上海、蘇州、杭州を旅して 平成二十一年五月下旬 塚本三郎
親しい友人の誘いで、上海・蘇州・杭州を三泊四日で旅した。その印象を記してみる。
上海で数十名の現地人を雇って、零細な事業を行っている友人は、現地の優秀な青年を総経理、即ち社長として、儲けにはならないが、損をしない程度の経営であると云う。今回は、その現地の若い社長を案内人とした。
内需拡大の建設事業
上海を出発して、まず蘇州市を訪ねた。約二百㌔の路を高速道路で二時間半で到着した。途中、トイレ休憩を数えれば、平均百㌔程の時速で走った。道路は四車線から六車線で広い。上海~蘇州間の平地は、ほぼ耕地として耕されている。
翌日、上海から杭州へは約三百㌔、途中の休憩をはさんで約三時間半。高速道路はどこも整備されている。しかし、日本のように完全ではない。
両都市共、近代的な高層ビルが林立している大都会である。幸い、休日のこととて名所は観光客で超満員である。有名な寒山寺も、また杭州の西湖岸も人混みで、恐らく人出は、五十万人を超えているようだ。都会に住む人民は、それなりに生活を享受しているとみる。政治的な思考を抜きに考えれば、この国の人民は、それなりに幸福かもしれない。不安な姿は見掛けられない。
途中は何れも耕地に手が入っているが、マバラである。日本人の考えでは、これ程の農地を不完全に耕作していてはもったいない。もっとまじめに働かないのかと思う。しかし、農作物は、「豊作貧乏」が付きまとう。広大なる領土は見渡す限り大平原である。
手を入れれば、食べ切れない豊作となる。大都会へ運ぶトラックは野菜を積んで満載で、列を為しているが、高速道で三時間走り、都会の市場に運んでも、運賃を得るのが精一杯の商品となる。まじめに働いても、その労に報いられないのが実状のようだ。
農村の人民が、都会へ「出稼ぎ民工」となる理由が判る。
蘇州で工業団地を訪ねた。単なる団地と雖も広大である。そこだけで一大都市の如くだ。中を走る道路はすべて四車線で、街路樹の並木と活けた花の木が整備されている。世界中の各企業が、人件費の安さと共に、受け容れる各都市の親切な態度に、われもわれもと競って製造工場を立ち上げた、これらの工業団地は、工場を建て、従業員宿舎まで用意されていた。しかし、電力不足がある。そして整備された外見には、思いもよらない環境の厳しさがあり、追加の工場移転はないようだ。
ましてこの地で製造した製品は、自国民向けは、まずまずであるが、世界各国への輸出が目的とあらば、折からの世界の大不況で休業状態となり、多くの企業は倒産の止むなきに至っている。特に、従業員の給料未払いのまま、逃避する経営者も少なくないと云う。その最たる国は韓国だと、案内者は非難する。日本人には、そんな卑劣な人は居ない。
上海を中心とする一部分の近郊を走ってみて、この国の広さは日本人の想定外で、それが強みであり、人口の多さもまた強みである。しかし中国の施政は、その強い力を活かし切れなくて、逆に弱点と化している点が浮かぶ。
広い地域を統治する為には、都市と都市の間を結ぶ高速道路の建設こそ、国家事業の主たる仕事とみる。どちらを向いても、高速道路が走っており、なお建設途上にある。その為には、住民をハネノケての建設を進める姿は、都市の中で特に顕著である。追い出された道路建設予定の拡張の被害者には、人民の不満解消の為、代替地と住宅建設の費用をも補償していると聞く。この為、道路建設及び、住宅建設こそが、主たるこの国の産業となり、雇用対策としても手近な方策だ。
広大な大地の発展は、外見的には、眼を見張る急速な変化と発展で、世界注目の的と云って良い。しかし、道路や住宅の建設という、国家としては「内需拡大が中心」であって、その為の財源はどうなっているのか気にかかる。生産や販売による税制が、どうなっているのか。今日の恐慌に、巨大な投資を約束しているが、政府はその開発資金をどこから持って来るのか。
人治国家と法治国家
広すぎる大陸を統治するため、為政者は、今の処、強引な権力統治以外には治めきれないと考えている。しかし、中国の指導者は、すべてそれが良いとは思っていないようだ。世界の良識ある民主政治を施行している手本の一つとして、アメリカ合衆国の如くすべきであろう。それを理想として、指導者は考えてはいるようだ。それには、まず中国を五つか、七つの国、即ち米国の如き州を造り、それを統合する「合衆国」とすることが理想だと考えているとしても、それを言い出す力はない。直に大混乱を引き起こすから。
歴史的にみて、権力闘争の歴史そのものが中国の治政であり、その犠牲者の数は、天文学的に及ぶことを覚悟しなければならないだろう。
恵まれた大地を与えられながら、それに報いることを知らない、この国の人々の運命を思いやる。その上、なお広い広い隣の大地、「新疆ウイグル地区」と「チベットの山岳」をも攻め取っている。理由は豊富な地下資源が在るからとみる。また、米・ロ両国に対抗すべき武力即ち、「核兵器の実験場」として、そのため国の人達の犠牲を強いている。
