海を渡る蝶 アサギマダラ−日本列島と台湾の自然(3)[台北 林 彦卿]

林彦卿氏の「海を渡る蝶アサギマダラ」の3回目、最終回をお届けする。日本から台湾
へ渡る際、海上で休むとNHKでは報道していたが、林彦卿氏はその説に懐疑的だ。

 台湾のアサギマダラの故郷は大屯山。50万とも60万匹とも言われるアサギマダラが悠々
と飛んでいた。だが、このところ著しく減少しているという。蝶王国を守るために打つ手
はあるという──。

 かつて鹿野忠雄(かの ただお)という少壮気鋭の理学博士がいた。小さいころから昆
虫採集をはじめ、台湾の昆虫採集に魅せられて台北高等学校に入学。そのころに次々と新
種を発見する。東大に入学してからも台湾に渡り、博物学的な昆虫採集をし、氷河地形を
発見している。

 台湾の昆虫に鹿野の名を残すものは少なくない。「カノミドリシジミ」(シジミチョウ)
「カノウラナミジャノメ」「カノクロヒカゲ」など。

 鹿野は1945年、終戦直前に北ボルネオで消息を絶ってしまうが、昭和16年、中央公論社
から『山と雲と蕃人と』が出され、台湾山岳文学の最高峰と言われる。この本が5年前に
装いを新たに文遊社から復刊されている。

 林彦卿氏の一文は、蝶を通して日台交流の新たな地平を垣間見せてくれた。その先達と
して鹿野忠雄がいた。『山と雲と蕃人と』も併せて読んでいただければ幸いである。
                                   (編集部)

■『山と雲と蕃人と』 http://www.bunyu-sha.jp/book/book_kano.html

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海を渡る蝶アサギマダラ−日本列島と台湾の自然(3)

                                   林 彦卿
【榕樹文化 第18号 2007年・新年】

■海上で片羽根上げて休む蝶

 台湾のアサギマダラの故郷は、何と言っても大屯山鞍部(二子坪)から大屯山の頂
 (1080メートル)に到る道路の両側には大量のアサギマダラ、ルリマダラ(purple
butterfly)が出現し、絢爛たる色彩の羽根で大屯山一帯を美しく彩る。その時期にアサ
ギマダラの大好物のキジュラン(菊科)が満開し、それに群がるアサギマダラが鈴なりと
なって吸蜜し、人が近づいても飛び立たず、小生は素手で捕らえたことがある。

 突如始まるアサギマダラの大量出現は、そんなに長続きせず、この華やかな形象も、10
日か2週間くらいで過去形になり、同時に、この蝶の大好物のキジュランの白い花も枯れ
果てて褐色に変わってしまう。

 陽明山国家公園としても、アサギマダラの繁殖時期には、除草を見合わせるとか、農薬
噴霧を禁止するとかして、この蝶の繁殖を邪魔しないようあらゆる方法を講じている。

 この蝶は摂氏24度が好みで、そのため高温の7・8・9月は影を潜め、10・11月にまた
増えてくる。春には台湾から日本を目指すアサギマダラの個体も多く、秋には日本列島か
ら南西諸島へ大移動し、一部は遥か波濤を越えて喜界ケ島、南大東島にまでたどり着き、
台湾にも達している。

 NHKの報道では、この蝶は海の上で休むと言われ、これを漁師が証明したと言われた。
海上に浮いていたアサギマダラを拾い上げると、暫らくしてまた空中へ舞い上がって行っ
たと言われた。

 キシタアゲハ、コウトウキシタアゲハ、それにオオゴマダラは元来フィリピン産の蝶で
ある。その一部が気流に乗ってか、強風に吹き飛ばされてか、台湾にたどり着いたが、こ
れも途中海上で休むという説がある。実際に海上で片羽根上げて浮かんでいるのを見たと
いう人がいるが、これらの蝶は死亡して海に落ちたか、力尽きて海に墜落したに違いない。

 日本から台湾へ不眠不休で飛んで来るとはとても考えられない。昼間でも雨が降ると、
蝶は飛ばない。日本から台湾までは奄美・沖縄・八重山群島があって、それらの島には水
も花もあるから、島伝いに飛んで来たと考えるのが最も妥当だろう。蝶の眼は遠視で遠方
が良く見えるのも、この行動に都合が良い。

■アサギマダラが悠々と飛んでいた空を再現するために

 ここ数年来、アサギマダラの殖産期に大屯山を訪れても、蝶の数量は年を追って著しく
減って来ている。ごく数年前には50万とか60万匹と見積もられたアサギマダラが大屯山付
近に群がり、悠々と空を飛んでいた景観はもう再現しないのであろうか。

 遅ればせながら打つ手はある。大屯鞍部停車場から主峰に通じる自動車道路を完全に封
じることである。歩いて登るのはまだよいとして、大量の車が猛スピードでアサギマダラ
の根拠地に突っ込むのは、蝶にとっては致命傷だ。有毒ガスを当てられて、車のスピード
であおりを食らったアサギマダラは、か弱い羽根を守るため、どこか静かな処を求めて身
を隠す。悪い環境では繁殖もままならぬに違いない。

 いくらひ弱い虫だといっても、聴覚はあるのだから(アンテナが聴覚を司る)。けたたま
しい車の騒音には耐えられない。

 台湾の小学生も、修学旅行で琵琶湖周辺を訪れ、マーキングを実体験して帰国する。自
然と触れ合う良い機会教育になると思う。

朱耀沂教授の筆者宛9月27日付書簡から:
「蝶が海上で一休みすることは充分考えられます。モンシロチョウも長時間移動しますが、
洋上では片翅を水に浸け、もう片一方の翅を垂直に立てて、丁度帆掛け船みたいな格好で
休息し、それから飛び立ちます。恐らくすべての蝶が海上で一休みする時には同じ格好を
するのでしょう。(モンシロは1960年海を渡って南西諸島から台湾に侵入したと思われ
る)」(榕樹文化編集部にて短縮した文である)

林 彦卿 榕樹会台湾支部長。台北師範附属小から一中、台北帝大附属医専卒。小児科医。蝶の採集を学生時代から続けている。
                                      (完)



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