冬の時代を迎えた日本 平成二十一年十一月下旬 塚本三郎
民主党政権の誕生
水は高い山から低い谷に流れるが如く、人間生活も、欲望や感情が理性を押し流す。ゆえに人間も国家も、易きに堕ちてゆく習性がある。
平穏無事にそれが許されるならば、難なくその習性に従う。
敗戦後の日本は、安全保障と外交を、勝者米国に追随することを余儀なくされた。これを逆利用して、今日の平安と繁栄を迎えている。その為の平穏こそ、また逆に国家としての自立心と理性を喪失したまま過したのが、自民党政治のブザマな、ここ二十数年の歴史であった。
ならば民主党は、選挙中自民党を批判しつつ、もっと怠惰な福祉の餌をばらまいて民衆の関心を集め、大衆迎合の宣伝戦を展開し、更に「政権交代」一本槍によって勝利を得た。
民主党の叫ぶ「政権交代」の怒号に、国民は応え、期待して鳩山政権の成立となった。
面白い人、美人だから、若さがあるから、知名度があって当選の近道だから、等で選ばれた民主党の国会議員が多数揃った。
これでは国会でなくなってしまう。だから民主党首脳は一年生議員を集めて、返事の発声から、野次の仕方から、出欠の可否まで、真剣に指導している。「まるで我々は小学一年生だ」との新人議員百余名の中からボヤキが出たと報道されている。
国会議員には、内政だけではなく、外交、防衛、教育にも、優れた学識と指導力と決断力が、国家の代表者として期待されている。これ等の新人議員が立派に育ち、成長することを祈る思いで期待する。
心配しなければならないのは、鳩山首相をはじめとする民主党首脳の言動である。
「子供手当て」や「公立高校の無料化」や「高速道路の無料化」等のバラマキ福祉。また、コンクリートよりも人間を大切にとか、官僚支配の禁止等、庶民の耳ざわりの良いスローガンと政策を持ち出し、選挙中に打ち上げ、国民に大きな期待を抱かせた。
誰も反対しない、否反対出来ないことを計算しての叫びとみる。
だが、良い政策にはすべて財政の裏付けが要る。それも、これも、良いことであっても、それなりに理由が在って、自民政権時代には引き伸ばされた政策が多い。それを実現することに、国民が期待することは当然である。
しかし、自民党政権で為し得なかったことや、不充分なことは、政権担当者となった以上、もっと注意深くその原因を調べ、順序と時間をかけてじっくりと取り組むべきである。
選挙の時だからこそ、極論を、そして端的に主張したのであるから、直ちに実現することは難しいが、温かい眼で見守って欲しい、と誠意を尽して国民に説明すべきではないか。
幸い政権を手中に納めたからと云って、選挙時の主張と発言を、そのまま首相や担当各大臣が、勇ましく正直に発言しているから、国民には、バラバラの内閣とみえてしまう。国民は、実際には難しいと承知しての投票であるから、あわてることはない。
弁解よりも率直に修正を
かつて、自民党政権の用意した日銀総裁の人事に対して、野党だった民主党は、大蔵官僚の天下りは駄目、と反対したから、当時の政府は今日の総裁に切り替えた、然るに今日では、日本郵政の西川社長を引き摺り下ろして、新社長に斉藤次郎という旧大蔵省事務次官を就任させた。また副社長四名のうち二名も官僚出身という。
斉藤氏の如く、何度も天下りを重ねた人物を、有為な人材と弁明する。官僚の天下りは駄目とか、次々と渡り歩くことは許されないと云ったことは、「選挙公約が嘘」であったと追及されても仕方がない。
だから今日となってみれば、民主党は、選挙時の発言やマニフェストでは、嘘を言ったつもりはなかった、しかし言葉足らずで大袈裟な表現を使いすぎたことは失言であった。その点を謝罪し、是正、修正させて頂くと謙虚に、誠意をもって全力を尽すと誓うべきだ。
各閣僚の答弁は残念なことに、開き直り、弁明と反論が多い。
自民党政権でも出来なかったではないか、君達でも長い時間をかけて、やっとこんな程度ではなかったか、と反論するのは見苦しい。民主党閣僚の言うとおりだからこそ、自民党が国民からノーと断罪され、君達に天下が回ったのだ。その、ノーとされた旧政権を持ち出して弁明することは、国民の期待を裏切ることになる。
民主党新政権には、かつて民社党議員として、私と一緒に国会活動を重ねた同志の国会議員三名が大臣に就任している。各人見識の在る人物だから、活躍に大きく期待したい。
心配なことは、民主党が独立自尊の国家としてどう在るべきか、進むべき方向が党として定まっている姿が見えない。まして鳩山由紀夫首相の発言に、ブレが大きい。
政党としての民主党は、党の綱領なしで、発足して十一年目である。ゆえに「思想と理念」の見えない政党である。
自民党の失敗に学べ
戦後の自民党政権を支えて来たのは、各種業界団体である。欠かすことの出来ない支持基盤であった。それが自民党首脳にとっては、時間の経過と共に、自分達の支持は当り前と、自惚れ、その代り、税制をはじめ各分野で便宜を供与し、それが癒着と非難された。
