充実の「屏東県と高砂義勇隊記念碑訪問団ツアー」から帰国

台風のお見舞い義捐金を贈った屏東県から本会に記念品贈呈

 11月11日から3泊4日で行った「屏東県と高砂義勇隊記念碑訪問団ツアー」には14名が参
加し、14日に無事帰国した。

 今回のこのツアーは、日本統治時代に鳥居信平(とりい・のぶへい 1883〜1946年)が
屏東県来義郷に建設した地下ダム「二峰[土川]」(にほうしゅう)を、出身地である静
岡県袋井市の原田英之市長や市民108人が訪問するのに合わせ、一緒に見学。また、台北
県烏来郷に建立されている台湾高砂義勇隊戦歿英霊紀念碑を参拝することを目的に催行さ
れた。

■台風の爪跡も生々しい二峰[土川]を訪問

 11日夕方、まだ日中の気温が30度にも達する高雄市に入った一行は夕食会場へ。ここで
袋井市の一行とともに夕食。会場には鳥居信平を日本に紹介した平野久美子さんや鳥居信
平の令孫の鳥居徹・東大教授、交流協会高雄事務所の神戸浩道所長らとお会いし、立ち話
程度ながら懇談。

 明けて12日午前9時、鳥居信平が今から86前の1923年に造成した林辺渓の二峰[土川]
に到着。鳥居信平の胸像が建っている「喜楽発発森林公園」で、10年以上も前から屏東県
の人々に鳥居信平の功績を鼓吹してきた国立屏東科技大学の丁!)士教授が一行を出迎え、
解説していただいた。

 4月に行われた台湾李登輝学校研修団でもここを訪れていたが、8月の台風8号(モーラ
コット台風)で環境は一変、土石流は林辺渓の護岸を削り取って堆積し、川の表面に出て
いた二峰[土川]はすっかり姿を隠していた。

 8月末、丁教授とともに現場を訪れた平野さんからお送りいただいた写真では、進水塔
だけを残し、塔が立っていた道路までザックリえぐりとられていたが、急ピッチで進めた
復旧工事のお蔭で塔の周りの道路が復していたことに驚かされるとともに、来義大橋のた
もとから塔の後を通して100メートル以上連なっていたコンクリートの壁は途中から剥ぎ
取られたままで、台風の猛威をまざまざと見せつけられた思いだった。

 それにしても、コンクリート壁でさえ剥ぎ取られたというのに、86年前に建てた進水塔
がそのまま残っていたことをこの目で確認し、当時の技術水準の高さに心底感心した。

 一行は、台風による地すべりで削られた茶色の山肌を見つつ喜楽発発森林公園に戻り、
鳥居信平の胸像についての解説を聞き、用水路の水門を訪問。ここは4月に訪れたときと
まったく変わらず、きれいな水が流れ出ている。丁教授によれば、二峰[土川]自体は台
風の影響を一切受けていないという。

 その後、鳥居信平が勤務していた台湾製糖の工場跡地を訪問、昼食後は鳥居信平の胸像
を制作した許文龍氏が待つ台南の奇美博物館へ。

 奇美博物館の音楽ホールでは郭玲玲館長とともに許文龍氏が出迎え、自らギターやバイ
オリンを演奏して一行とともに「酒は涙か溜息か」「浜千鳥」「世界は二人のために」
「故郷」「もみじ」「荒城の月」「里の秋」「蛍の光」「仰げば尊し」など、日本人にも
なじみの深い歌謡曲や唱歌を歌った。袋井市からはオカリナを演奏する市民グループが登
壇し、許文龍氏のバイオリンと共演、参加者もともに歌った。

 博物館の5階には、許文龍氏が制作した八田與一、後藤新平、羽鳥又男の胸像とともに
鳥居信平の胸像も並んで展示され、また浜野弥四郎と新井耕吉郎の胸像も許文龍一家の絵
画コーナーに展示されており、許氏の思いがひしひしと伝わってきた。

 その夜は高雄市内のホテルで屏東県政府の方々との懇親会が開かれた。折しもこの日は
今上陛下ご即位20年の佳日。会場のホテルへ着くや皇居方面に向かって整列、大阪から参
加した羽田雅子さんの音頭で声高らかに万歳を三唱、遠く台湾の地からご即位20年を寿い
だ。

 夕食懇親会には県政府から鍾家治・秘書長や、7月の袋井市での胸像除幕式にも出席し
た徐芬春・文化処長などが出席、袋井市の方々や本会メンバーとの交流を深めた。この席
には、屏東から本会会員でライオンズクラブ終身会員の王海生氏も同席し、旧交を温めた。

