「台北ナビ」が李登輝元総統に続き蔡焜燦先生を紹介

7月15日発行の「台北ナビ」が李登輝元総統と本会の活動を的確にかつ詳細に紹介したと
きには驚きましたが、10月25日号では蔡焜燦(さい・こんさん)先生を取り上げていて、
これもまたよく調べぬいた記事です。

 またまた「台北ナビ」記者の勉強ぶりに驚かされました。その上、行間からは蔡先生を
尊敬する気持ちが痛いほど伝わってきます。たくさん掲載した写真もシャープです。「大
東亜戦争」など、用語の使い方も適切です。

 蔡先生はこのところ少し体調を落とされていましたが、10月27日の「台湾歌壇」月例歌
会にも出席され、少しずつ良くなりつつあるようです。11月の李登輝学校研修団でも講師
のお一人として、李登輝元総統の特別講義の直前にご登壇いただきます。

 台湾と日本の交流に尽力された方で、真っ先に名前が挙がるのが蔡焜燦先生。蔡先生が
日台間の友好関係の増進に顕著な功績を残されていることは、歴代の日本交流協会台北事
務所代表(駐台湾日本大使)も認めているところです。

 「民間大使」と言っても過言ではないその労に日本が報いるには、天皇陛下から叙勲の
栄誉を授けることだと確信します。「台北ナビ」の記事もそれを証明しています。


蔡焜燦先生─『台湾人と日本精神』は、もう読まれましたか?
【台北ナビ:2013年10月25日】

http://www.taipeinavi.com/special/5048354
*蔡焜燦先生の写真をふんだんに掲載

 こんにちは、台北ナビです。

 前回、日台関係を語るうえでの代表的人物として李登輝・元台湾総統を取り上げました。

 今回は、自らを「私は親日どころじゃない、愛日家だ」と語る蔡焜燦先生にご登場いた
だきます。

 蔡焜燦先生をご紹介する際、必ず枕詞に使われるのが「老台北」のニックネーム。

 名付け親はかの大作家、司馬遼太郎です。もともと、北京に何代も住み、文化や教養を
身につけた知識人のことを「老北京」と呼んだことから、司馬先生は「老北京」をもじっ
て「老台北」のニックネームを贈りました。

 その日本語も、知識も、教養も、センスあふれるユーモアも、そんじょそこらの日本人
では敵いません。

 「今日は何の日か知ってるか?○○記念日だろう?」「台湾のことを詠んだ明治天皇の
御製を諳んじてみろ」「この俳句は誰の作品か?」と、日本の若者たちに向けて矢継ぎ早
に質問を繰り出し、タジタジになっているのを見ては笑っています。

 しかし、その目は「日本にはこんな素晴らしい文化と歴史があるんだ。それを知らない
なんてもったいない。日本人はもっと胸を張りなさい、自信を持ちなさい」と言っている
かのようです。いかに自分が日本を愛し、日本を評価し、日本人を応援しているかを語る
姿は、まさに「愛日家」というご自身の造語にピッタリと当てはまります。

◆清水公学校

 蔡焜燦先生は、日本時代が始まって30年以上が経過した1927年(昭和2年)、台中近郊に
ある清水に生まれました。

 前回ご紹介した李登輝・元台湾総統より少し下の世代です。蔡少年が入学したのは清水
公学校。

 当時、教育政策も積極的に推し進めていた台湾総督府でしたが、台湾には小学校と公学
校という2種類の学校が存在しました。

 小学校は、基本的には日本語が自由に読み書き出来る児童が入り、公学校は日本語を主
体にして授業を行うと支障が出る子供たちが入学しました。そのため、公学校では日本語
を初歩から学んだり、台湾語で補充説明する授業が多くなります。

 結果的に小学校には日本人子弟の児童が多くを占め、公学校には台湾人家庭の児童が多
数を占めるようになりますが、台湾人の子供たちが小学校に入学することを禁じられてい
たわけではありません。

 この小学校、公学校の区別を植民地政策による差別として取り上げられる向きもありま
すが、日本語が覚束ない台湾人の子供たちと日本人の子供たちが、一緒に授業を受けるこ
とで起こる問題を回避するための対策という一面があったのも確かです。

