――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(24)中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政�社 大正四年)

【知道中国 1768回】                       一八・七・三一

――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(24)

中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政�社 大正四年)

中野の獅子吼は続く。

「國土を大にし、武力を以てしても列國に後れを取らずてふ氣慨なき國家の致富、果して、幾何の有難味あるべきぞ」。「苦しきなりにも東亞を保障するの任務は、�々重く帝國の雙肩の懸り來れり」。であればこそ、「友邦を提撕して白禍の東漸を防ぐ」――グータラな「友邦」の尻を引っぱたいてでも東に向かう「白禍」の侵攻を防ぐことが急務なのだ。だから「今まで無經驗なりし植民政策にも着手せざる」をえなかった。未経験であるがゆえに「失策多く、經營費の使途宜しきを得ざりしに就いては、余輩も常に攻?して止まざれど手を空しくして之を抛棄するに比ぶれば、國民の活動を促し、國民の意氣を増したること幾何ぞや」。確かに「過去の大陸經營」は理想とは程遠いが、それでも唯列島に逼塞し、国民全体が「貯金の利子を數ふるの氣運」に突き動かされるよりは数段マシだ。

日露戦争開戦前を思い起し、「當時若し露國に屈從したりしと假想」するなら、「今や露國は内外蒙、南北滿を合して進んで曩に日本に讓りたる朝鮮に手を出し、一衣帶水の日本本國に垂涎」するばかりか、他の「歐洲列國も亦其尻馬に乘」って押し寄せることは火を見るより明らかであり、よってアジアは分割統治されてしまっただろう。

「我國が列國の壓迫に堪へずして、漸次小日本主義に移り、遂に貧弱國として安を偸むべきか、將た又列強と馳聘して�々我雄風を示し、眞に世界の強國、大國として長へに榮ゆべきかは、一に懸りて國民の決心如何にあり」。やはり「國民にして小弱を安しとせば、我國は小弱すら維持するに堪え」られない。「大國民的氣魄を示し、孜々として怠らずんば、國家は長へに富強なるべきなり」。

「單に生活難を感ぜざるを以て學問の本義」と見做すような大陸政策放棄論者の「如き人物の充滿せる社會には何等の發達なく、斯の如き人物より成る國民は劣等の國民にして、其國家たる到底列強の間に存立する能はざるものなり」。

「凡そ健全なる文明人は」、現在の生活の幸福を考えるのは当たり前だが、「其智力」の余裕部分を「將來を拓くの奮鬪に資し、進んで退かず、達せずんば止まざるの勢」があるものだ。だが将来を深く考え、隠忍自重することも必要であり軽挙妄動は断固として排すべきである。

海外発展の基礎は国内にあり。だから「假令海外政策の一小蹉躓を來すあるも」、「國内の積弊を除」く必要がある。「憲政の危機に際しては、内亂を起して」でも、「國内百年の禍を釀」す要因を剔抉しなければならない。その際、「容易に官僚者流の所謂擧國一致論」が起るが、そういった俗論に「從はざるは、是れ實に大國民の態度なり」。

 「小日本主義の下に、榮華の夢を貪らんとする」ようでは、列強のみならず他の小国からも軽んぜられ、国家として不利益を被るばかりであり、「榮華の夢」なんぞ夢のまた夢に終わってしまう。

 北からロシア、南方からイギリスとフランス、太平洋の東からはアメリカ――列強が国力を増強させ腕を撫しながら満州を舞台に丁々発止と繰り広げるグレート・ゲームの時代に、小日本主義などを掲げていては、日本は列強によって扼殺されかねない。であればこそ「吾人は爲政者として大國家主義を取りて、國家を難路の中途に置き、個人としては大人物主義を取りて、一身を奮鬪の旅行者となすべし。斯くの如き國は榮え、斯くの如き人は進む」と、中野は高らかに宣言するのであった。

 日露戦争後のロシアの東方政策、加えるに満州を舞台にした中米仏英による外交戦を考えた時、中野の指摘する我が満州経営から露呈する悪弊は、現在にも通じると思う。《QED》


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