鳩山対吉田の孫達の因縁 平成二十一年十月上旬 塚本三郎
政治とは、天命なのか。否、大衆が天命に動かされ、振り回され、大きな波動となって、政治を因縁付けて来たのではなかろうか。
政党政治の出発
敗戦後いち早く自由党を結成したのは、戦前からの因縁に基づいて、鳩山家を引き継いだ鳩山一郎が中心となり、河野一郎や三木武吉が中核となって結成した。
ところが、不幸にも彼等は、戦時中の言動が問われて、公職追放の身とされた。
致し方なく、折角創り上げた自由党を、吉田茂を中心とする官僚群に、その党を預けざるを得なかった。鳩山等は、追放は、ほんのいっときのつもりであった。
ところが中々解除されない。吉田派が解除を延ばさせたとの憶測もある。
解除になれば、吉田が鳩山に総裁を譲るものとみていた。ところが、日本が独立し、追放を解除になっても、吉田派は一向に総裁の席を譲る気配をみせない、公党である自由党総裁の席を、私的感情で軽々しく譲るべきではないと弁明して。
一方、鳩山は、政治倫理として直ちに譲るべきだとして、両派は対立を深めた。
問題がこじれた結果、吉田は抜き打ちで衆議院を解散した。
争点は、独立後の「憲法改正」と「再軍備問題」であった。
吉田首相は米国の機嫌を窺い、憲法改正と軍備強化に消極的だ。鳩山派は吉田派と対抗するため、再軍備と憲法改正を主張した。
一方、改進党は再軍備を提唱し。日本社会党は、左、右とも再軍備に反対した。
選挙の結果、追放解除されていた反吉田派が、「日本民主党」を結成した(衆院121名)。
日本民主党は、占領以来の諸制度を改正し、独立自衛力の完成を期する、と綱領五項目を発表した。そして選挙に際して、特に憲法改正等を訴えた。
保守合同の自民党
民主党はやがて社会党の増大に対抗して、自由党と合同した。五十五年体制であり、保守合同である。保守合同の結果、鳩山一郎が、漸く保守党の自由民主党総裁の座を占めることが出来た。鳩山一郎の治績は、ソ連との国交回復が唯一の事績とされている。
鳩山一郎を中心とする反吉田派の遺恨は、即、嫌米へと連動していると推測する。原因は占領下の公職追放に在るとみる。
日本民主党結成時、即ち政界復帰時の綱領が鳩山一郎の真意ならば、その後の保守合同となっても「憲法改正」と「軍事力の強化」を、蔑ろにするのは、いかにも問題だ。
吉田派が、占領下の憲法を擁護し、米軍に安全保障を委ねて、ひたすら経済復興、発展に努めているのとは、対照的であっても当然ではないか。
米ソ対立の冷戦下、日・ソ国交回復を行なった鳩山一郎の魂胆はみえみえである。
「戦争で失った領土は、戦争で取り戻す以外にない」、これは世界の軍事常識である。
だから北方領土の返還は、戦争以外にはないと思うかもしれない。
だが、日本の奪われた北方領土は違う。日本は、ソ連とは戦争を行なっていない。
当時日ソ中立条約下であり、日本はソ連に、戦争終結を仲裁してもらうべく依頼していた。駐ソ大使・佐藤尚武から仲裁の依頼を受けた仲人であるソ連が、日本の戦意喪失を知って突然敵方となり、北方領土を強奪したことは「火事場泥棒」そのものである。
その没道義の国に対して、眼前の国家目標としている「北方領土返還」を軽視し、而も、軍事同盟の米国と対立していた国と、何も得ることなく国交回復を行なった。鳩山一郎の行動は、吉田派に対するツラアテとも思える。
しかも、資源欲しさに投資した「サハリン2」さえ、やがてロシアに没収された。
独立した日本が、未だ占領下の如く、米国の意向に従属したままの政治は、国民の望む処ではない。だから鳩山派の主張する「憲法改正」も「防衛力強化」も、国力にふさわしい、独立自存の体制整備は不可欠である。ゆえに国民は当然、鳩山派の人達に期待する。
しかし、それは口実だけで、日米同盟さえ骨抜きにし、実体は、平和ボケの国民を養成するだけでは、国家の前途は危険である。
鳩山一郎対吉田茂の祖父の争いが、孫にまで引き継がれている、不思議な争いが今日の日本の政治である。
吉田茂の流れを汲む官僚群、そして孫の麻生太郎たちが自民党の主流となり、現状に甘んじ、ひたすら経済の底入れに余念がなかった。対して鳩山一郎の流れを汲む党人達。その孫の鳩山由紀夫が、脱官僚へと対決した。
自主独立は中国への媚態
日本経済が外需即ち輸出貿易中心の発展を遂げつつあったとき、自民党内には、異質の政治家田中角栄が、頭角を現した。
田中は、資源外交について対米依存の不利を悟って、全世界に、必要な資源の開発と供給の場を求めた。それが世に云う「虎の尾を踏んだ」ことになり、米国の怒りを買った。
しかし、一方では「日本列島改造」を実現する為、財源として「受益者負担」の税源を確立させた。その結果全国の道路網を完備させて、世の喝采を浴びた。
政治家は、税を使うことに熱心であるが、税を生み出すことを考えなかった。その点で、官僚群では為し得なかった手法を、田中が実現してみせた。
