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――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(33)徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

【知道中国 1808回】                      一八・十・念三

――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(33)

徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

「實利」と「虛榮」の「兩個の性格、交互錯綜して、一種不可解なる支那の國民性を、構成」している。だから「支那人と交らんと欲する」なら、「彼等の實利を、尊重する」と同時に「其の體面を毀損」しないよう努めなければならない。

「人は弱點に於て、他と繫る」ものだから、「支那人の虛榮心は、寧ろ支那人の美點と見て可也」。

――まったくもって厄介極まりない方々だが、徳富の考えに従えば虚栄心を満足させる程度に実利を与えることが、彼らとの最善の付き合い方ということになりそうだ。さすれば「中国の夢」なる虚栄心を満足させる程度に実利を与えることで、一帯一路を骨抜きにできるかもしれない・・・のだが――

■「(五八)無事的調法物有事的厄介物」

日本人は「一旦緩急的」であり、「支那人は、普通尋常的」である。かくして「日支兩國人が、互ひに相提携し難」いことになる。

およそ決められたことを決められたように順序づけて「繰り返すには、支那人程、調法な者はな」い。いいかえるなら彼らは「生命ある器械」であり、「盲目的服從、無心經的動物」ということだ。だから「一旦既定の順序が、齟齬する」なら、「支那人の弱點」は暴露され、「周章し、狼狽し、途方に暮れ、進退度を失」う。つまり「臨機の才能、應變の智惠」がないことから、「支那歷史の慘劇の多くは」起こっている。

■「(五九)常に處して變に處せず」

「所謂神智靈覺は、支那人も最も不長也」。「彼等の多數は、順風快潮の舟師にして、惡風激浪の水夫」ではなく、「比較的低級の氣轉さへも、餘りに利かぬ者もあり」。

「支那人が戰爭に適せざるは、其の平和的人種なるが爲めのみにあらずして」、臨機応変の振る舞いができないからだ。「彼等は練兵場に於て好兵士」ではあっても、「戰場に於いて、好兵士」ではない。それというのも「常に處」することはできるが、想定外の事態が連続的に起こる戦場における「變に處する能はざれば也」だからだ。

「支那人現時の平凡生活は、今や殆んど支那人を驅りて、行屍走肉たらしめたり」。

■「(六〇)數の勢力」

「如何なる點より觀察するも」、「支那の強味は、其の人口の衆にあり」。「之を強味として利用するは、政治の妙機」である。「戰爭に於ても、平和に於ても、數は一大要素」であり「數は即ち資本」である。であればこそ「吾人(徳富)は此の一點に於て、支那の前途を悲觀す可き理由を見ず」。

■「(六一)烏合の衆」

「數をして最有力ならしむるは、組織にあり、結合にあ」るが、「支那人は個人萬能、團體零能」だ。「支那人程、彌次馬根性の増長したるものなし。一犬虛に吠へ、萬犬實を傳ふとは、支那の犬を形容するよりも、寧ろ支那人を形容すべき名言也」。

「飛語、流言、訛傳、風説、何も非常の勢力を以て、支那を席捲し、時としては政府を顚覆し、國家を破滅」させることもあるが、その依って来る所以は「皆な支那人の雷同性にある」のだ。

彼らのような「烏合の衆」を組織化するには「規律に服從する順法精神」と「公徳心」とが大前提だが、「此の二者は、個人主義萬能の支那には、不幸にして缺乏」している。だから「衆ありて、大を做す能はざる」のである。

数が多いだけ。しょせん「個人萬能、團體零能」のヤジウマ集団にすぎないわけだ。《QED》

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