【台湾出身戦歿者慰霊祭】祭文(久保田信之・第1回台湾李登輝学校研修団団長)

本日、ここに、台湾出身戦没者慰霊祭を挙行せんと集いし我等は、李登輝先生のご人徳
に心酔して人生の師と仰ぎ、先生の御心を我が心にせんと日々精進して居るものたちであ
ります。
 六十年もの長きにわたり、御霊祭りを主宰することなく打ちすごして参りました無礼を
、先ずは、心より反省し衷心よりお詫び申し上げるしだいです。
 思えば昭和十六年十二月、祖国日本の自存と東亜の安寧を求め、ぎりぎりの選択の下に
米英に宣戦を布告して以来、諸先輩各位は等しく、国難を打開すべく、それぞれの立場・
役割を十分に自覚して、必死の努力を続けて下さいました。
 われらがここに、感謝の誠を捧げんとする台湾出身の軍人・軍属は、なんと志願倍率六
百倍近くの難関を経て選抜された真に優れた方々であったと記録されています。
 中でも、十七年二月に、五百名の「つわもの」が選抜されて「高砂挺身報国隊」と名づ
けられた義勇兵諸氏の活躍は、世界戦史に輝やかしい足跡を残して、現在のわれわれの心
を強く打つものであります。
 特筆すべき戦績は、三月のフィリッピンで展開されたあの激しくも苦しい第二次バター
ン攻略の時に残されています。
 それは、単に軍紀を厳粛に守ったというだけではなく、襲ってくる激しい疲労や空腹を
ものともせず、衰弱した戦友(とも)を気遣い、ご自分の食料までも分け与えてくださっ
たと伺っています。その鍛え上げられた敏捷性をフルに発揮されて敵を翻弄しながら道を
拓き橋を架けるなど、戦況を有利に展開する任務を見事に遂行されました。
  男誉れの舞台なら  何で命が惜しかろう  挺身奇襲がお手のもの
  第一線の華と咲く  われらわれら高砂義勇隊
  ジャングルなんか一跨ぎ  輸送任務に開発に  逞しいかな盛り上がる  
  胸には鋼の響きあり  われらわれら高砂義勇隊
 こう口ずさんで、フィリッピンをはじめインドネシヤや南洋諸島の各地で勇敢に戦われ
、そして尊き命をささげられたのです。
 さらにまた、神奈川県大和の高座海軍工廠はじめ全国各地の軍需工場に派遣されて祖国
防衛と安全の一翼を担ってくださった台湾少年工の存在と果たされた役割についても忘れ
ることができません。
 与えられた自由・民主・平和に安住しきった無気力な若者を、教育現場や家庭裁判所と
いう修羅場で、日々、間じかに接している私にとっては、純粋無垢な十五六歳の少年工が
、平和と繁栄のために、騒ぐ自分に打ち克って、命がけで貢献してくださったという紛れ
もない事実の重みに、ことのほか強く心を打たれます。
 現在の日本に、祖国のために必死に努力する十五六の少年たちが居てくれるでしょうか
。日本の将来を憂慮するとき、靖国の杜に合祀されている六十柱の少年工に象徴される当
時の台湾少年工各位が示された尊い事実は、貴重な教材としてしっかりと語り継ぐ必要を
再認識すべきでありましょう。
 残念ながら、敗戦直後に書類が焼かれたこともあって、資料が限られ、今もその正確な
数字はつかめていないようですが、各方面の努力により、台湾出身者にて先の大戦に従軍
された方々は合計二十万七千百九十三名と記録され、二百四十六万余の御祭神とともに、
ここ靖国の杜に祀られている台湾出身の英霊は、二万七千八百六十四柱であると承知して
おります。
 この紛れもなき尊き事実は、現代を担うわれわれに大いなる感動と勇気を与えてくれる
ものです。われわれは誠の心をもって、感謝の気持ちを改めてあらわすとともに、将来を
しっかりと担っていくことを、ここに集いし者すべてがお誓い申し上げます。
 今は亡き周麗梅さん一行が、二〇〇二年四月三日に、日章旗を手に、ここ靖国の杜に昇
殿参拝され、純粋な慰霊の気持ちをささげられたことも私共の記憶に新しいところです。
 今回は我等「内地」の人間がここに集い、同じく純粋な慰霊の気持ちを表し御霊安らか
なれと祈り奉り、末永く畏敬の念を持って偉業を語り継ぐことをお誓い申します。
 最後に感動的な詩、二首をご披露して、私の拙い祭文を締めくくります。
  かくありて 許さるべきや密林の 中に消えし戦友(とも)を思えば
                               本間雅晴
  けなげにも務め果たせし少年工 散りしこの地にただ涙して佇つ
                               野口 毅

 平成十七年十二月四日

  学習院女子大学教授 日本李登輝学校・修学院長
  第一回台湾李登輝学校研修団団長                久保田 信之



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