この限り無き広大な大地に来て「人間は持ったものによって苦労する」との、悲しき格言を思い出す。天はこの国に、豊かさと平和を与えることは無理とみるべきであろう。
中国の権力者は、我々の想像以上に、人民の動向に神経質になっている。
勿論、理不尽な役人の言動に堪えかねた人民は、直接抗議行動から暴動に訴える。それが全国的に拡大され、頻発している。インターネットによる発信と煽動は、当局の抑圧の厳戒を超えている。
その結果、党首脳は直ちに対応する。そして直ちに法制化する。民主主義政体以上に敏感に対処し、独裁政権なるがゆえに素早い対処をとる。
ならば善政ではないかと考えるが、そこは中国人特有の習性である。
中国は法治国家だと自負しているが、法律は建前で、実行は別である。法律を施行し、実行すべき役人が、自分の都合、利権と損得を中心に法律を解釈する。それは権力者の上位から下位まで、変らぬ習性らしい。法律違反も、袖の下如何で恣意的に活用する。
取り締られる人民も、それを心得て対処する。単なる人治国家より、更に質が悪い。
相手を攻める時だけは、法律を攻めの武器に使うから。
人民には飲酒運転が厳禁されている。世界中、余りにも当然のことである。しかし、誰も守らない。取り締ることもしない。我々を運転してくれた者も飲酒して平気だ。時に運悪く取り締られれば、袖の下で難なく逃げられる。
厳重に法律を表面化するのは、政治権力によって、相手の権力者を倒す時には、鋭く法律を利用し用いる。正に人治国家たるゆえんである。
共産党員である権力者が、法を作り、勝手に法を運用した恣意的な法治国家である。下っ端の役人が、優雅な邸宅を造っても、その金は、殆んどが袖の下で得た資金だと、皆が納得しているようだ。
嘘が国民の習性か?
上に恣意的運用があれば、民に対策在り。折角制定された近代的な法律が在っても、それを守り、取り締るのは役人である。
前述の如く、官僚が権力を楯にとって、法律を厳格に取り締り、人民を法治国家の人民らしく指導すれば立派な国家に発展する。しかし、法律を立派に制定して、先進国並みに施政公布している。然るに官僚が恣意のままに運用し、監督し取り締れば、人民は生きる為に、それなりの対策をすることも止むを得ない。
法治国家らしく、或いは人治国家らしく。何れか一つを中心にすれば、人民には救いがある。中国は法治国家でありながら、役人は人治国家として施行するから始末が悪い。
人民は生きんが為に、役人に対して対策を練る、それが生きる智慧となっている。つまり、その場逃れの「嘘の社会」を形成し、それが習慣となっている。
日本に旅した中国人は、「日本では、正直に暮らしても、生きてゆける不思議な国だ」と語る言葉は、中国社会の裏を物語っている。
蘇州や杭州で、僅かの買物をして、あきれる。お土産にも正価が付いている。通訳の説明では、「正価の三分の一以上では買うな」と教えてくれる。最初から正価は嘘でお客に嘘を、当然として商いをしている。
五個買うからもっとまけろと云って、五分の一に値引きさせることが出来た。悦ぶよりも驚いた。どの店も同じ手法である。売る店も、買う客も、値段の交渉は、一種のゲームではないかと友人と笑った。
上の嘘も、汚職と袖の下も、すべてが官も民も、ことは「損、得に生きる国民性」であることは、話には聞いていたが、現実に当ってみて納得する。
これが、政府の外国交渉にも、国民の教育にも、当然の如く普及している。
中国政府の、反日歴史教育の嘘は、バレテもともと、と嘘だと信じて居ながら、政府は平然と国民に、愛国教育だと押し付けている。
対日外交交渉で、靖国神社参拝は、日本政府の、中国国民への侵略教育だと、国民へ恥ずかしくもなく宣言している。そして、堂々と日本政府を威圧して来る。
中国の国民性と、日本人の恥の文化とは、全く異質である。「他人の嫌がることは、しないほうが良いでしょ」と、日本の前総理が、言われたことは、今も耳に新しい。
人倫の道としては、全く正しい心掛けである。しかし、国家の命運を担う一国の総理が、嘘の外交戦略を見抜くことができず、不勉強丸出しで対応し、先人の忠君愛国の死を、軽視する結果となっていることを、糾弾せずにはおれない。
嘘を承知で対応する。中国人ならば普通の戦術である。
それさえ見抜く努力を怠っている日本政府首脳と外務省の不忠は、許し難い。
中国に僅か三日生活すれば、直ちに見抜くことの出来る慣習を、なぜ見破らないのか。
既に、コピー商品の全世界に氾濫する八〇%は、中国一国の違反だと示されても、恥とも思っていない。国民の生活で嘘が普通と育てられているから。
僅か三泊四日の滞在によって、日本人としての誇りを自覚することができた旅だった。
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