_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_


 背に腹はかえられぬ米国   
平成二十一年八月上旬    塚本三郎

 大切なことのためには、ほかのことが犠牲になるのも止むを得ない。

 また、せっぱつまったときには、どうにも他をかえりみるひまがない。

石川五右衛門伝説

 天下の大泥棒、石川五右衛門は、親子ともども、大釜に入れられ、ゆで殺された。

 はじめ、湯の熱くない間は、わが子を抱いていたが、下でたく火が熱くなり、足下が、我慢出来なくなると、遂に抱いていた子を足の下に敷いて、少しばかり長く生きのびたと言う。真実か否かはわからない。

 敗戦後の日本は、勝者米国の傘の下で、平和と生存を保障されて成長した。稼ぐに追いつく貧乏なしと、まじめに働き続け、その製品の大半を、お得意様として米国が買い上げてくれた。勿論それは、日本だけのことではないが。

 自動車王国を自負するアメリカ国内でさえ、日本製の車が、首位を占める時代となった。

 日米安全保障条約を、「日米同盟」と言い切ったのは、中曽根康弘元総理だったと思う。それまで、堂々と、靖国神社への参拝を続けていたのに、中国のイチャモンによって、参拝を中止した。同盟国の相手国として、このとき、日本へ助け船を出してくれるのが、仲間ではないか。アメリカから黙視されて以後、歴代の総理は靖国参拝を避けたがる。

 いや本当は、アメリカも、日本と比べて、既に中国に気兼ねして、靖国神社参拝をタブーに傾いていたのではないか。

 アメリカが誇る世界最強のF22ラプタは、宇部興産のチラノ繊維で、ステルスを実現していた。それが無ければ、米空軍機F22の製造はできなかった。

日本側は政治判断で武器禁輸について米側に対して解き、米国は自国分の生産を終えた。ところが、日本向けのF22は作らないとオバマは言い出した。世話になっておいて、なんということだ。日本もこんな国に、そろそろ見切りをつけたほうがいい。そんな声が聞える。

察するに米国とてF22を作って、日本防衛に役立て、かつ軍需産業の発展にも良いから、日本にも売って利益を出すべきだとの判断はあったと思う。

だが新大統領は、当面、米国経済の建て直しのためには、まじめで、従順な日本国を犠牲にしてもよい。注意すべきは、中国共産政権に迎合することが第一の判断だ、としたのがオバマ氏のやりそうな外交政策である。

中国共産政権とは

 中国は、政治権力の維持が、すべての政策に優先する。

 民主主義政権の下に生きて来たものにとっては、中国政権は、政治の在り方も経済の取り組みも、全く別世界のことと判断しなければならない。

 とりわけ、共産主義は、社主義経済と判断しがちだが、今日の中国は超資本主義である。儲かることならば、いかなる不道徳なこと、非人情でも、公害が出ても、近隣諸国への嘘の宣伝も、意に介さない。資本主義ではなく「強欲主義」そのものである。

 それでいて、堂々と文明国並みに、法律は制定されて「法治国なみ」の顔をしている。

 ただ、人民も、役人も、それを守る意志はない。対外的に一応の法制度が在るのだと知らせるのみだ。その上、役人が、お金に困った時には、違反者を捕まえて、罰金を取り立てる。袖の下を出すことで穏便に済ませる。役人天国と呼ぶ。否、役人になるにもお金が大きく物を云う。

 かくて膨大な人民の群と、広大な領土のゆえに、低賃金であっても、働く労働者の数に限度がない。人件費の高騰に苦しむ、先進資本主義諸国は、危険を承知しつつも、工場と、資本と、機械と、技術とを、この国に持ち込む。

 消費の拡大と、輸出を目的に、界の製造工場と自負した中国は、ここ数年の間に、莫大なドルを手にすることが出来た。

 アジアの仲間として、巨大な製造と消費と流通の大国が出来たことは、本来ならば歓迎すべきである。しかし現実は、アジアすべての国々が頭を痛めている。

 人民が稼いだ外貨が、そのまま軍事力の増大となりつつある。毎年二〇%以上の軍事力は、一体どこの国の脅威を対象としているのか。

 否、彼等は脅威の為の備えではない。彼等の脅威とは「人民の不平と不満の暴発」のみであろう。その内なる人民の不満の捌け口を外に向けさせる。このことは独裁政権の常套手段とみる。当面の目標は、日本と米国である。米国とは、台湾の問題でもある。

