八田与一技師と日台交流  近藤 伸二(毎日新聞論説副委員長)

【毎日新聞:2011年5月25日 大阪朝刊「おおさか発・プラスアルファ」】

◇「真の友人」ゆえの絆

 日本統治時代、台湾南部に世界有数の烏山頭(うさんとう)ダムを建設した八田与一技
師の功績をたたえる記念公園が完成した。今月8日の開園式典には、馬英九総統も出席し、
日本からの参加者も森喜朗元首相をはじめ二百数十人に上る。東日本大震災では台湾が手
厚い支援を行うなど、脈々と続く日台の強い絆の意味を、現地で考えた。

■「恨みと恩は別」

 ダム近くに完成した記念公園は、馬総統の指示で、交通部(国土交通省)観光局が約1億
3000万台湾ドル(約3億7000万円)をかけ、09年から工事を進めてきた。目玉は、八田氏が
住んでいた宿舎など4棟の日本家屋だ。廃虚となっていたが、専門家が八田氏の出身地であ
る金沢市を訪問して資料を集めるなどして、精巧に復元した。

 式典で馬総統は「八田氏の貢献は大きい。日本の台湾統治は歴史の悲劇だが、恨みと恩
は別だ」とあいさつを述べた。東京都世田谷区から駆け付けた八田氏の六女成子(しげこ)
さん(79)は「父の仕事がこれほど認められ、誇りに思います。台湾の皆さんに感謝した
い」と感無量の面持ちだった。

 私が烏山頭ダムを訪れるのは4回目になるが、いつも日本と台湾の過去と現在を巡る思い
が胸にあふれる。

 八田氏の顕彰に努めてきたのは、ダムを管理する地元の嘉南農田水利会だ。八田氏を「台
湾農業の恩人」と敬い、ダム完成翌年の1931年、銅像をダム湖畔に設置した。46年には夫
妻の墓も建てた。

 戦後、国民党政権下で日本人の銅像が次々と壊される中、水利会は八田氏の銅像をいっ
たん撤去して守り、81年に元に戻した。47年から毎年欠かさず命日の5月8日に慰霊祭を営
み、85年からは遺族らも参列している。00年には、ダムのほとりに遺品などを展示した記
念室も開設した。

■大地震で「お返し」

 台湾の人たちはなぜ、これほど八田氏を慕うのだろうか。かつて水利会の幹部に尋ねる
と、「工事殉職者の慰霊碑に日本人・台湾人の区別なく死亡順に名前を刻むなど、分け隔
てなく作業員と接した。そんな精神が今も尊敬を集めているのです」という答えが返って
きた。「台湾を愛した日本人」として、地元の人々の心に深く刻み込まれているのだ。

 日本は敗戦で植民地の台湾を放棄し、72年には中国との国交正常化に伴って台湾と断交
した。だが、民間交流の基盤がしっかりしていれば、信頼関係が崩れることはない。

 その象徴が、東日本大震災における台湾の支援だ。すぐに救援隊派遣の態勢を取り、義
援金は160億円を超え、世界で突出する。大使館に相当する台北駐日経済文化代表処(東京)
の馮寄台代表は「99年の台湾大地震では日本が援助してくれた。今度はそのお返しです」
と説明する。

 台湾大地震が起きた時、私は台北で勤務していたので、馮代表の言うことは実感として
分かる。日本の救援隊は各国の中で被災地に一番乗りし、懸命に救助に当たった。規律正
しい活動は評判を呼び、感謝の声が広がった。何より、中国の意向を気にしがちだった日
本が真っ先に派遣したことで、「困った時に助けてくれる相手こそ真の友人」と、人々の
心を打ったのである。

■長い積み重ね

 台湾と日本の距離を近付けるのは、このような交流の積み重ねだ。植民地支配によって
過酷な運命を与えたことを忘れ、日本では安易に「親日」イメージが強調されやすいが、
その関係は簡単に出来上がったものではない。先輩たちが人間同士のつながりを培い、日
台双方の人たちによって受け継がれてきたのだ。

 「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」事務局長で元金沢市議の中川外司(とし)さん
(74)は、その代表というべき存在だろう。85年から毎年慰霊祭に参列し、日台の懸け橋
となってきた。式典会場で話を聞くと、「八田氏の人柄が台湾の人々に受け入れられたか
らこそ、ここまで交流が続いてきた」としみじみ語った。

 元外交部長(外相)の陳唐山さん(75)は台湾側で支えてきた一人だ。台南県長時代、
八田氏の功績を広くPRし、対日交流に力を尽くした。会場で久しぶりに会うと、「断交
後も台日関係が発展してきたのは、八田氏のような人たちのおかげだ。大震災で困難な状
況にある今こそ、日本を応援したい」と訴えた。

 こうした努力が重ねられた結果、台湾では八田氏は教科書でも紹介されるようになった。
死去から70年近いが、その存在感は増すばかりだ。

 八田氏の銅像は、片膝を立てて座り、右手を頭に当てて遠くをながめる得意のポーズを
している。日本と台湾の行く先を見つめるかのような、その姿を見る度に、国境を超えて
真の人間関係を築くことの大切さを教えられる。


◇八田与一氏
 1886年、現金沢市生まれ。東大卒業後、土木技師として台湾総督府に勤務し、1920年か
ら10年かけて、烏山頭ダム(現台南市)と周辺に張り巡らせた用水路などのかんがい施設
を建設した。ダムは当時、アジア一の規模を誇り、干ばつがひどく不毛の地だった南部の
嘉南平野を穀倉地帯に変えた。42年、フィリピンに向かう船上で米軍の攻撃を受け、56歳
で戦死。台湾に残った外代樹(とよき)夫人も終戦後間もなく、夫が築いたダム放水口に



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