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――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(9)徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

【知道中国 1784回】                       一八・九・初五

――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(9)

徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

 「此の御馳走と、此の御世辭とに取り捲れて、尚ほ懷柔せられざる者あらば、そは所謂る強者の一人なる可し」と綴るが、「北京より余等の爲に、支那人の公用車――吾人の特別車――一輛に案内者一名、給仕兼料理番一名を附し來りたるは、予等の此行に、多大の便宜を與へられたるものとして」、北京政府に感謝を記しているところをみると、徳富もまた「懷柔せられざる者」「所謂強者の一人」にはなれなかったらしい。

 徳富は、時に北京政府が仕掛ける“おもてなし”を満喫しながら、北京郊外の名勝旧跡から居庸関、八達嶺を経て張家口へ。「張家口に達すれば、日支兩國の諸君若干來迎し、直ちに三井洋行に拉し去られる」。

 同地は「蒙古に接する咽吭にして、所謂る邊關重鎭也。浦港の開くる以前は、露商此處に來たりて貿易に從事せり」。ところが「今や米國の蒙古貿易に着眼する者」が集まり、郊外の万里の長城の「大壤壁に、英米煙草トラストの大廣告」を見ることができるほどだ。

 さらに大同の石仏群の眺め、湯山温泉に浸かる。

「前日來の雨にて、山徑」はそれ程にあらざるも、村落の間にある、僅か數町の道路は、深泥に混ずるに、人糞、牛糞、豚糞を以てし、而して雨溜に和するに、人尿を以てし、殆んど眼を開いては、脚を著け難き状態にてありき」。かくして「世界一の尿屎不始末國」の姿を綴った。

「支那人は多くの點に於て、最も開化せる人種の一なるも、尿屎の始末の惡きは、恐らく世界第一ならむ。如何なる大家廣厦も、其の壁隅の一角は、概して屎尿堆を做しつゝあり。如何なる道路も、小心翼々たらざれば、乍ち屎尿を踏むの慮あり。(某日、役所で便所を問うと)侍者は予等を誘うて、廳側の後庭に赴けり。乃ち勝手に放尿でよとの事也。予等は少なからず恐縮せり。甚だ汚き沙汰なれども、話の序に記し置く也。讀者鼻を掩うて可也」。

 再び北京に戻った後、京漢鉄道で南下して漢口へ。「漢口に於ける最重最要に地點たらむ」ところの日本租界を歩き、その「前途、頗る多望と云ふ可き」を感じた。漢口では湖北督軍兼省長の王占元から午餐に招待されている。「面目黎�容顔快活の偉丈夫にして、質朴なる武人氣質を示し、人に對して極めて良好の印象」を受けたと記す。

 黄鶴楼に遊び、漢口駐屯日本軍兵営を訪れる。

 当時も日本軍の漢口駐屯兵力は「六七百」。この程度の兵力では有事の際には役に立たないうえに、他国から「痛くもなき腹を探られ、歐米人に排日鼓吹の口實」を与えてしまうから「愚の骨頂也と云ふ者」もあった。だが、と徳富は主張する。

 「(日本軍によって)長江の平和の維持せらるゝは、單り在留本邦人之を認むるのみならず、外國人皆な然り。否な支那人と雖も、亦た然り。現に一たび事變の徴候ある毎に、軍隊附近の陋屋に、支那人の密集し來るは、其の保護に浴せんとするに他ならず。精神的に、物質的に、其の効力の多大、疑を容れずと云ふ者ありき」。

 徳富が記すように、確かに「其の保護に浴せんと」して、「軍隊附近の陋屋に、支那人の密集し來る」だろう。だが、ここで「其の保護に浴せんと」する彼らが、時と場合によっては容易に抗日行動に転ずることを考慮しておくべきだ。時に「長江の平和を維持」し、時に「其の保護に浴せんと」するからこそ、彼らは駐屯日本軍を認める。だが、だからといって彼らが日本軍の駐屯を全面的に歓迎しているわけではない。日本軍が彼らにとって不利益・不都合な事態を引き起こすようなことあったなら、直ちに「排日鼓吹の口實」とするはずだ。その時、彼らを「忘恩の徒」と難じても、余り生産的とも思えない。《QED》

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