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――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(32)徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

【知道中国 1807回】                      一八・十・念一

――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(32)

徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

じつは彼らは「平和的、否な寧ろ文弱的なると同時に、其の權利、及び利益の觀念に於て、甚だ強盛、濃厚」であり、彼らの振る舞いは「權利を以て經とし、利益を以て緯とす」るものであり、「是れ支那に於ける思想、及び生活の大綱」である。だからこそ「忠恕の道、禮讓の則」なんぞは単なる「假託」というものだ。

■「(五四)孔夫子は老荘商韓の下た働き役者のみ」

じつは「儒教は、寧ろ主義としてよりも、他の主義を實行する方便、調子、色彩として若干の効能あ」るだけ。そんな儒教が「支那に驩迎せらるゝ所以は、便宜的、妥協的、臨機應變的の作用を敎ふるが爲め」である。やはり「孔夫子こそ支那の一大痼疾たる、妥協宗の開山」なのだ。

孔子についてはともかくも、「後の孔子の敎を奉ずるもの」は「事大、向利、就易を以て中庸の本旨と心得るに到」ったようだ。そういう姿は「孔夫子其人の素志にはあらざる可きも、亦た以て儒敎の流弊と云はざるを得」ない。

「斯く觀察し來れば」、儒教は老荘、商鞅、韓非子らの「思想を圓滑に應用し、踐履する方便となり、手段とな」ってきただけというものだろう。

■「(五五)不得要領」

「世界に於ける妥協的二大人種は、英人と支那人」だが、「英人は、時としては主義の爲めに、一大革命を激起した事」がるが、「主義の爲の」革命なんぞは「支那に於ては殆んど之を見ず」。強いて革命をいうなら「最近に於ける第一革命」、つまり辛亥革命のみ。

その辛亥革命にしたところで、「今日の所、革命は殆ど無意義にして、空しく群雄割據の勢を馴致したるに過ぎ」ない。「其の病根は」「妥協症」にある。妥協に次ぐ妥協に、これといった成果が達成されるわけがない。

「妥協を以て終始せば、其の結局は、不得要領に了らざるを得」ない。「支那諸政治家の不得要領は(中略)其の政局をして、不得要領に陥らしむるに至りては、沙汰の限り也」。

■「(五六)受動的抵抗」

「支那の國民性中、見逃がる可からざる特色」は「文弱的、妥協的、權變的、功詐的」である点で、「最も弱點とする所は、受動的抵抗」である。「牛に角あり、虎に爪あり、蝮に毒り、蜂に劍あ」るように、「支那人に此の受動的抵抗あり」。

「日本人は火の如」くだから、猛々しいが長持ちしない。これに対し「支那人は水の如」く、ユックリと慌てず「混々として盡き」ない。だから「支那人は、事面倒になれば、兎も角も一應承服する」ものの、それは「只だ口先のみの承服にして、決して之を實行」することはない。「面従腹否とは、此の受動的抵抗を説明するに、最も精當なる言葉也」。

たとえば「日支交渉の上に於ては、我が要求を承認しつゝ、其の實行を沮害する也」。そこで「短慮性急なる、日本人に取りては、此の受動的抵抗程、癪に障るものはな」い。だが日本人がどんなに癪に障ったところで、「支那人の關する所」ではない。彼らは日本人が癪に障ることを狙っているわけだから、まことに以て始末に悪い。

■「(五七)體面的虛飾」

「一方に、受動的抵抗」があり、「他方には、體面的虛飾」がある。つまり彼らは断じて「一本調子」ではない。彼らを「慾得打算のみの實利的動物」と「單純視」してはいけない。「實利と、虛榮とは、彼等双肩の荷物」であり、「彼等の虛榮は、少なくとも實利と同等の、價値」を持つ。そのうえで「法律以上の法律」として彼らの振る舞いは「面子」に左右されるから、何とも扱い難い。煮ても焼いても食えないから、処置ナシだ。《QED》

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