 蔡先生のご自慢のひとつがこの清水公学校で行われていた視聴覚授業。

 当時、鹿児島出身の河村秀徳校長先生が、地元の人々の寄付を集めて購入設置した16ミ
リ映画や校内有線放送による視聴覚授業など、当時の日本内地にもなかった先進的な教育
を試みていたと語る蔡先生の目は、自分の母校を自慢する少年時代に戻ったかのようです。

 後に蔡先生は、当時使われていた視聴覚授業の教科書「綜合教育読本」をポケットマネ
ーで復刻し、日本からのお客さんに配っています。この教科書の中には、日本の童謡や物
語、神話から和歌、軍記ものまであらゆる教材が掲載されており、蔡少年はそのほとんど
を暗記してしまい、今でも諳んじているほどです。

 「好きなところでストップと言ってごらん」と言われ、適当なページを開けては歌を歌
い、和歌を諳んじたあとはまた矢継ぎ早に質問が飛んでくるのです。

 「よく日本は台湾に悪いことをしたという人やメディアがあるけど、この教育内容を見
てみれば、内地よりも豊かな教育が行われていたことが分かる。一体これが植民地の学校
だろうか」と語る蔡先生の言葉は、日本の統治を実際に経験したからこその重みを感じさ
せます。

◆戦争〜戦後

 1941年(昭和16年)、大東亜戦争が始まると、当時のご多分にもれず蔡少年も軍国少年
としてお国のために戦いたいと願うようになります。台中州立彰化商業学校を経て、終戦
間近の1945年(昭和20年)1月、少年航空兵として陸軍航空学校入学を許された蔡少年は船
で日本内地へと向かったのでした。

 内地に到着後は岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊(現在の奈良教育大学)に入学。とは
いえ敗戦が間近に迫っていることなど蔡少年たちには知る由もありませんでした。8月15日
を迎え、戦火が収まりましたが、すぐに台湾に帰れるわけではありません。そこで、蔡少
年たちは仲間とともに京都の山奥で炭焼きをして糊口をしのいだと言います。当時、地元
の人達が「兵隊さん、これをご飯の足しにしてください」と野菜を差し入れてくれた思い
出を懐かしく語ってくれます。この地には戦後数十年を経て奥様と一緒に再訪したそうです。

 台湾に戻った若き蔡先生を待っていたのは、日本の統治を離れ、国民党に占領された台
湾でした。戦後の混乱のなか、体育が得意だった蔡先生は小学校の体育教師となりました
が、戦後吹き荒れた排日気運により、あらぬ疑いをかけられて教職を離れます。この時
代、台湾を占領した国民党にとり、台湾人が日本にノスタルジーを抱くことは占領政策の
邪魔以外の何物でもなかったのです。

◆教職〜そして、実業家へ

 教職を辞した蔡先生は様々な事業を経て、サラリーマンの世界へと飛び込みます。1968
年(昭和43年)、出張で戦後初めて日本の土を踏むことになりますが、その時を振り返っ
て蔡先生がよく語るエピソードがあります。業務が一段落したとき、上司は台湾からわざ
わざ出張してきた蔡先生を労うため、部下に「ストリップにでもお連れしなさい」と命じ
ました。タクシーに乗った蔡先生は、案内役となった高島嘉道氏に「ストリップはやめ
て、靖国神社へ連れて行ってもらえませんか」と頼みました。

 2人で参拝を終えると、高島氏は胸ポケットの定期入れから一枚の写真を取り出し、涙な
がらに「蔡さん、これ、私の兄です。フィリピンで散華しました。蔡さん、今日は本当に
ありがとうございます」と語ったとか。

 今も高島氏と交流が続くという蔡先生は、敗戦と戦後の高度成長により、少なからず変
わってしまった日本人の価値観のなか、未だ肉親を想い涙する高島氏の姿に感銘を受けた
そうです。

 そして、その後再び事業を起こして実業家へ。「本当に色んなことをやってきた」と述
懐する蔡先生ですが、有名どころは「ウナギの養殖」と「台湾セイコーの会長」でしょう
か。今も昔も日本のスーパーに並ぶウナギに「台湾産」のシールを見ることができます
ね。「台湾セイコー」とはもちろん時計の老舗「銀座服部」のこと。今でも現役でIT企業
の会長職を務めています。

