李登輝前総統「日本の教育と私(1)−培われた生命と魂救う考え方」

第5回台湾李登輝学校研修団でも同じテーマで特別講義

 李登輝前総統が9月14日から8回にわたって産経新聞に連載された「日本の教育と私」が
昨日終りました。
 産経新聞によりますと、この連載原稿は9月12日からの訪日の際に東京で行う予定だった
講演草稿だそうで、それを自民党青年部・青年局が訪台した8月下旬の会合の場において発
表されたものだそうです。
 実は、本会の第5回台湾李登輝学校研修団が9月2日から訪台し、9月5日の最終日午前、李
登輝前総統の90分にわたった特別講義でも同じテーマで話されました。もちろん、同じ講
演草稿を使われたようですので骨格は同じですが、中身が微妙に違っています。
 先に本誌(9月9日付、第362号)でもお伝えしたように、特別講義の冒頭で、日本で大事
なのは教育改革であり、自国に誇りを持つことであるとし、安倍晋三官房長官の新著『美
しい国へ』を取り出し、特に、安倍氏が第7章で「教育の再生」について展開していること
を紹介されたことや、自身の思想形成に至る説明のところでは、どうして新渡戸稲造の『
武士道』に行き逢ったのかを説明するとともに、「忘れられない本を3冊あげるとすれば
、カーライルの『衣裳哲学』、倉田百三の『出家とその弟子』、ゲーテの『ファースト』
となる」と述べられるなど、新聞連載には出てこない内容がふんだんにありました。
 この特別講義の内容は、機関誌「日台共栄」の次号に掲載する予定ですが、ここでは産
経新聞の連載を順次ご紹介します。
 すでに姉妹誌のメールマガジン「台湾の声」では9月19日から紹介していますし、また、
本会ホームページにも昨日から掲載していますので、こちらも併せてご覧ください。
                     (メルマガ「日台共栄」編集長 柚原正敬)


訪日延期 李登輝氏、講演原稿寄せる
【9月14日付 産経新聞】

 【台北=長谷川周人】台湾の李登輝前総統(83)は9月中旬に予定していた訪日を延
期したのに伴い、その際に東京で行う予定だった講演の原稿全文を、「日本の若者、そし
て国づくりのためにお役に立ちたい」と、産経新聞に寄せた。李氏の寄稿の全文を8回に
わたって紹介する。
 原稿は、李氏が日本側の要請を受けて、訪日の成否が微妙に揺れていた8月中旬に執筆
し、同下旬に台北市内で開かれた日本の自民党訪台団との会合で披露された。李氏はそれ
を骨格とし、さらに推敲(すいこう)を重ね、完成させた。
 原文は、旧漢字と旧仮名遣いによる鉛筆書きの精緻(せいち)な文章で、政治色を排し
、一語一句に80余年の人生に刻まれた日本への思いがにじんだものになっている。
 李氏はこの中で、台湾統治を教育から始めた日本の植民地政策を、「世界にも例がない」
と評価し、自らの実体験を踏まえて、「台湾人は日本教育を通じて世界の新思潮を知った」
と指摘。さらに「武士道精神に根ざした実践躬行(きゅうこう)の日本精神」を、「日本
人本来の価値観として今一度想起してほしい」と訴えている。
 執筆に向け「若き日本人にメッセージを残したい」と話したという李氏は、今回の日本
旅行で訪問を予定していた「奥の細道」ゆかりの地に抱く思いを特筆。「日本文化の優れ
た精神性と美学的情緒を何とか外国人や今の若い人々に伝えようと考えた」と訪問を希望
した真意を明かしている。
 李氏は当面、訪日を見送る考えであり、混迷する台湾政局への対応に専念するものとみ
られる。


【日本の教育と私 李登輝】(1)培われた生命と魂救う考え方

 ご来賓の皆様、こんにちは! ただ今ご紹介を受けました李登輝です。
 この春に体調を崩し、5月に予定していた日本旅行を見送ることになり、皆様にもご心
配をおかけしました。しかし、医師の指示に従って静養を続けたところ、ようやくここま
で回復し、ここ東京で皆様にお会いすることができました。
 念願の「奥の細道」を訪ねる夢は、体調の問題もあって今回は叶(かな)いませんが、
今日は「日本の教育と私」をテーマに、「奥の細道」に見る日本精神についてお話し、こ
れからの国造りに役立て頂ければと思います。
 ご承知の方も多いと思いますが、1994年の春、歴史作家司馬遼太郎先生が『台湾紀行』
の著作を終えて再度台湾を訪問なされました。その時、特に時間を作って私を訪れて、対
談が行われました。
 私はその時、家内に司馬先生との話はどんなテーマがいいかなと話したら、「台湾人に
生まれた悲哀にしましょう」と言いました。400年以上の歴史を持つ台湾の人々は、自分の
政府もなければ、自分の国というものを持っておらず、国の為に力を尽くすことさえもで
きない悲哀を持っているからです。
 1923年に生まれた私は今年で満83歳になります。そして台湾人に生まれた悲哀を持ちつ
つも、その一方で、外国の人には味わえない別の経験を持っていることは否めません。そ
れは、生涯の中で多種多様な教育を受けたことです。22歳までは日本の徹底した基本教育
、戦後4年受けた中国の大学教育とアメリカ4年間の留学です。
 中国の4年間にわたる大学教育も、結局は日本人の教授による日本教育の延長でした。
アメリカにおける前後2回の留学は、職業的な面での教育でした。
 台湾人に生まれた悲哀と言っても、このような多様な教育、特に日本の教育を受けてい
なければ、現在の私には、おのれの生命と魂を救う基本的な考え方は得られなかったと思
います。日本という国の植民地でありながら、台湾は日本内地とは変わらない教育を与え
られたが故に、非常に近代化した文明社会が作り上げられたのです。 (題字は李登輝氏)



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