【速報】後藤新平賞を受賞「台湾を民主化に導いたことは一生の誇り」

人のお世話にならぬよう 人のお世話をするよう そして酬いを求めぬよう

【早川友久記者:1日13時13分】後藤新平賞の授賞式は、東京・港区六本木の国際文化会
館で行われ、午前10時、定刻通り式典が藤原良雄・藤原書店代表取締役社長の司会で始ま
った。

 会場には150名の聴衆と多数の報道陣。金美齢・前総統府国策顧問、櫻井よしこ氏、大
宅映子氏、岡崎久彦・元駐タイ王国大使、深田祐介氏ら日本の友人たちも姿を見せた。

 藤原社長はまず後藤新平生誕150周年記念事業実行委員会の事業としての後藤新平賞の
設立経緯を述べた。

 続いて審査員を代表して粕谷一希氏(評論家)が、李登輝氏が第一回の受賞者に選ば
れた理由について、「全人格的な側面から、広い視野に立ち国際的な仕事をされた。私
はアジア・オープンフォーラムの仕事を通じて、李氏の仕事を20年近く見てきた。李氏
が台湾を導いた功績を、今後の日本人の世界構想のヒントにしたいと思った。後藤新平
は東京市長時代、大風呂敷と言われながらも東京の都市計画を実行しようとしたが実現
出来なかった。そういう意味では、台北の都市計画を実現させた台北市長の李登輝氏の
実力の方が上だ。受賞は審査員の満場一致で決まり、第一回目の後藤新平賞にふさわし
い受賞者を選ぶことが出来た」と述べた。

 李登輝氏には副賞として、シチズン社製の時計が贈られたが、シチズンの社名は「公
民から愛されるように」との意味から後藤新平が名付けたという逸話も紹介された。

 その後、李氏は「後藤新平とわたし」と題した講演を一時間にわたって行った。

「この受賞を聞いたとき、本当に私がもらっていいのかなぁ、という気持ち。」

「22歳までは日本人。徹底した基本教育とエリート訓練だった。自我に悩んだ青年時代
に肯定的人生を見出すことが出来たのも日本教育のおかげ。後の総統時代に一滴の血も
流さずに台湾を軍事独裁から民主体制に変革したことは一生の誇りと思っている。」

「私淑する後藤新平は、私にとって偉大な精神的導師。」

 などと述べ、会場から万雷の拍手を浴びた。聴衆の中には立ち上がって拍手をする人も。

 記念撮影後に行われた記者会見では、進行役の中嶋嶺雄氏が「座ったままで」と言う
のを、李氏は立ち上がり、まるで講演の続きをするかのように、持論哲学の「私は私でな
い私(我不是我的我)、つまり自分とは何ぞや、人間とは何ぞや」についてサミュエル
・ハンチントンやベートーベンを引き合いに出して語った。

 続いてのメディアからの質問では、台北から帯同した朝日新聞の野島記者が「講演の
中で、台湾を民主化し、台湾政府を樹立したことは一生の誇りと思っている、と発言さ
れたが、具体的にはいつの事なのか」と質問すると、「一般的には、1996年の民選直接
総統選挙が台湾の民主化が具体化された時期だと言われているが、私は1990年の憲法改
正だと思っている。ただ、長年にわたって政治家をやって来たが、今になって思うこと
は”人生なんてこんなものかな”ということだ」と苦笑い。

 櫻井よしこさんからの質問「講演の中では非常に深く日本と台湾の関わりに触れられ
ていましたが、これからの日台関係についてどのような感触をお持ちですか」には、「
日本と台湾は正に生命共同体。台湾がまずやられれば次は日本がやられる。それなのに、
日台間は国交がなく、日本は台湾に対して赤の他人のような顔をしている。政治的には
関係がなくとも、うまく付き合っていかなくちゃならん」と日本の政治家を叱咤した。

 最後に李氏自ら「最後に一言」と立ち上がり、「最後に申し上げたいことは、日本は
リーダーシップの取れる人材を作りなさいということだ。既に現在、物質追及する世界
は終わった。これからは創造的な力を持つリーダーを作るべきだ。まず何よりも一番大
切なのはリーダーシップ、どうか日本人の皆さん頑張ってください」と述べると、期せ
ずして報道陣の間から拍手。

 こんなにも日本を叱咤激励してくれる偉人がどこにいるか。

 この後、李氏一行は国際文化会館の美しい庭園を散策してから昼食、午後に日本側メ
ディアと会見を開き、ホテルへ帰られた。

 午後は予定は入っておらず、ゆっくりとホテルで静養された。



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