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――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(35)内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

【知道中国 1734回】                       一八・五・念一

――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(35)

内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

財政的にも国家の態をなしていない以上、袁世凱に由る中華民国の「威力統一ということは、ほとんど今日において見込みがない」。真に統一を望むなら、「支那の人民が覚醒して、その国をどうか一国として成り立たせたい、外国の分割を免れようというところに愛国の熱情が生じて、それを基礎に統一するものと期待せねばならぬ」。この場合の統一は「各地方の利害と衝突しない」。そこで地方財政を地方に任せ、地方の習慣を重んじ、「中央に対する敵意を全く水に流して、各々その地方の行政、財政の基礎を立てる、これが将来の支那が執るべき政策の第一義であると思う」と、内藤は連邦制度を構想する。

財政的にも、国民の資質の面からも、軍事力の面からも劣悪であるにも関わらず、「決してその独立を全く危うくするようなことに至らない」最大の要因は、「列国の均勢の御蔭である」。実態的には「日本とかロシアとかが、断固としてこれを滅ぼす決心であれば、とても防禦の出来るものではない」。だから「列国の均勢」を“好機”と捉え兵力を大幅に削減して「郷村の自治団体に、地方の警備を任じても決して危険なことがない」。

「元来が政府を信用しない支那の社会組織は、比較的自治団体が発達しておることが、一つの長所である」。そんな自治団体として内藤が例示するのが、「山東、山西、江西、安徽、福建、広東の各省」において力を持つ同姓組織の「宗族」であり、「江蘇、浙江などのような商工業の発達した地方」にみられる同業組内である。これら自治組織に「自治的行政および財政」の権限を認め、「各省の独立財政を認め」れば、「小さい中央政府を維持し、成るべく外国の借款に依らずに財政の基礎を立てる」ことができる。

だが「土地の肥沃な、天産物の多い」省もあれば、そうではない貧しい「独力では財政の維持できぬ」省もある。そこで、あくまでも「支那の統一を維持しようというからには」、「今日の支那の人民の愛国心がいかなる程度であるにしても、結局その低い愛国心に訴え」てでも、「豊富なる他省から補助しなければならぬ」ことになる。

中華民国が掲げる「立憲政治の基礎は、支那のごとくまだ工業の発達しない国においては、農民に置くより外に途がない」。やはり「財政の最大なる基礎は農民に求めなければならぬ」。じつは「支那の農民が中央政府に対してもっておる負担は、決して重くはない」のだが、「ただ政治の組織が悪いから、所謂官吏の中飽の額が大きいので、結局は相当の負担をしておることになる」。古来改められることのない「かくのごとき弊政」を一気に改革しないかぎり、「支那の革命は、実は何の意味も無くなるのである」。

従来から続く「支那の民政の大なる弊害は、天子の命官と政務とは、その間に懸け離れた境目があって、その境目におるものが政務を壟断しておる」ことだ。「その境目におる」ところの官吏(中央派遣官吏と地方の胥吏)は「単に政府の収入並びに自己の収入を図る職業であり」ながら、実態的には朝廷(政府)と人民の「両方の死命を握っておる」。「このごとき組織ではとうてい立憲政治の基礎が成り立たぬ」わけだから、立憲政治を推し進めるためには「支那の各省は各々独立して善き政治を行う」一方で、「数百年来の(中略)弊政を改革」しなければならない。いわば革命の勢いを駆って従来からの統治組織を改革すれば、「人民の負担も減じ、各省で各々財政を維持しても、格別苦しまなくなるかの知れぬと思う」。

どうやら内藤は中央政府を大きな政府から小さな政府へ、地方政府を中央依存から独立・並立へ、官吏を中飽(税の中抜き)を専らとするような私のために働く“私僕”から文字通り公僕へと革命することで悲惨な国家財政が改まり、立憲政治が動き出すと考えた。つまり独立した各省の集合体としての連邦制の中華民国を構想したということか。《QED》

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