聖火問題で台湾の国旗・国歌の由来や現状に触れない「産経抄」

2008年の北京オリンピックの聖火が台湾を通過しないことが決定した。聖火リレーが
通過する台湾域内の沿道で、台湾の市民が台湾の「国旗」を振ることや、「国歌」を流
すことを認めるかどうかで、中台間で紛糾、話し合いが決裂したからだという。

 しかし、台湾の「国旗」とは、中華民国の「晴天白日満地紅旗」のことであり、「国
歌」とは「三民主義」のことだ。

 1921年に中国で制定された「晴天白日満地紅旗」は、孫文の唱えた三民主義(民族の
独立、民権の伸長、民生の安定)に由来し、中国国旗として定められたものだ。旗の左
上の青地に太陽は国民党の党旗である。これを通常「晴天白日旗」と呼んでいる。

 現在、台湾の全国民がこのような由来を持つ旗を台湾の「国旗」として認めているの
だろうか。認めていないが故に、在日台湾同郷会などは「緑の台湾旗」を用いている。

 つまり、「晴天白日満地紅旗」はすでに台湾のシンボルではなくなっているのが現状
であり、それは国歌にしても同様である。

 だから、聖火が通過しなくなったことは残念だが、通過しなくてよかったと安堵して
いる台湾人も少なくないことを日本人は知るべきだろう。

 ところが、昨日の産経新聞の「産経抄」は、このような台湾の国旗や国歌の由来や現
状に触れることなく「しかし『国旗・国歌』まで規制されるいわれはないということだ
ろう。台湾当局にとって苦渋の決断と言える」と書いて台湾をかばったが、かばったの
はよしとしても、やはりその由来などについて触れて欲しかった。台湾の複雑な来歴は
国旗・国歌にこそシンボライズされているのである。

 話の核心をさらりと伝えて得心させるのがこれまでの「産経抄」だった。昨日の「産
経抄」では、読者はこの問題のポイントを理解できまい。

 ちなみに、緑の「台湾旗」については、2004年12月29日に配信した「台湾の声」が詳
しい。ご参照ください。               (本誌編集長 柚原正敬)

■台湾旗について http://taj.taiwan.ne.jp/hata/kai.htm


【9月23日 産経新聞「産経抄」】

東京五輪の聖火が初めて日本に着いたのは昭和39年9月7日、沖縄の那覇空港にだっ
た。最初の聖火ランナーとなった当時琉球大学生の宮城勇さんは後に産経新聞の取材に
答えている。「道の両側がすごい日の丸で、走りにくかったが感激しました」。

▼言うまでもなく、沖縄はまだ米国の施政下にあった。聖火や日の丸がいかに人々を励
まし、復帰運動を後押ししていったか想像に難くない。聖火リレーは意図するとしない
とにかかわらず、しばしば政治や国情に深くかかわってくるのだ。

▼来年北京五輪を開く中国は5大陸22カ国・地域を回る聖火リレーを計画した。経済
成長著しい中国への警戒心をとかす一方、大国ぶりをアピールしようという狙いだった。
だが、その中のベトナム−台湾−香港というルートが台湾側の反発を招き結局、台湾は
通らないことになった。

▼台湾にすれば、これでは中国の国内ルートと見られ、「台湾は中国の一部」という中
国の主張がまかり通るからだ。中国も一度は「台湾は海外ルート」と認め妥協が成立し
かけた。だが台湾側によれば、中国が聖火リレーで台湾の「国旗・国歌」を使わないよ
う求め決裂したという。

▼台湾の人たちも世界の祭りに加わりたいのは山々に違いない。しかし「国旗・国歌」
まで規制されるいわれはないということだろう。台湾当局にとって苦渋の決断と言える
が、大国・中国に対し一歩も譲らないという気概だけは伝わってくる。

▼それに対し今日、自民党総裁になるのが確実な福田康夫氏はあっさりしたものだ。靖
国神社参拝問題で「相手のいやがることはしない方がいい」と早々に腰を引いてしまっ
た。双方のメンツと存立をかけた隣の「聖火バトル」をどうご覧になったか。



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