これからどうなる?新時代 平成二十一年九月下旬 塚本三郎
だらしのない自公連立政権に、「うっぷん晴らし」として「政権交代」が実現した。
期待を裏切られた自民党に対して、支持者は、可愛さ余って、憎さ百倍と、反対の民主党へ投票した。
民主党鳩山政権になった今後、日本はどう変わるのか。
私達の生活はどうなるのか、このような期待と不安が次々と出される。
民主党政権に代っても、日本国家として、日本国民として、選挙戦でお互いに論難したような、選挙戦と比べて、極端に相反する政策を実行することは殆ど無理だと思われる。
選挙戦に示した、自民、民主、双方のマニフェストは、殆どが同じ方向であった。だから、民主党政権は、正直にマニフェストの実施に全力を挙げてくれれば心配はない。
それでも気にかかることは、大衆迎合の公約を実現する為の財源である。
増税をしないと約束している党だから、どこかから、今までの予算をカットし、もって来なければならない。問題は、無駄を省くと主張する点である。
民主党が云う無駄が、自民党にとっては必要不可欠だったらどうするか。立場によって満足する立場と、カットされ犠牲を強いられる立場とが、相争う事態をどう解決するのか。
政治には七分の理と、三分の非の例を出し、七分の為には、勇気をもって決断することが政治だ。残る三分の非は、別の立場で考慮せよと、前にも述べた。
今迄、自民が七、民主が三、と対立する施策が、今後は逆転することも出てくる。
例えば、高速道路の無料化など。その建設費は、約四十兆円の借金で完成しており、四十五年で返還の約束で、維持費を含め年間一・六兆円を通行料から返済してきたが、未だ三十兆残っている。無料とすれば、税金で返さねばならぬ。また、無料となれば、車が殺到して道路の補修費はどうするのか。車の洪水で環境の悪化はすさまじいものになろう。
田中角栄の遺産をどうする
日本列島改造計画に基づいて、道路、交通に関する「受益者負担」の原則を確立して、世の喝采を博したのは、民主党の代表となった人達の師匠、田中角栄の遺産である。
民主党の力説する利便は理解出来る。しかし、害の方が三分なのか、七分なのか。
勝者の鳩山も、小沢も、岡田も、かつて旧自民党の田中派に属し、やがて経世会と名乗る竹下派に属して、権力の甘味を存分に味わってきたであろう。だが彼等は、未だ権力者としての責任と義務を果して来たとは言い難い。
圧勝と自負し、「政権交代」の大任を果すべき地位に就いた民主党政権は今、勝者としての本当の責任と義務を、文字通り果たさねばならぬ立場に立たされた。しかも「裸のまま」。
従来ならば、百戦錬磨の官僚が楯となって護ってくれた。だが今回の民主党は違う。大上段に「官僚政治打破」を宣言して勝利した。
俺達が真の権力者だと自負し、政治の下で官僚は仕える身だと宣言した。その通りだ。
民主党国会議員が官僚に対して、在るべき姿を示してくれることを大いに期待する。
今日まで、良い政策でも、重要法案には反対することが野党の責任と勘違いして来た。
永い間、貧しいけれど気楽な立場で、相手の長所よりも、欠点を見付け、非難することに重点を置いて来た野党暮らしの民主党は、政権の座についてはじめて、権利よりも責任と義務の重みを悟らされることであろう。
とりわけ、安全保障と外交に至っては、反対することによって、党内の団結と統一を維持することが出来た。このような「野党の卑しい対応」は、民主党の心ある人達は内心忸怩たる思いをして来たはずだ。
試練に立つ新政権
それにしても、民主党の新人一四三名を、どう教育し育ててゆくのか。国政に全く未知の新人議員は、まず一、二年は、それぞれ担当省庁の高級官僚から指導を受けることが、不可欠である。私の経験からして。民主党では、それ程たくさんの議員を一々指導し面倒みることは不可能である。それでも官僚の協力を拒否していた公約を実施するつもりか。
民主党は「生活重視」を掲げていることは素晴らしい。だが生活の土台は、先ず国家の安全と、優れた外交が優先されてこそ保たれる。そして国民としての人間教育、とりわけ道徳教育こそ、個人にも、家族にも、社会にも、不可欠の根本的事項である。
今日、新政権のなすべきことは、緊迫する国際情勢のなかで、これからの日本が、いかに生きていくかについて、超党派で合意を形成することである。
日米同盟堅持、海賊対策、給油活動への自衛隊派遣、武器輸出三原則の現実的見直し等。国際常識のある政治家ならば、十分に合意出来る範囲のはずである。
だが、それ等を、新政権は問題として取り上げることさえ避けている。やがて世界の潮流に逆行しつつ、突き当たってはじめて、ことの重大性に気付くのではないか。
今日まで、自民党政権下でも、この重要事項を軽視して来たことのツケが、国力の低下と、社会の混乱を増大させて来たとみる。
民主党政権が、それを回復させることを願って止まない。しかし、その混乱を「自由と平和」の美名によって、より一層荒廃させることを危惧する。
