激変の時代を迎えて 平成二十一年十二月下旬
塚本三郎
アメリカ衰退のキザシ
アメリカの後退は、十九世紀末から二十世紀初めにかけて、七つの海を制覇していた大英帝国の覇権が、縮小していった流れに似ている。
アメリカは、かつてベトナムの南北戦争で、南の民主政権を陰で支援していたが、最後には、自らが前面に出て戦わざるをえなくなった。しかし地球の裏側からの支援である。
北を支援するのは、同じ共産主義の、すぐ隣のソ連や中国との争いとなり、アメリカは疲れ果て、遂にニクソン大統領は兵の撤収を余儀なくされた。
また、ブッシュ大統領は九・一一事件に苛立ち、イラクの独裁者サダム・フセインが、大量の破壊兵器を秘匿している、彼こそはテロの温床と決めつけ、突如、近代兵器と大軍を投入して、イラクを征服し、テロ撲滅を名目に巨魁を倒した。しかしイラク国内の民族と宗派の対立に腐心し、莫大な軍と予算を投入して、漸く落着きを取り戻したかにみえる。
結果として、膨大な軍を派遣したのに、今日では、手を引かざるを得なくなった。
そして、その軍を、やがてアフガニスタンに移して、テロの首魁ビン・ラディンの棲む悪の温床の一掃、と叫んでいるのがオバマ大統領である。
歴代の米大統領は、大量の軍を海外の紛争地に派遣して、世界の警察軍であることの証を示威している。このことが莫大な国費を浪費して、アメリカの国力を減殺しつつある。
現在のアメリカの担う宿命を省みれば、一世紀以前の「大英帝国の没落」そのものと余りにも似ている。
否、英国や、米国のみではない。共産主義の母国と自負したソ連でさえも、東欧諸国を包含し、やがて全欧州を、そしてアジア全域をも手中に収めんと欲した。だが、アフガニスタンへの侵攻に失敗したことを契機として、自壊を余儀なくさせられた。
今日、またオバマ大統領は、それら巨大帝国(英・ソ・米)の失政の歴史を軽視して、再びアフガニスタンに、全政治生命を賭けんとする愚を推進しつつある。
人類には、生存の為、民族自決の原則がある。他民族からの支配は、いらぬお世話だと受け付けない、たとえそれが充分の好意とわかっていても。
大英帝国が、かつて世界支配を永く続けることが出来たのは、陰で支えたアメリカが居たからであった。その後を受け継いで支配者となり得たのは、当然の如くアメリカである。そして、アメリカが、百年の支配をめざす歴史の終焉を迎えんとしている今日。さて、その後を継ぐのは、何れの国なのか。
覇権を狙う中国
日本の防衛力及び経済力の衰退と無力を承知の上で、アメリカの「思想的敵国」である中国が、アメリカの支配権の後継者であるが如く振舞いつつある。
その姿は、日本人の眼には、戦国時代の例を、徳川家康にみれば余りにも似すぎている。
今日の世界は、四百年前の日本の戦国時代そのものである。太閤秀吉に媚を売りつつ、ことごとに、秀吉の遺児秀頼を助けるふりをして、豊臣家臣団を篭絡し、彼等を味方として天下を乗っ取った、徳川家康そのものに見える。
経済的に強大化しつつある中国は、その力をもって、強力にして近代的な軍事国家をめざし、毎年、軍事力の二桁増大を続けて今日に至った。目的は明白で、暫くの間はアメリカに寄り添いつつ、その力を逆利用する時代を続けることであろう。
経済的に疲弊しつつあるアメリカは、心ならずも、ドル保有の最大債権国となっている中国に対して、経済的から政治的にさえも「ノーと言えない」立場に立たされている。
アメリカにとって、アジアに於ける唯一にして、最大の同盟国日本よりも、思想的敵性国家、中国共産党政権を重視せざるを得ない事態となった。
中国の政権は、アメリカの底意を承知しているから、この機に乗じて、先ず、アメリカと日本との離間を策しつつあるとみるべきだ。
今日の日本は、アメリカの庇護を受けていることを承知しつつも、「アメリカと対等の関係」をと、軽率に発言する鳩山民主党政権の態度は、すでに日本政府の懐柔に、中国の政略、即ち日米の離間が、半ば功を奏しつつあるとみるべきではないか。
軍国主義中国は
歴史的に、ことの順序から言えば、中国政権のネライは、まずアジアを支配し、その結集力の成果を背景に、アメリカが支配していた世界の覇権を、そっくり肩代わりすべく、全世界へと手を延ばしつつある。既に、アメリカの足許の南米各地の反米帝国へ、そして、アフリカ各地域に、援助と云う名の資金から、軍隊までも増派、増強しつつある。
本年十月一日、中国建国六十年を記念して、壮大な記念式典を北京の天安門広場で挙行した。街中にあふれる建国六十周年を記念するポスターや旗の数々、そして国営テレビは、建国記念の特別番組を流し続けた。
ところが、建国祭典が行なわれた北京の中心部には、人っ子一人いなかったという。軍事パレードを中心とする建国式典は、報道を見るならば、まるで全北京市民、全国民のお祝いの中で行なわれたように思われる。