◆台湾紀行

 そんな蔡先生の名が一躍脚光を浴びたのは1993年のことでした。作家の司馬遼太郎が当
時、週刊朝日に連載していた紀行シリーズ『街道をゆく』で、40番目の取材地として選ん
だのが台湾でした。とはいえ、取材やインタビューにはガイドが必要です。そこで、司馬
氏は古巣だった産経新聞に相談し、当時の吉田信行・台北支局長から紹介されたのが蔡先
生だったのです。

 この「台湾紀行」の中で、当初、蔡先生の名前は明かされず、水先案内人として「老台
北」の名前だけが頻繁に登場します。司馬氏はこの「老台北」の種明かしを連載の後半に
持って来るつもりでいたようですが、たくさんの読者がこの「老台北」の正体をめぐって
憶測を巡らせていることが伝わったのでしょうか、予定より早く登場させたことを後に語
っています。 

 この台湾紀行のなかで、蔡先生は台湾の歴史、政治、民俗、文化、価値観を司馬氏に紹
介するガイド役を務めたのみならず、極度の偏食だった司馬夫妻の献立メニューにも気を
配ります。

 望んだ以上の指南役を味方につけた司馬遼太郎は、台湾国内をほぼ一周し、戦後、日本
と引き離されたまま、忘れ去られたに近かった台湾の存在を再び日本の人々に突きつけた
のです。この週刊朝日の連載は台湾国内でも大反響を呼び、そのコピーが「日本語族」の
間でまわし読みされ、記事の内容についてそこかしこで話し合う姿が見られたといいます。

 また、この「台湾紀行」は、台湾そのものにとってもエポックメイキングな出来事を生
み出しました。司馬遼太郎氏は李登輝・台湾総統夫妻と対談。そこで李総統は「台湾に生
まれた悲哀」を語り「国民党政権も外来政権だ」と断言したのです。

 「台湾に生まれた悲哀」とは、台湾の地に住む人々が一度も自分の国の主人になったこ
とを嘆いたものであり、当時、自身が国民党主席で現役の総統でもあった李登輝総統の口
から「国民党も外来政権だ」という発言が飛び出したことは、台湾国内のみならず、台湾
の領有を主張する中国国内でも様々な議論を呼び起こすなどセンセーショナルな話題とし
て取り上げられました。

 その後、日本を愛し、日本を評価する蔡先生は、日本への想いを込めて『台湾人と日本
精神』を上梓します。今も小学館文庫で手に入るこの本のタイトル「日本精神」とは、台
湾語で「リップンチェンシン」と読み、「真面目、勤勉、誠実、清潔、正直」などを意味
する言葉として定着しています。そして、蔡先生は事あるたびに「戦後、中華民国に占領
された台湾だったが、今の中国のように人々のモラルが地に落ちるところまでいかなかっ
たのは、日本精神を叩きこまれた人々が社会の基盤を担ってきたからだ」と評価するのです。

◆そして、今

 現在、蔡焜燦先生は86歳。老いてなお、日本からお客さんがあればポケットマネーでも
てなし、台湾の美味しい食事で日本人をとりこにします。そして「日本人よ、胸を張りな
さい」と激励して、少しでも多くの「台湾ファン」が増えるよう、まさに民間外交官を地
でいく活動をしています。

 また、ライフワークともいえる和歌を嗜み、月に一度は「台湾歌壇」の代表として歌会
にも出席する一方、「台湾民主化の父」李登輝元総統を支援するため「李登輝民主協会」
の理事長としても活躍されています。

 好々爺といった風情の蔡先生ですが、おばあちゃんとはいつも仲良し、歌が大好きなご
夫妻は宴席でも得意の美声を披露します。若い頃は音楽の先生として教壇に立ったおばあ
ちゃんももちろん日本語世代。宴席にお出ましになる時はいつも一緒です。

 私たち若い日本人にとって、教えてもらわなければならないことはまだまだたくさんあ
ります。

 いつまでも長くお元気で、叱咤激励していただきたいものです。

 以上、台北ナビでした。


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