保守的装いの勝利・民主党
思えば、鳩山も小沢も、そして岡田も羽田も渡辺も、民主党幹部はみな、かつては自民党田中派に所属した国会議員たちであった。
マニフェストをみる限り、自民党への回帰であり、より大衆への迎合政治ばかりである。その上、田中角栄より以上に「国家観」が脱落している。
心配なのは、マニフェストにのせない「極左思想の隠蔽」である。
前回の選挙の争点は「郵政の民営化」であった。今回は「政権の交代」と云う言葉のみが踊っていた。交代して大衆迎合を正直に進めて、日本国家財政をより貧困に導くのか。それともマニフェストにはかくしておいた(民主党政策集INDEX二〇〇九)にまとめられた「左翼の政策と真意」を実施するつもりなのか。
この政策の基本を実行して、日本を更に左傾化し、弱小化させるつもりなのか。
民主党にとっては、自分達の支持者と共に、自民党支持者の票を奪い取るためには、自民党支持者の反発する政策は表面に出したら損だ、だから民主党の政策集の、独自の部分は、マニフェストにはかくして表に出さなかった。
正直に党の真意を公表すれば、「左翼集団」として、「反日政党」として目立つ部分が露出すれば、自民党支持者は眼をそむけたであろう。
ゆえに、今度の民主党の選挙は、政策かくしの「巧妙不正」な選挙戦の勝利とみる。
その不正が、政権担当者となり、結果として、本心を表面化させることが出来なくなり、ことのなりゆき上、日本の置かれた現状を悟り、民主党の政策の一部が無責任な政策だと気付いて「本音をすててくれれば」、国家として悦ぶべきこととなる。
マニフェストに出さなかった主な政策とは、「外国人参政権、選択的夫婦別姓、元慰安婦への補償、靖国神社に替わる国立追悼施設建立。等々」、国論を二分する問題は、敢えて不正直にマニフェストに出さなかった。
また「教育の中立性は在り得ない」と叫び続ける、元日教組委員長が、民主党の教育政策の責任者として、「日の丸」掲揚と、「国歌の斉唱」反対を決めないよう切望する。
民主党は、軍事的支援以外の経済的支援や、インフラ整備支援、人道復興支援活動を打ち出している。しかし、それ等の諸活動は、軍事的支援が大前提となっている。
軍事的に安定しない地域では、経済的支援や、インフラ支援は推進出来ない。
それを言うのは、空想的平和ボケ政党との連繋を重視しているからである。国際常識からみて、日本は、本腰を入れて対テロ国際協力に参加していないとみられている。
国際空気を読めない政党の指導者が、そのまま外交を担当しているならば、やがて、日本は国際的孤児になる。その上政治的にも、経済的にも、日本の地位を低下させる。
民主党を牽引する小沢、鳩山、岡田の三人は揃って、自民党経世会(竹下派)の洗礼を受けた政治家で、民主党の保守派だ、との安心感を抱かせている。だから、自民党に見切りをつけた「保守層の受け皿」として、今回の選挙で、自民党支持層の票が民主党に流れた。けれども、民主党内の保守層は、余りにも控え目である。反対に(リベラル)を自負する層は、貪欲であり、強引である。
民主党が、そのまま(リベラル)、つまり左翼の政策に引っ張られかねないことを危惧する。民主党は、マニフェストには出さなかった政策を、野党に帰るまでは大切に温存して表面に出さず、しまっておくべきだ。そして有権者に公約したマニフェスト通り、正直に政策を実行してくれることを期待して止まない。
自民党の再生は
敗北によって、罵声を浴び続ける麻生太郎たち・自民党員は、この冷笑に堪えよ。
勝敗は天命だ。誠を込めて戦い、結果が志に反したとしても人智を越えた天命が在る。
完敗しても神仏は不公平ではないと思え。それが自民党には必要だったと信じよ。そして敗戦の苦をあまんじて受けよ。神仏は、自民党が憎くて敗者に陥れたのではない。
敗れて良かったと気が付く時が必ず来る。敗者は、敗れてからの受け止め方が大切だ。
民主党政権の今後の施策以上に注目すべきは、自民党の今後である。
自民党の、国及び地方議員が反省し、自負心を失わなければ、解党的出直しをする絶好の機会でもある。
野党に下がった自民党は、今迄の野党がとって来た、反対の為の反対という、その卑しい態度だけはマネすべきではない。自分達の経験からみて、与党提案が万全ならずとも、一歩でも、二歩でも前進とみれば、国家の為に賛成すべきだ。我々は日本国家に責任を持つ議員であり、国益第一主義の党でなければならないと自負すべきだ。
今日迄の、誤った野党の国会対策を、自民党が態度によって根絶すべきだ。有権者の判断は神様の意志とみるべきで、民主政治は与野党の協力によって成り立っている。
野に下った自民党は健全野党として、民主党政権に対し、国家的見地に立って、是々非々の断を下す「孤高の審判者」となるべきだ。そうならねば、日本が危ない。
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