 ここで、日本李登輝友の会から台風のお見舞い義捐金200万円が屏東県に贈られたこと
が発表され、柚原正敬事務局長が鍾秘書長より記念品を授与された。袋井市からは、昼に
曹啓鴻県長を訪問した際に袋井市民らが募金した50万円が手渡されている。

■烏来の高砂義勇隊慰霊碑で慰霊祭

 13日は袋井市の一行と別れ、本会ツアーは台北・烏来の台湾高砂義勇隊戦歿英霊紀念碑
へ。

 烏来の台湾高砂義勇隊戦歿英霊紀念碑(略称・高砂義勇隊慰霊碑)では、烏来郷高砂義
勇隊記念協会総幹事の馬楷理牧(マカイ・リムイ)氏が一行を出迎え、慰霊碑まで案内。

 8月に訪問した柚原事務局長は、馬楷総幹事から11月には改修工事が終わり、新たな慰
霊の場として再出発する旨を聞いていたが、台北県政府から日本語の碑などは戻ってきた
ものの、公園として整備してオープンできるのは来年1月か2月になるという。それでも慰
霊の場としての形はかなり整っていた。

 ここで簡単ながら慰霊祭を斎行、靖国神社でいただいてきたお神酒と破魔矢を慰霊碑の
前に捧げ、周茂吉・常務理事がお神酒を開けて慰霊碑にふりかけ、慰霊祭は始まった。不
思議なことに、それまで降っていた雨がほとんど降り止んでいた。

 まず片木裕一理事が献花、柚原事務局長の拝礼に併せて参加者が拝礼、柚原事務局長が
祭文を奉読、最後に拝礼して滞りなく慰霊祭を執り行った。慰霊祭後は三々五々、記念碑
の周りを参観、改めて万歳を三唱する参加者もあり、意義深い訪問となった。慰霊祭が終
ると、何とまた雨が降り出した。

 昼食は、高砂義勇隊記念協会の常務理事をつとめる高富貫氏がオーナーをつとめる「富
米有」(ふみお)というお店に案内された。ここで朱子孟・郷長代理や林義長・秘書長な
ど烏来郷公所の主な役職者も会議後の懇談を開いていて紹介され、短い昼食時間だったが
台湾式の乾杯を重ねる大歓迎を受け、タイヤルの人々の温かくも素朴な人柄を知る機会と
もなった。

 昼食後は「烏来の竹下通り」ともいうべき、小さなお店が所狭しと立ち並ぶ通りを訪れ
て烏来旅情を満喫し、その後、台北市内のホテルへ。

 ちなみに、袋井市の原田英之市長や山本貴史議員、平野久美子さんらは、本会の斡旋に
より、この日の午後3時から李登輝元総統を表敬訪問している。

■台湾李登輝之友会の蔡焜燦理事長らと懇談

 その夜は、蔡焜燦氏のお招きにより国賓大飯店での夕食会に臨んだ。これは、本会の台
湾側パートナーである台湾李登輝之友会の人事が交替し、新たに蔡焜燦氏が理事長に就任
したことで、顔合わせをしようとお招きに預かった次第だ。

 国賓大飯店の会場には、新台湾李登輝之友会の蔡焜燦・理事長夫妻、彭百顕・秘書長
(元南投県長)、張燦[洪の下に金]常務理事(元台南市長)、事務局担当の張葆源氏
(前陳唐山外務大臣秘書)が顔をそろえ、また羅福全・元台湾駐日代表処代表やNHK
「JAPANデビュー」問題でお世話になっている黄敏慧さん、そして早川友久・本会理
事も見え、「台北ダック」などの美味しい台湾料理に舌鼓を打ちつつ、桜寄贈など今後の
交流について意見を交換する有意義な時間となった。

 帰国日の14日午前は参加者の自由行動とした。柚原事務局長と片木理事は参加者の椿原
泰夫夫妻と近くの行天宮へ。8時過ぎから参詣者であふれる境内の様子に驚きつつ、たま
たま日本語のできる廟関係のおばさんに案内されて参拝の仕方を教わって参拝した。他の
参加者は二二八記念公園や同記念館を訪問するなど、出発までの時間を有意義に過ごした
ようだ。

 これで3泊4日にわたった実り多い「屏東県と高砂義勇隊記念碑訪問団ツアー」も無事に
終了、帰途に着いた次第だが、参加者からは「同じメンバーで再び訪台したい」という感
想も聞かれるなど、充実した内容だった。

 最後になったが、このツアー企画を日本文化チャンネル桜にご紹介していただき、数人
の参加者が申し込んできた。日本文化チャンネル桜様にはこの場を借りて深く御礼申し上
げます。

 下記に、ご参考までに高砂義勇隊慰霊碑前での慰霊祭祭文をご紹介したい。(編集部)