小泉元首相は、癒着に含まれる不純の打破をめがけ、おおざっぱに、党と諸団体との関係の打破へと、無批判に進めてしまった。
それは、いっときの拍手を得たけれども、冷静に振り返れば、支持母体の破壊であり、自民党からの離反となって、自壊を招いた。今にしてそれに気付いたことであろう。
例えば、医師会、歯科医師会等の医療関係諸団体、公共事業を請負う建設業界、果ては郵便局長会等々、自民党を支えた膨大な支持団体は、小泉政権以来冷え切っている。
その上、自公連立政権によって、公明党を創っている創価学会に、警戒心を怠らない各宗教教団が、結果として自民党離反を招いた。
主張が如何に正しくとも、その改革を、末端の大衆に浸透させるのは、各組織団体が最も有力である。自民党支持組織が崩壊の危機に来ているのに、自民党首脳は無頓着である。
それに反して、民主党は「連合を中心とする八百万余の労働組合組織」が、「政権交代」の希望の下に、単純に、我々の政権が誕生するのだと、期待に燃えて選挙戦に加わった。
その両者の是と非を、今回の選挙で大袈裟に仕分けし、民主党有利への宣伝に終止したのが、マスコミの片寄った報道とみる。
小沢独善党の危惧
かつて政権担当内閣で、幾度か幹事長を務め、田中角栄の秘蔵っ子として経験を積んだ小沢一郎氏が、今回の選挙戦を指揮し、民主党勝利の源動力となった。
陳情政治こそが民主政治の根幹だと主張し、実践したのは小沢の師田中角栄である。
小沢氏が民主党幹事長となり、総理大臣以下、各官僚にニラミを効かし、かつ表面的な責任を避ける立場で、事実上の政権党の総支配者となった。
彼は、地方自治体などの陳情は、民主党の都道府県連が受け、それを党本部幹事長室が、政策として取り上げるべきか否かを審査すると言い出した。
陳情政治こそ、民主政治の基本だと教えられ、それを学んだ小沢にとっては、かつて自民党時代に行なったその真意を、逆手に取って強化した処置である。
政府への陳情の前に、「新たな関門」だとの声が、各地方から上がるのは当然である。
地方の代表は、官僚への陳情の必要はない、と小沢は断定する。
中央も地方も、実際の行政は官僚が行なう。政治家はそれの指導と監督者である。その実際の行政の頭越しに、上の政務官―副大臣―大臣―民主党―幹事長へと上がってゆく。
小沢幹事長を支える部下に十四名の副幹事長が居り、そのうちの二人が、陳情の内容を政府三役につなぐか否かを、陳情の内容を審査し、妥当と認めたものをつなぐ。
このシステムを編み出した最大の狙いは、自民党時代の「政と官と業界の癒着」で、存在感の大きかった「族議員を排除」するに在ると弁明する。しかし、それがまた今日までの自民党の「地方組織の強化」に繋がったのだと判断する。
その手法を、今度は民主党が逆に利用し強化しようとする。
すべての陳情は、民主党の関門を通さなければ政府へ通じさせない。それは、党の小選挙区や各府県連の地方組織が、自分達の所属する自治体(県や市町村)は「親民主か」「中立か」「反民主か」によって、陳情を党本部へ上げるか否かを決めることになる。
反民主ならば、日本政府を担当する民主本部はその陳情を受けない。おおげさに言えば結果として、日本国民ではない、と判断する扱いとされる心配が出る。
地元の意に沿って、予算獲得の後押しをすることは、議員の政策活動の強化につながると云う。かくして政府三役は、日本の国家国民の政府ではなく、民主党の為の政府となり、かつ民主党政権強化を第一義とする予算とならざるを得ない。
行政の責任を保持する、実行部隊の霞ヶ関の高級官僚に対して陳情しても意味がない。
その結果、自公政権時代の各種業界団体が、今までの如く、税と予算の優遇を求めたいならば、民主党の軍門に降れ、と云わぬばかりの独裁体制を敷くことになる。
まるで「中国の共産党一党独裁政治」そのものではないか。
自公政権時代を褒めるつもりはない。されど民主党の云う「我々の党を通さなければ」、各種団体は、各省庁行政の官僚に陳情しても意味がない、と断ずるのは一党独裁である。
人間生活には、正しいと信ずることがあれば、その反対のことも少なくない。
まして、反対の立場の集団に、耳を傾ける処にこそ。民主政治の平等の精神がある。
小沢幹事長は、「鳩山内閣の独走」をチェックするつもりかもしれない。また政と官と業の癒着を監視すると云うが、それ以上に、一党独善の中国の共産政権の真似とみる。
民主党は、日本国家をどんな国にしたいのか、国家の存在意義を国民の前に明確に示すことが第一義である。それが、全く見えない。否、示すことの出来ない政党の出現によって、日本は今や真冬の時代を迎えつつある。
今日の日本は空前の不況に喘いでいる。世界一、治安の良さを誇る国に、凶悪犯罪が絶えない。日本の将来に自信と希望が持てなくなった原因の一つは、政治に失望しているからだ。自民党に絶望した国民が、民主党に光を求め期待したことを忘れるな。
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