田中を師として、小沢一郎、鳩山由紀夫たちが、日本の自主独立を掲げて、官僚群、即ち吉田の流れを汲む、福田、麻生に対抗することは、事の成り行きとしては極く自然の流れである。残念なことは、小沢、鳩山一派にとっては、日本国家の「独立自存」は、嫌米、反米の口実に過ぎず、その行き着く処は、「憲法改正でも防衛力の整備」でもなく、中国に媚びる道を進めつつあるのではないか。自らが主張することと、全く相反する、平和と名づける「日本弱体化」に他ならないことが、徐々に露呈されつつある。
日本が激動する世界の荒浪の中では、現憲法を保持し裸のまま「非武装」で立つことは無謀であり、余りにも危険である。
今日の日本は、日米同盟のキズナをより強固にし、国力にふさわしい防衛力の整備を実行し、憲法改正をすることが急務である。それがなければ対等の外交は成り立たない。
鳩山一郎から孫に伝えられた由紀夫が、日本の総理大臣に就任した。
吉田から孫の麻生への反感という、私怨を含む対立者が、国運を懸けた政権の主席に着き、日本の安全と防衛をも軽視する、その危険を警鐘せざるを得ない。
鳩山政権の危うさ
鳩山由紀夫は大衆受けする政策ならば、何事もためらわずに発言して勝利を得た。
内閣総理大臣は、単なる評論家ではない。「倫言汗の如し」と言われるように、発言したことは、必ず実行し、実現させる責任と義務がある。
政権を手中に収め、奪取する為には、多少の言い過ぎや、やり過ぎは選挙戦としても許されよう。だが余りにも極端な政策は、熟慮と控え目でなければ、重みが無い。
麻生太郎前総理の失言が重なったとしても、余りにも対立する政策の距離は大きい。
「政争は水際まで」は、政権交代を普通のこととする民主政治下に在っては、守らなければならぬ国家としての生命線だ。日本の外交と防衛が、与党と野党では極端に対立している、今日の危険な状況下に在ることは、誰の眼にも明らかである。
日本は、日米同盟下で永く平和と繁栄を築いて来た。最近になって、幾つかのヒズミが露出して来たことは事実であり、双方がそれを繕う努力は当然である。
だが小沢一郎や鳩山由紀夫などが、日本の全権を握った今日、彼等が従前の如く、親ロ、親中から、媚中にのめり込みつつあることを、心ある国民は等しく心配している。
鳩山新総理が、初訪米で「日米同盟の強化確認」を、両国首脳会談で約束したことに、日本国民等しく胸をなで下ろしている――それでも私は未だ安心していない。
日米同盟を強化確認したならば、従来言って来た、嫌米的発言は修正すべきではないか。鳩山氏は、オバマ米大統領との会談によって、心境が本当に変わったのか。
そういうことになれば、日本としては大きな希望である。
また内政に於いても、福祉政策について、国民に大胆な個別政策を打ち出しているが、財源については、責任のある答を出していない。相手に対して、耳あたりの良い話よりしない善人なのか、或いは、その場当たりの、ありきたりの政治屋なのか。
お灸を据えられるのは国民
今回の選挙では「自民党へのうっぷん晴らし」とか「自民党にお灸を据える」と、国民が高所から、候補者を見下すような態度にみえて仕方がなかった。そして自分の手で、自民党を政権から引き摺り下ろしたが、民主党政権が出来れば、「お灸を据えられるのは国民」の方となったらどうしよう。
「政治腐敗は有権者の腐敗」と言ったのは、評論家・金美齢である。
選挙時の公約と現実との差が大きく、先ずは、危惧しつつ時を待つのみ。
鳩山民主党に、圧倒的勝利を与えたのは、他ならぬ我々有権者である。立場は変わっても、鳩山内閣に、国民は大きな期待を寄せたことは事実である。今は只々、耳あたりの良い言葉といえども、大胆に実行して欲しいと願うのみ。
その為には、現場で実績を重ねて来た地域住民や、当事者の声にも耳を傾けるべきだ。思いつきの発言が多く在ったから、訂正すべきと良心に響いたときには、潔く前言を改める勇気を出すことだ。内閣総理大臣は、民主党や鳩山由紀夫の為に在るのではない。国家と国民の為に、命を懸けて取り組むべき任務であることは言うまでもない。
直面する政治課題は、「日米同盟の強化を確認」したならば、まず、集団的自衛権は当然と認め、武器輸出禁止三原則の縛りを解くこと、そして、非核三原則と云う非現実的空想は世界の常識に基づいて、固執しないことである。
内政については、急激に進みつつある、高齢化社会に対応する福祉政策の取り組み、及び少子化の流れを阻止することである。
戦後の苦境を乗り越えて築いた繁栄が、日本人の魂の緊張を喪失せしめた。ゆえに日本人本来の道徳教育と倫理の確立が不可欠である。兎角、自由と平和と権利に重点を置き勝ちな民主党政権には、国家観確立の為、責任と義務の重みを悟って欲しい。
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