謹 賀 新 年
新しい年を迎えましたが皆様には、お健やかに新春を迎えられたと信じます。
さて日本の政局は、極めて不安な混乱の年を迎えました。
平成二十二年一月上旬 塚本三郎
民主党はルールを守れ
革命政権が無血で成立したと、鳩山首相、小沢幹事長は勘違いしているようだ。
無血で「政権交代」が出来たのは、民主主義政治下では当り前のルールである。
民主主義は言うまでもなく、前政権の政策、特に外交や条約については、それを踏襲することは当然のルールである。だからといって、それの手直しをすること、即ち、足らざるを補い、行き過ぎを改めることが「政権交代の長所」でもある。
政権交代によって、天下を治めるのは我々だと豪語し、前政権のうち、特に、外交、防衛等、関係国と関わりの大きい政策を、根本から否定することは、革命政党でなければしない。それは民主政治の舞台へ、土足で踏み込む独裁者の振舞いとなる。
民主党は平成二十一年八月末の衆議院選挙で、おおげさなバラマキの、無責任なマニフェストの宣伝によって、国民の欲求を吸収して大勝利を得た。
国民生活第一、地方の再建、対等な日米関係、新興国との関係強化等の耳ざわりの良い政策を強調した。これは民主党の長期的国家戦略と云うならば良かろう。
だがそうではなく、選挙で勝利する為のスローガンで、権力を獲得する為の戦術に過ぎなかった。ならばそのようなバラマキの人気取りは、民主主義の最悪の手法ではないか。
鳩山新政権の発展から一〇〇日間は「ハネムーン期間」とされ、野党も激しい批判は控え目であった。だが今日、年明けても「米軍普天間飛行場移設」は先送りされ、米国から、国家間の約束違反だと不信を募らせている。
選挙時の公約で、マニフェストに掲げた各種の政策は実施されず「約束違反」と報道され、「公約詐欺」で、民主党は国民の為ではなく、自分の党のための政治を行なっていると、野党は厳しく非難している。
親民主党と思われる新聞も、次々と不満の記事が続く。与党公約断念・苦しい釈明、税制は内閣で決められず、小沢幹事長の一言で決まる二重権力、生活者の負担増が鮮明、歳出も削れず、つじつまを合わせる形で生活者の負担増(以上昨年末、各新聞の大見出し)。
鳩山内閣が必死になって財源を探し、歳出を削る努力をしても実体は逆となりつつある。それは日本が置かれた政治状況が極めて厳しいからである。
今日まで、自民党政権が苦労していることを、承知の上で非難し、民主党が出来もしない、現状無視のおおげさな事項をマニフェストに掲げたことは、選挙戦術を「詐欺」と言われても仕方がない。或いは民主党が、日本財政の実体を知らずに理想のみを掲げたならば、まず国民に陳謝すべきである。
そして子供に諭すように説くその言葉は、何人も否定出来ない言葉の積み重ねであった。
例えば、――人間とコンクリートと、どちらが大切ですか、とか
――日本と米国と、どちらが大切ですか、とか、
この言葉は、「子供だまし」の発言ではないか。
人間生活を守るために、ダムを造って洪水の水害を防ぎ、人間生活に必要不可欠の水源に備えるための事業として、ダムが造られた。
また日本は憲法によって、自主防衛の基本さえ改めていないから、それが確立出来るまでは、補完的に、米国に頼らざるを得ない。
日本国家が大切だからこそ、防衛を補う手段として、日米同盟がある。
米国との対等の関係とは
米国の圧倒的な軍事力が、いつまでも続くとは考えられない、軍事力は経済力との関係で、強くもなれば弱くもなる。多少のタイムラグはあるが、長期的には、米国の経済力は、徐々に衰退するとみる。既に一九七〇年代のニクソン・ショックから始まっている。
日米同盟の強化は、米国への依存の強化ではなく、弱体化しつつある米国を、わが国が自主防衛の体制を強化をすることで、日米が「相互に補強する」ことが大切だ。
自分の国は自分達で守るという、ごく当り前のことを、いつまでたっても覚悟しない今日の日本政治。そして「核を持つか、持たないか」の議論で思考を停止している。
どこの国でも自主防衛が基本である。それをしないのは先進国では日本だけである。
外国との防衛条約は、自国防衛の補完に過ぎない。ここで配慮しなければならないことは、残念ながら、何れの国も、防衛条約は守らなかったことの方が多い。自国が不利にならない時だけは守る。それが同盟国の歴史であった。
民主党は、衆議院選大勝直後から、仮面をかなぐり捨てて、マニフェストにはかくしておいた、嫌米、親中・親韓とみられるような政策を堂々と打ち出して来た
政治の世界に慣れている者にとっては、やっぱり本性を露呈させたな、卑怯な輩だと悲憤に燃えていても、素朴な有権者にとっては寝耳に水で、大混乱を引き起こしつつある。
鳩山首相も、同盟を深化する方法の一つとしては、対等となるべく努力することは良い。米国の足らざる点を補うこともその方策だ。しかし鳩山首相は、反米とは言わないが、日・米双方の距離を広げつつある、それを対等と云っているのではないか。
