第15回李登輝学校研修団レポート(4) 林麟祥先生のご案内で澎湖島巡り 佐藤 和代

◆第3日目(5月9日) 林麟祥先生のご案内で澎湖島巡り

 黄天麟(こう・てんりん)先生と林麟祥(りん・りんしょう)先生のご講義を拝聴した
後、「澎湖島の生き字引」林先生のご案内で研修団は野外研修に出かけました。

 海と空の青が眩しい、快晴に恵まれた研修日和です。明日(5月10日)、研修団で初めて
ご講義いただく謝雅梅先生の著書に『台湾は今日も日本晴れ!』というタイトルの本があ
りますが、まさに日本晴れ、いやいや「澎湖晴れ」です。

■おとりの大砲

 林先生と研修団一行が最初に向かったのは、西嶼餌砲です。馬公を出発して3つの橋を経
由して西嶼へ着きます。西嶼の最果てにある灯台の近くにその餌砲があります。

 餌砲とは餌(おとり)の大砲です。バスを降りた研修生は足元の雑草を気にしながら近
づきました。台地の少し窪んだところに、コンクリート製の大砲がありました。お椀を伏
せたような砲台に2本の大砲が付いているニセの大砲です。近くで見ると騙されようがない
のですが、大東亜戦争(第二次世界大戦)時には空中の軍機から見ると本物に見え、効果
があったそうです。

 餌砲の周りは草地で、鋭い針のサボテンが山のように群生しており、可憐な黄色い花を
咲かせていました。一行はその風景をしばし眺め、再びバスに乗りました。

■昼食は「清心飲食店」の海鮮料理

 次の研修地に行く前に急遽予定を変更し、昼食をとるためレストランへ行くことになり
ました。とても美味しいお店なので、他の観光客が来る前に行きましょうというわけです。

 西嶼餌砲からバスは北に走り、澎湖でも名高い海鮮料理のレストラン「清心飲食店」に
着きました。一行は2階に上がり、松澤団長による乾杯の発声後に、次々と並べられる澎湖
の海鮮料理を味わいました。刺身、蟹(アサヒカニあるいはワタリガニ)、海老の天ぷら、
ボイルイカ、小さな牡蠣とビーフンの炒め物、アサリのスープ蒸し等々、皆さん脇目も振
らずに食べていました。

 やはり早めに行って正解でした。中国からの観光団が所狭しと押し寄せ、店内は喧騒状
態です。

■自然の造形美「大菓葉柱状玄武岩」

 お腹が満たされた研修団一行はバスで「大菓葉柱状玄武岩」に向かい、ほどなく到着し
ました。ここは自然が形成した一種の造形美です。

 一千年以上昔、プレート移動によって地殻に亀裂ができ、マグマが噴出し、海水や空気
に触れて凝固し、これが何度も繰り返されて玄武岩の柱ができました。簡単にいえば、岩
の地層に縦方向に何本も亀裂が入って柱が連なっているような景色です。澎湖島ではよく
見られる景観なのですが、ここは陸上で観て触れられる格好の場所でした。

■清朝が築いた軍事基地「西嶼西台」

 バスはまた西嶼の端に向かって走り、「西嶼西台」に着きました。ここは石で造られた
要塞で、清仏戦争終結後の1887年ころ、李鴻章が台湾巡撫として劉銘傳を派遣し、近海の
海賊取り締まりのために築いた軍事基地であり砦です。

 石製の要塞の入口には、李鴻章の揮毫によると言われる「西嶼西台」の文字が刻まれて
います。

 石のトンネルを抜けていくと幾つものトンネルが口を開けて一行を待ち構えていました。
トンネル(塹壕)に入ると昼間であるにも拘わらずひんやりと薄暗く、少々不安な気持ち
になります。所々から陽の光が差し込んでおり、やがて小さな小部屋に行きつくと、左右
に1人通れるくらいの階段と出口があり、そこから大砲の側面が覗けるようになっていまし
た。

 外に出ると要塞全体が見渡せました。石の砦に囲まれ、砦の上には大砲が据えられてお
り砲口は海に向けられています(現在の大砲は模造品です)。研修生が通ったトンネルや、
その昔、弾薬や兵器の貯蔵庫として使われていたであろう石造りの建物がその中央にあり
ました。研修生は砦についた階段を上り、高台に立ち、海からの風に吹かれて青い海を眺
めました。

■広場をつくる樹齢360年のガジュマル

 見学が終わると研修団はそこから一気に北上し、先ほども通った跨海大橋を渡り、白沙
に行くと「通梁古榕樹」があります。

 通梁古榕樹とは、通梁村の保安宮という廟にあるガジュマルの古木のことです。樹齢360
年と言われる1本の古木から、絡まりあうよう四方に広がった枝葉は木陰のある大きな広場
を形成しており、一見ガジュマルの林かと見間違うほどの広がりを見せています。枝葉を
棚で支えているこの木陰の下を廟に向かって歩いていくと、やがて赤い布の巻きつけられ
た木の根元が見えます。神木として崇められている、その源です。

 一行は廟の中も見学した後、まわりの土産屋を見たり買い物をしました。そこにサボテ
ンアイスが売っています。サボテンの赤い実の汁に、おそらくシロップを混ぜてシャーベ
ット状にしたもので、アイスコーンの上に乗せてもらいます。一個30元。目にも鮮やかな
赤紫色のアイスです。味はラズベリーに似た、ほどよい酸味と甘みで爽やかです。