しかし、実のところ、一般市民は見事に締め出された中で行なわれたのである。
市民が会場となった天安門広場周辺に出入りが出来るようになったのは、やっと二日になってからのことだった。その間、この界隈に出入りできたのは、当局から認められた人だけである。
王府井と軍事パレードが行なわれる長安街との交差点には、武装警察官が、装甲車の前、自動小銃を構えているという、ものものしさである。
記念式典の警備には、北京五輪を上回る百五十万人もの警備陣が配されたという。
チベットやウィグルの独立を主張する人たちがやって来ることと、法輪功への迫害を糾弾したり、民主化を要求する人たちを排除するために、警備体制が組まれた。
中国は数々の矛盾と無理を重ねつつ、それを強引な成長で覆い尽して驀進している。
この暴走列車は、いつ止まるのか。
『ザ・リバティ』十二月号 「赤い巨龍はどこへ行くか」
中国繁栄の土台は、安い人件費目当ての「民主諸国家の持ち込む投資」が中心で、自力の経済成長ではない。その上、独裁政権は、人民の為の政府ではなく、人民を抑圧する警察国家であり、軍事力に最重点をおいている。更に汚職役人の腐敗は、眼に余る。これ等の悪条件は回復の見込みが無い。まして多くの異なった民族を抱える中国は、米国の如き多民族国家として、民主的に国民の声を調和する政体ではない。
それ等を抱え込む胡錦濤政権は、巨大な政治力を背景とする政敵(上海族・江沢民一派)
を背後に控えている。人民の不満の暴発が、中国革命の歴史であるとすれば、それは、やがて避けることが出来ない。それがいつになるのか。
中央アジアは世界の火薬庫
アフガニスタン・カザフスタン・トルクメニスタン・ウズベクスタンといった新興国に百五十億バーレルの石油と、三兆立方メートルの天然ガスは、市場価格で三兆ドルを超える資源が埋蔵されている。その量はカスピ海周辺の石油と合わせると、今後五百年間分の世界石油消費を賄えると計算する。その資源の争奪戦が、大国間で争われる死闘だ。
かつてソ連の指導部は、その資源を外国に輸出して、外貨を稼ごうと考え、アフガン経由で、パキスタンを抜けるパイプラインを建設しようとした、それがソ連のアフガン軍事侵攻の真の狙いであった。
その時アメリカは、ビン・ラディン等のアフガンを支援する外国人部隊と、土着の勢力に協力して、ソ連を追い出した。それが十年に及ぶアフガン戦争であった。結果的にソ連帝国は解体した。その中心人物ビン・ラディンを、アメリカが助けたのに、今回はなぜその彼が、米国の九・一一テロの主犯へと反逆したのか。
昨日の味方が敵となったのは
アメリカのブッシュ一族は、祖父の代から、国益を軽視した、ある意味では、悪名高き一族と言われ、非合法な手段で政治を動かし、石油や金融利権そのものを紛争と化した。
アフガンの対ソ戦争の主役ビン・ラディンを、アメリカが支援していたことは判る。
次に起こったテロで、アメリカとの仲間割れは何が原因か、ナゾに包まれている。
二〇〇一年六月、アメリカの高官が、米軍は十月には、アフガンへ攻撃する準備を進めているとほのめかした。この情報を耳にしたビン・ラディンは、アメリカ軍の攻撃を受ける前に、先制攻撃に出たとの見方がある。
また二〇〇一年八月には、ロシアのプーチン大統領(当時)は、アメリカに対して、空港や、政府機関を狙ったテロが間もなく起きると警告している。この時のロシアは、米軍と協力して、ビン・ラディン退治に加わっていたから。
そして中国は、逆にビン・ラディンを助ける立場で、種々と工作しており、隣のイランとの連繋も欠かせない。「昨日の敵は今日の友」。これが国際情勢の複雑さである。
そして今日、また、テロ撲滅の大義の下に、アフガンに対して、目下派遣している米軍の数では不十分だから、更に三万の増派をという現地の要請に応えて、イラクの治安回復の結果、軍を引き揚げる米軍を、イラクからアフガンへ移駐するとオバマ大統領は言明。
アメリカが九・一一事件の仇討ちや、石油利権のためならばその意図はわかる。
指摘すべきは、日本が、かくも複雑にして危険な地域に、莫大な資金を、何の為に投入するのか。自衛隊のインド洋における活躍を快く思わない鳩山首相は、インド洋から手を引くことで、米国への弁明をするため、即ちアフガンの治安回復のため、日本はアメリカと協力して、警察力増強の費用を負担すると言う。
アメリカのオバマ大統領でさえ、アフガンの増派に対して、アメリカ議会で非難の声が強いのに、日本政府が、日本産業の生命線と考える、石油の輸送航路確保の為でもある「インド洋の給油を放棄」して、その何倍かの資金を、対日不信の尻拭いとしてアフガンに注入せんとする大金は、国益の無視ではないか。
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