許されないことを承知しつつ、とりあえずは、自衛隊の防衛力を強化し、集団的自衛権を容認し、同盟国米国と信頼されるに足る、防衛体制を先ず強化すべきではないか。

 鳩山政権が、米国の普天間基地の移設で、地元住民の期待と甘い意見を煽り、自ら蒔いた種に翻弄されている。問題は、駐留する軍が、「米軍だから」なのか、或いは、軍ならば、自衛隊でも反対なのか。それさえもはっきりしないし、否、はっきりさせない。

日本の防衛力はGDP比で一%以下である。韓国は二・七%、中国は四・五%、米国は四%以上である。その上、中国の軍事力は公表の二倍〜三倍とみられている。

 日本にとっては、国境と領土問題を抱えた相手国との、彼我の力と外交姿勢をよく考える必要がある。まして中国には台湾問題が在り、沖縄はその直ぐ隣に位置している。

 世界に於ける民主主義政治の「守護神を自負する立場」に在る米軍が、アジアの平和を守る拠点として、日本にその本隊を置く必要は明確である。それは、軍事的にも、物理的にも、かつ精神的にも。とりわけ台湾の動向にも眼が離せないからである。

日本防衛の生命線沖縄

 日本は、アジアに於ける最も発展した経済大国であり、かつ民主政治の手本とされ、平和国家としての信頼を得ている国家である。勿論アジアの平和だけではない。日本経済にとっても、「資源と燃料」の輸送ルートの先端に在る、それが沖縄である。

 インド洋は大丈夫か、そして台湾海峡は心配ないか。中近東から運び込まれるエネルギーの大半は、今日まで守られて来た。だが危惧を抱くのは、最近の中国の動向である。

彼等は既に、日本は俺達の隷属下に在る。しかし、うるさいのは安保条約に基づいて駐留する「在日米軍の存在」であると考えているようだ。だからこそ中国は、日本と米国との間の距離を広げる為に、さまざまの工作を重ねているとみるのは、僻目か?

 小沢、鳩山両首脳が、ことある毎に、媚中の発言を行なっているばかりでなく、逆に対米に関する「対等の発言」も、裏で中国の並々ならない工作が在るとみるのが常識である。

それゆえ鳩山政権は、口では日米同盟の重要性を論じていても、現実は、およそ逆の発言を行なって来たのが普天間基地の移設である。鳩山総理の魂胆は米国のみならず、いまでは沖縄の県民からさえ、自らの蒔いた種として、軽率のそしりを招いている。

 鳩山政権としても、結局は日本自身の安全、米国の全アジアの平和維持、そして沖縄住民の立場等、三者の利害と感情の対立を調和せしめる為に、最後には、自民党前政権が漸く落ち着けた名護市「辺野古」中心に移さざるを得ないとみる。十三年の苦労と努力に、半年の経験を経て、鳩山政権も漸く気付きつつあると判断する。

 鳩山総理と小沢幹事長のコンビによる新政権は、ことごとに、自民党政権時代の悪、即ち、利権に埋没し、堕落した官僚政治依存の実体が、莫大な財政の赤字を招いたことを浮かび上がらせることに奔走した。

その代りに民主党は清潔にして斬新で、庶民中心の内政と友愛に満ちた外交をと、理想の数々を掲げた。それが可能と信じて直進して来たのが「政権交代」であった。

 だが、それに「値する能力と条件」を持たない、幼稚な施政が露呈された。それは、鳩山政権の不幸と云うよりも、日本国家にとって拭うことの出来ない災難とみる。

民主党は速やかに、反省して、今まで手がけた不始末を、正常に戻すべきだ。

 後を向いている鳩山政権に、向きを変えろと言っても無駄か。だからといって自民党に期待するのは、更に無理と見られている。

無理々々の中でならば、自民党と民主党を解体して、政界を再編するより期待出来ないのか。ここに至って国民大衆は、両党の無責任で頼りない姿を見通し、政界再編による新しい政権への期待が膨らんでいる。

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