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――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(7)徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

【知道中国 1782回】                       一八・九・初一

――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(7)

徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正七年)

次が馮国璋である。「質素なる一小室」に入ると、「一見六十恰當の、好々爺の如き者立つあり」。それが馮だった。「總統は能く談じ、能く聽く、所謂る老練、熟達の人なる可し。兎も角も現在に於ては最も安全なる一人として、支那の政治界に調法がらるゝならむ」。

ここで徳富は「少なくとも、今後の北方に於ける問題は、馮と段との離合如何に決せらる」とした後、「武人出身にして、且つ何れも袁世凱の門下生」である馮と段とを比較して、「馮は調和性に饒む、其弊や優柔不斷也」。これに対し段は「勇壮」だが「多く敵を作る」。馮は「兵權を有して、學識を有せざる馮道」のような人物で、その振る舞いは「アスキスの『姑く待て』主義」。対するに段は「王安石より學問と、經綸とを控除して、更に若干の武事的修練を加味した」といったところで、「ロイド・ジッジの『直ちに行へ』主義也」。現状は両者は「同舟遭風の境遇中にあ」るところから、「兩人契合」している。

この徳富の観察に従うなら、馮総統・段総理のコンビは互いに凭れ合いながら現在の地位に在るだけであり、指導力のも調整力の期待できず将来に対する構想も持っているわけでもなさそうだから、早晩、政治の表舞台から消える運命にあるということだろう。

「支那に於ける、唯一の新聞記者」である梁啓超は、「今や大蔵大臣の劇職にあ」り。旧知の間柄の梁は「足下の文、一として通覽せざるなし」と言った後、「何ぞ新感想はなき乎」と。そこで敢えて言わせてもらうなら、「貴國には米屋、薪屋、酒屋、餅屋と同様に、錢屋ありて、錢も貨物同樣、一種の商品として取扱ふ。此丈が新來の旅客には、閉口也」と答えている。

次いで「四十年輩の男にして、善く日本語を操」り、「段内閣の花形役者にして、即今日の日の出の勢いあ」る曹汝霖である。「對外、特に對日本の交渉抔には、毎に其衝に當りつゝあ」る。早稲田在学中は熱心な読者であったことを知り、徳富は「支那の新知識諸君に、貢献したる所ありとは」と満更でもなさそうだ。

「進歩黨の代表者」であり現内閣にあって「黨人としては、重きを做」す湯化龍は「文治が武斷の桎梏を脱する迄は、内務行政の擧ることは、到底駄目なり」と嘆息気味に語っている。「日本語に嫻はざるも、讀むには差支なし」である湯もまた、徳富の熱心な読者であると口にした。

翌日、招かれた梁啓超邸での午餐会でのことである。徳富の前に進みでて両手を合わせる彼ら独特の挨拶をした官人が、「御身は日本の梁啓超にして、梁氏は支那の徳富蘇峰なりとは、我等同人間の評判」だが、「御身の初見奈何と」。そこで徳富は「未だ其の当否を知らず、但だ日本の梁啓超は、不幸にして未だ此の如き、佳邸宅に住するを得ざるのみ」と応えている。

梁啓超、曹汝霖、湯化龍、それに午餐会での官人の賛辞は、徳富は彼ら一流の口から出任せの「拍馬屁(おべんちゃら)」と受け取ったのか。はたまた満更でもなく心地よく感じたのか。どう考えても前者と思うのだが。

徳富は北京滞在を切り上げるに当たり「古今一切の征服者が、却て事實に於て、征服せられたる」「支那の魔力」について綴る。

「支那人の辭令は、人を魅うるに餘あり、支那の料理は、人を?かしむるに足る。予或る支那人に向て、餘事は兎も角、口に關しては、貴國は世界第一ならんと云へり。蓋し辭令の妙と料理の精とを意味する也。此の御馳走と、此の御世辭とに取り捲れて、尚ほ懷柔せられざる者あらば、そは所謂る強者の一人なる可し」と。さて徳富は自らを「所謂る強者の一人」と認めたのだろうか。「此の御馳走と、此の御世辭」は彼らの武器なのだ。《QED》

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