米軍の普天間基地の問題で、鳩山首相は県外とか、国外と、不用意に発言した。
沖縄県民にとっては、米軍が戦後六十数年、占領政策そのままに居座っており、常時、戦争体験の訓練を見せ付けられている。その間に、思わぬ被害も折々起きた。
県外、国外への県民の声が大きくなるのは致し方がない。だが、日本国家にとっても、米国にとっても、沖縄に米軍が居てくれることが、今日の軍事情勢としては必要である。
米軍に頼ることから脱却する為には、日本の軍事力と防備を強化して、代替の力を持つ以外にはない。だから、今日のところ、日本政府は、沖縄県民に駐留米軍の存在に理解を求め、その痛みを補う最大の施策を講ずることが必要である。素朴な県民に迎合するのみでは、日本国全体を考える政治ではない。
隣の中国をはじめ多くの国々は「国家の基盤は軍事力」と考えている。
鳩山首相は、迫り来る近隣諸国の変化と脅威を学ぶ誠意がない。ゆえに「友好の海」と逃げの言葉を述べているのは、「痴呆症」だとまで論ずる人が居る。
「ゆうあい」政権ではなく「ゆうだけ」政権だと評したのは、評論家・森田実氏である。
日本の政界は、自分の足腰で立つと言う、独立国本来の意識を、与野党共に、めざめることが、今日の最大の課題である。
天皇陛下の政治利用(中国・韓国)
中国の習近平・国家副主席が来日し、天皇陛下や鳩山首相と会談した(十二月十五日)。
天皇陛下が国際親善のため、外国要人とお会いになることは大賛成である。だが日本の政治家や外国の要人が、自国の政治に利用せんとする場合には、余程の配慮が必要である。
中国国内では、胡錦濤主席と江沢民前主席とは、裏で、激しい権力闘争を行なっていると言われている。習近平副主席は、その渦中の一方の代表と目されている。その人を、小沢幹事長が訪中し、その事情を承知の上で、鳩山首相に指示したと聞く。
続いて訪れた韓国でも同様に、天皇訪韓に賛意を表したと伝えられている。
小沢幹事長は、ソウルの国民大学で講演し、約二百人の学生を前に、日本による三十六年間の「植民地支配」を謝罪し、若者が新しい時代をつくってほしいと語りかけた。
日本と韓国との、過去の歴史、とりわけ併合の歴史は、極めてデリケートな解釈の相違があり、その違いは天と地の差が在る。
日本の立場で論じた歴史は、日清戦争の日本勝利によって、清国に対し、清国の藩属だった「朝鮮を独立国と認めさせた」のが、下関条約である、とされてきた。
また明治四十三年の日韓併合は、正式の条約で成立した。それゆえ日韓両国は国内では「対等の施政」となり、李王殿下の后として、日本の皇室から方子姫殿下が嫁している。
当時、小学校は六十校であったのが、僅か四十年足らずの終戦時には三千校と、本土並みの教育を施し、また帝国大学は、名古屋帝大より先に、京城帝大が設立された。それが植民地扱いなのか。世界史では、こんな植民地政策の例はない。
それをしも、「植民地支配」と主張して、陛下を招いて、謝罪を求める時の大統領の「地位を権威付ける」政治利用は、断じて許してはならない。
日韓併合のいきさつ、及びその後の解釈について両国の間には、天と地の相違を含んでいるからこそ、今日に至るも、天皇陛下の政治利用を警戒して、極めて近い日韓関係に在りながら、御訪韓が実現できなかったことは、政治常識である。
その日韓併合が、植民地支配だとの、誤った韓国の主張そのままを、小沢幹事長が賛意を表して謝罪し、天皇陛下の御訪韓が万一行なわれたならば、日韓関係は、歪められた歴史そのままが、永く尾を引くことになる。それは正しい日韓親善ではない。
黙っていることは卑怯だ
まして、永住外国人に、地方参政権の付与を韓国で発言し、成立を約束することは、一民主党の大幹部のオゴリ以外の何ものでもない。内閣無視であり、国会の軽視も甚だしい。
更に危惧すべきは、韓国向けの対策と見えても、最も重視すべきは、中国に対してこそ警戒すべき内容を含んでいる。例えば、日本領土の一部占領は単に韓国に対する「対馬」だけではない。万が一尖閣諸島への大胆な移住が、中国政府の策略で行なわれたならばどうするのか、それはチベットや、ウィグルの事態を想像するだけでも悪夢である。
鳩山首相と小沢幹事長の行動は、このままでは亡国の道を辿りつつあるとみる。民主党には、良識に充ちた国会議員が沢山居るはずだ。これらの人々は、党首脳に、心ならずも追随していることが多いとみる。鳩山、小沢両氏に対して、堂々と是は是、非は非として信念を吐露すべきだ。それが国会議員の自負ではないか。良心と信念を貫いて行動することが、愛国者であり、かつ愛党に燃えた代表だと思う、黙っていることは卑怯だと言いたい。日本の運命を担っている与党の重責を忘れるでない。
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