平川祐弘氏「正論」の朝鮮統治観に異論 [近現代史研究家 田中 秀雄]

7月27日に掲載された産経新聞「正論」の平川祐弘氏の「歴史の真実を見分ける『眼
識』」は、痛快な台湾論であり、NHK批判で愉快であった。

 平川氏の著書は昔から『和魂洋才の系譜』などを読み、私が尊敬している歴史家である
が、「正論」最後の方の朝鮮統治批判には一寸ひっかかるものがあった。「朝鮮における
失敗」とは朝鮮統治の失敗ということであろう。「朝鮮は一つの文明の国である。その朝
鮮全体を奪うこと」ともある。

 しかし本当に「朝鮮全体を奪う」ことをしたのであろうか。かつて「朝鮮は一つの文明
の国」であったことは私も認めるが、併合直前の韓国は「文明国」であったのだろうか? 

 イザベラ・バードの『朝鮮紀行』を読めば端的に分かるように、「ロシアか日本の保護
下に置かれたほうが幸せだ」と彼女に言わせるほど、国家としての体をなしていない状態
だったのだ。その全くの独立性、主体性のなさが日清、日露の戦争の原因であった。

 二つの戦争を辛うじて勝利した日本は、もうこの国が原因で多くの国民の血と国幣を消
耗したくはなかったのだ。韓国の保護化から併合への道筋は安重根が作ったとしか言えな
いが、日本をこれ以上地政学的に危険な環境におきたくないための措置が「併合」であっ
たのだ。明治天皇の「併合詔書」には「已ムヲ得サル」とある。積極的に「奪う」のでは
ない、仕方なく国家安全保障という観点から併合はなされたのである。

 確かに併合後も、いわゆる「3・1独立運動」のような国権回復運動もあったが、その
指導者たちは昭和の満洲事変後は多くが親日派に転向していく。独立運動に名を借りた共
産主義運動の猖獗地帯である満洲を関東軍が占領し、「反共産主義国家」の満洲国ができ
たからである。事変遂行の首謀者石原莞爾は、目的の一つを「朝鮮問題の解決」と述べて
いる。これは彼の地政学的戦略であった。

 共産主義の防波堤として満洲国は建国される。そして満洲国と日本を繋ぐ架け橋として
朝鮮半島は経済発展するようになる。そのことで朝鮮内は安定していくのである。これは
植民地主義を批判していた石橋湛山も現状を視察して認めている(昭和15年)。

 支那事変が始まってから、多くの朝鮮人志願兵が毎年毎年募集人員をはるかに超えて応
募してくる驚異的な現象を平川氏はどのように解釈されるのだろうか。これは日本と共に
発展していこうとする朝鮮人側の意向も多大な理由をなしていたのである。

 また平川氏は、「文明を奪う」という観点から、「創氏改名」などを批判されているよ
うだが、これはもはや常識であるが、強制ではなかったのである。     (7月28日)



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