「馬英九の台湾」とどう付き合うべきか [花岡信昭]

【5月16日「花岡信昭メールマガジン」第569号】
「カレント」5月号】再掲

http://www.melma.com/backnumber_142868/

 台湾総統選(3月22日)は国民党の馬英九氏が圧勝した。「親中・反日」の権化のよ
うにいわれてきただけに、日本の保守層には落胆の色が濃い。だが、政治の現実は冷徹、
非情であって、情緒的反応に陥ってしまっては日台関係の今後にかえって悪影響をもた
らす。

 「馬英九の台湾」とどういうスタンスで付き合っていくべきか、ここは冷静な政治的
英知をめぐらすべき局面である。

 それにしても、総統選の結果は歴然としていた。馬英九氏が765万票、対する民進党
の謝長廷氏は544万票。得票率は58%対42%だ。200万票の大差となったのは、事前の予
測を超えるものであった。

 1月の立法院選挙でも国民党が圧勝した。小選挙区制が導入されたため、得票数に比
べて議席差が出る。国民党は500万票、得票率51%、民進党は360万票、37%だったが、
獲得議席は国民党が全体の72%、81議席を占めた。民進党は24%、27議席にとどまった。
李登輝氏が率いる台湾団結連盟は議席を獲得できなかった。

 この結果によって、総統選では「揺り戻し」が生ずるのではないかと見られた。沈黙
を保っていた李登輝氏が投票日直前に謝長廷氏支持を打ち出し、チベット騒乱も民進党
優位に働くのではないかと見られた。

 だが、結果はそうした「淡い期待」を無残にも打ち砕くものであった。民進党の完敗
といっていい。

 この結果に対して、さすが李登輝氏は卓抜した現実的な政治感覚を持つ存在であるこ
とを改めて認識させる行動に出た。総統選直後に馬英九氏と会談、一気に関係修復を印
象付けたのだ。

 この李登輝氏の政治センスをとことん学ぶべきであろう。民主主義体制にあって、有
権者の審判は最大限に尊重されなければならない。たとえ、選挙結果が今後、台湾に苦
境をもたらすものであったとしても、それは台湾の人たち自身が甘受しなくてはならな
い。

 ここは厳粛な気持ちに立ち返って、台湾人の選択を見つめなおすべきであろう。日本
の保守論壇に馬英九氏の当選を快く思わぬ意識が強いことは十分に承知しているが、日
本の国益を踏まえ、今後の中国、台湾との関係をどう位置づけていくか、国家戦略とし
て再構築する構えが必要だ。

 筆者の経験を披露すると、台北市長時代の馬英九氏に会ったことがある。政界や企業
人らの訪台団とともに歓迎レセプションに出席した。馬英九氏が歓迎スピーチに立った
が、話を進めているうちになにやらおかしな雰囲気になった。

 日本の「過去」を持ち出し、反省と謝罪を迫り始めたのである。なにやら中国の要人
から責め立てられているようで、日本側の出席者がざわざわとしてきた。かなりの人が
「聞いてはいられない」とばかりに、スピーチ中は遠慮すべきであるのだが、飲食物が
並べられたテーブルを取り囲み、勝手に食べ始める始末であった。

 以来、筆者も馬英九氏に対するイメージは「親中・反日」の頭目といった印象がぬぐ
えないままであった。馬英九氏も最近は日本側のそうした反応を十分に認識しているよ
うだ。昨年の訪日のさいには、同志社大学で講演しているが、「東アジアの平和と繁栄
のためのビジョン」と題して、日台関係の強化を訴えた。反日めいた発言はいっさいな
かった。

 民進党の敗北は、陳水扁政権の経済失政と周辺のスキャンダルに尽きる。李登輝氏が
バックアップしていた時期の陳水扁氏は、政権運営も安定しており、日本側のイメージ
も悪くはなかった。

 日本側にとって、李登輝氏は特別な存在である。数年前に別荘を訪問したことがある
が、帰りがけに「地下室を見ていってほしい」と案内された。広大な地下室には木製の
本棚がまるで図書館のように整然と配置されており、日本の書籍であふれていた。

 日本の書店で見かけるような近刊本もずらりと並べられていた。未開封のダンボール
箱がいくつもあり、すべて日本から送らせた書物だという。岩波文庫はすべてそろって
いた。

 李登輝氏によって日本人は「武士道」の気高さを改めて教えられた。日本人が忘れて
いた「日本的資質・美徳」を李登輝氏が日本の論客以上の迫力を持って伝えてくれたの
であった。日本国内で最も信頼されている台湾要人は李登輝氏であるといって過言では
ない。

 李登輝氏は「台湾人」というアイデンティティーの貴重さを台湾内部に根付かせた。
これを香港生まれの外省人である馬英九氏が巧みに取り入れたのである。総統選の底流
に流れていた重要なテーマは、「台湾人」意識であったといっていい。

 馬英九氏は中台関係について、「統一せず、独立せず、武力行使せず」を基本として
いる。中国傾斜が強いことは事実だが、これは現状維持政策である。馬英九氏の時代に
なれば、一気に中国との同化が進むと見る向きもあるが、そこは周到に判断していくほ
うがいい。

 台湾海峡で武力衝突を起こさないようにすること。これが日本の国益に直結する。台
湾海峡は日本の重要なシーレーンなのだ。

 つまりは、馬英九氏も謝長廷氏も突き詰めれば現状維持派なのである。中国側は謝長
廷氏が勝てば、独立志向が強まると警戒していたが、両氏とも練達の政治家なのであっ
て、現状を激変させるような政治行動を取るわけがない。

 いってみれば、馬英九氏は「親中の現状維持派」、謝長廷氏は「反中の現状維持派」
なのだ。であるならば、日本が取るべき道ははっきりしている。「馬英九の台湾」の今
後をきっちりと見据え、中国傾斜が過ぎるようだったら、これを牽制していくことだ。

 さらには、韓国に対北太陽政策を放棄する新政権が生まれたことも重視しなくてはな
らない。「馬英九の台湾」を必要以上に中国寄りにさせないよう、日韓台の連携を一段
と強めていくことだ。そこには、経済交流と同時に、自由と民主主義、人権を至高のも
のとする価値観の共有化という接着剤がある。これは中国とは相容れない基本スタンス
である。

 馬英九氏はアメリカのグリーンカード(永住権)を取得しており、選挙戦で攻撃を受
けたが(大きなマイナスにはならなかった)、ここは、馬英九氏の「親米度」に注目す
べきである。馬英九氏は「親中」以前に「親米」派といっていいのではないか。

 となれば、「馬英九の台湾」は、日米韓台の連携を強める契機として位置づけること
も可能だ。これこそが価値観を共有する仲間同士である。価値観同盟と言い換えていい
かもしれない。

 これを強化していくことだ。そこに、対中関係で日本が新たな「カード」を握る可能
性が見えてくる。福田政権はいたずらに親中姿勢を強めることしか眼中にないようだが、
これでは日本の外交パワーは生まれない。

 チベット騒乱への武力弾圧などに対して、前期の価値観同盟の基本姿勢を踏まえ、中
国を厳しく牽制する。そうでなくては日本外交はあなどられるだけだ。「馬英九の台湾」
は日本の国家戦略の再構築につながるのである。



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