■地元民によって復元された「日軍上陸紀念碑」

 さて、澎湖島を巡る旅も佳境に入ってきました。これからは日台の歴史的遺産を辿りま
す。向かったのは「龍門裡正角日軍上陸紀念碑」。白沙から二つの橋を渡り、澎湖本島へ
と戻ります。

 バスから見える海岸線は小さな島ゆえに、目まぐるしく曲線を描いています。グルグル
回る風力発電の風車が何機も並んで見えました。街中に入ると様々な形の建物が軒を連ね
ています。風に吹かれ海に囲まれた澎湖島は、海の守り神の媽祖廟が散見されます。赤や
黄や緑で屋根の先が跳ね上がった廟が目につきます。

 龍門は、澎湖本島の東側にあります。車道脇に茶色の案内板が見えました。「龍門裡正
角日軍上陸紀念碑」とあります。現地に着くと、そこには何故か2基の石碑が海に向かって
並んで立っています。向かって左側の碑は「明治二十八年 混成支隊上陸紀念碑」、右側
は「臺灣光復紀念碑」です。実はここには面白いエピソードあるのです。

 もともとここには「混成枝隊上陸紀念碑」が建立されていました。しかし日本の敗戦後、
台湾を占領した中国国民党によって表面の碑文が削られ、「臺灣光復紀念碑」と刻まれて
しまいました。このような碑文の書き換えは台湾本土でもよく見られます。碑の台座は破
壊され、上部の碑は右側に移され、元の碑の位置には小さな土地公廟が建てられたそうで
す。

 今から10数年前に、郷土の歴史改竄に対する抗議の声が地元民からあがり、もともと碑
のあったところに本来の碑が復元されました。左側にあるその碑は「混成支隊上陸紀念碑」
と刻まれており、上から三文字目の「支」は、元々の「枝」とは異なっていますが、理由
は分かりません。

 この碑を復元していただいたことに感謝しつつ、目の前に広がる海を見ながら、私たち
の父祖たちが入江でもないこのような狭い砂浜に上陸してきた光景を思い浮かべると、胸
がいっぱいになりました。

 次も、日本軍上陸の記念碑を林投という所に訪ねました。案内版には「林投日軍上陸紀
念碑」とあります。しかし、実際、そこに行くと碑には「抗戦勝利紀念碑」と刻まれてい
ます。こちらも国民党によって碑文が削られ書き換えられていました。

 ここの碑文はまだ復元されておらず、案内板の方に真実があるという、これもまた皮肉
な例です。記念碑に行く道も寸断されたままで、早く復元して欲しいと願いつつ次に向か
いました。

■軍艦松島の慰霊碑を参拝

 一行は再びバスに乗り込み、澎湖本島西端の風櫃へ向かいました。ここの蛇頭山という
岬に、林先生のお話にあった「軍艦松島殉職将兵慰霊碑」があります。

 湾の側にある慰霊碑の周りは奇麗に整備されています。他の碑への道や周りも整備され
一つの公園のようになっています。

 松島の碑の周りには広くコンクリートの囲いがありますが、遠くから眺めると船の先端
を描いていることが分かります。慰霊碑の台座は高く、その脇には説明のプレートもあり
ました。

 軍艦松島の悲劇については、午前中の林先生の講義にあったので、ここでは省略します
が、台湾の人々がこうして大事に慰霊されていることを実際目にしますと、おのずと感謝
の気持ちが湧いてきます。皆できちんと参拝しました。

■フランス軍兵士の慰霊碑とオランダ要塞跡

 整備された道を歩いたその先には、清仏戦争の際に澎湖で命を落としたフランス軍兵士
を慰霊する碑があります。この碑についても、午前中の講義で林先生が触れられていまし
た。

 清仏戦争(1884〜85)はベトナムの宗主権を巡る清国とフランスの間の戦争です。結果
的にフランスが遂行目的を達成したためフランスの勝利と捉えられていますが、フランス
軍も幾つかの重要な戦いで清軍に敗北しており、両者痛手を受けて終戦を迎えています。

 フランスは台湾戦線において二つの勝利を収めています。しかし、台湾本島の基隆を陥
落するもそれ以上の戦果を拡大できず、その後、澎湖に上陸して占領下におくも、戦局へ
大きな影響を与えることができませんでした。

 停戦合意が結ばれると、速やかに清国軍は条約を履行して軍を撤退、フランス軍も台湾
や周辺の島々などベトナム以外の地域から撤退しています。

 澎湖に上陸したフランス提督クールベは1500名の兵士に軍港建設を命じました。ところ
がマラリアや赤痢という風土病の蔓延によって兵士997名が病死してしまいます。クールベ
自身もマラリアで命を落としました。翌年、亡くなった兵士らはこの風櫃に葬られ、この
慰霊碑が建立されました。碑の隣には「紀念1885年 殉職於澎湖馬公的法國海軍將士們!」
と書かれたプレートも置かれていました。

 さらに岬の奥に足を延ばし、やや草の生えた階段を上っていくと、オランダ要塞跡があ
ります。石碑と、石に刻まれたプレートがあるのみで、その土台などは分かりません。

 1622年にオランダは艦隊を率いて澎湖に上陸して支配しますが、2年後に明との和議で台
湾本島に移り占領することになります。その際に、澎湖にあった要塞の資材を全て移送し
たといわれています。

 こうして野外研修の予定地は無事クリアし、次にレインボーブリッジが望める公園へ移
動しますが、澎湖島が要衝の島であったことや、日本と澎湖島のつながりを実感でき、大
満足です。しかし、この日の野外研修はまだまだ続きます。これから第一貴賓館や観音亭
へ立ち寄ったことや、そして夜の花火もあり、とても書ききれませんので次回に回します。
                                   (つづく)



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