自制心を失いつつある米国

米国も、金融政策の失敗と暴走に、自制心を失っている。この時、日本を無視してもかまわない、心配なのは、中国共産政権であるとオバマが心配するのも無理はない。

 日本をしのぐ膨大なドルを市場に投げ出されたならば、今日の米国金融界は大混乱を招き、オバマ政権は一挙に崩壊するであろう。

 民主社会の常識にない中国は、持っている莫大な外貨は、世界の政界を脅すに足る力だと豪語している。経済が経済の世界だけに止まっていないのが共産主義である。

経済こそ「政治権力の最大の権力維持」の道具である。だからこそ、人民の稼いだ外貨を政権が握っているぞ、と開き直る。

 世界は米・中二国が中心である、と過日、全世界に双方がこれ見よがしに宣伝したではないか。アメリカ大統領が、米・中二国間の協力を約したことを非難するのではない。

 最近のアメリカが、世界的にその支配力を薄めており、一方中国が経済的支配力を高めていることを、世界は徐々に認めつつある。

アメリカの超能力の低下と、その一方の貧民の大集団とされた中国が、月日と共に上昇傾向を示し、世界に向って協力を約した姿は、心強く見える。だが、最近のアメリカは何でもありである。そして自国の威力保持に対しては、なりふり構わぬ乱暴ぶりである。

かつて、ベトナム戦争に介入し、その結果、世界経済とその通貨を破綻せしめた。

それでも日本は、ドルと金との兌換券としての約束、即ち金と代えよと強要せず、アメリカの面目を保たせしめたではないか。

繊維産業の危機には、日本の繊維産業を相当数犠牲にして、輸出の自主規制に応えたことを知らないはずはない。今回の金融破綻の主役ニューヨークから全世界に波及せしめた、百年に一度の大不況をも、我々は犠牲を払いつつ我慢し協力している。

自動車王国の米大陸では、アメリカの強い要請を受けて、日本の各自動車メーカーは、完成車の輸出以上に、現地生産を進んで引き受け、米国労働者の雇用、及び低燃費の技術に協力を惜しまなかったではないか。

それにしても、アメリカは中国から如何なる協力と支援を受けたのか。ただただ低賃金労働力による、中国製の繊維製品や、家電製品の輸出による貿易赤字の洪水を受けただけだ。それでも、中国の独裁政権から、その持てる米ドルの投売りをほのめかされ、ひたすらに低姿勢を重ねているように見える。

日本人の眼に、アメリカが貶められていることは、同盟国の一員として、我々日本人が共に恥かしめられているとさえ見える。

アメリカは自国さえ助かれば、同盟国が、どうなっても良いと思っているのか。

何度も云う。中国が、アメリカと同等のまともな国ならば良い。しかし、中国はアジアに於ける最も危険な国とみる。

本論冒頭の石川五右衛門の話を出した。五右衛門と、アメリカの姿と比べることは、不謹慎と知りつつ、自分を守る為には、可愛い子供日本を足下に敷く恐れはないのか。

時代は変わりつつある

 アメリカの大統領にオバマ氏が選ばれたことは、世界の変化を達観したアメリカ人の対日の変化でもある。

 二十一世紀は、自由と民主政治を標榜する「白人支配の時代」ではなくなった。

 ブリック(BRIC)と呼ぶ、人口大国、資源大国、果ては、南米、アフリカ大陸を加えての新時代に、好むと好まざるに関わらず直させられ、地球は狭くなった。

政治問題と、経済問題との双方が山積しているアメリカは、自国が抱える問題以上に、外交の諸問題を避けてはいられなくなった。

 日本よ、もう独り立ちしてくれ。経済と文化の面では既に充分に力を持っている。これからは、その足らざる処を、自力で立ち向って欲しい。今日は残念ながら、安全保障とて、日本の為ばかりを考えては居られなくなった。それがアメリカの真の声であると、日本人自身が受け止めるべきではないか。

 アメリカは、日本の経済力、技術力を評価し、自国以上に育った今、逆にアメリカを助けるべきだと言いたげだ。日本は既に幾多の面で、協力し支援してきたはずだが。

 親に見捨てられた子。否、親によって犠牲を強いられつつある「幼稚な大人」が今日の日本。「窮地に立つ育ての親アメリカ」。「独善に育った不良少年の中国」。みんな同じ地球の上に育てられた大地の子であり、神、仏の大切な子である。

 日本人とて、この地上から、どこへも逃げ出す訳にはゆかない。

 相手国が良くなるのも、相手国が悪くなるのも、その基盤は我々自身に在る。

道に迷ったら原点に戻れ、「天上、天下、唯我独尊」。これは釈迦の第一声とみる。

 前便で、「立正安国論」に学ぶと書いた。唯我独尊とは、すべては自分の考え方と行動が原因である。他国を恨むな。他国を頼りにするには限度があると説く。

 これから日本政治の運命を決する、衆議院選挙が出発する。国家の運命は、我々の一票が決めることは云うまでもない。

日本はいま、危機に直面している。北朝鮮のミサイルの脅威と拉致された同胞の救出。異民族を弾圧し、難民を強制送還し、異常な軍拡をする中国。

 空洞化の危機に瀕する日米同盟。展望も、戦略もない経済政策。

 国益無視の地球環境政策。歪んだ戦後教育。

「行使出来ない」集団的自衛権。放置されたままの憲法。

 並べれば、多難の前途を控えた日本ではあるが、希望と勇気も、いっぱいにある。