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――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(29)内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

【知道中国 1728回】                       一八・五・初九

――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(29)

内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

満洲の実情を弁えない一知半解で頭でっかちの「書生輩」が権力に任せて政治を行なえば、摩擦は必ず起きる。やはり驕りに導かれた強権が反発を招くことは必至だ。

内藤の主張に従うなら、どうやら当時の日本は小さくは満洲政策、大きく言うなら対中政策を策定する際に、中国における南方と北方、南方人と北方人、さらには満洲における満人と在満漢人の違いを考慮することなく、彼らを一緒くたに扱ってしまったのではなかろうか。

じつは「今日でも一般の人民は日本の勢力というものを認め」、さらに「満洲におい馬賊などから成り上って、日清日露の戦争以来の実際のことを知っておる軍隊の頭目など」も、「何事があっても日本に頼らなければ危いということを深く呑み込んでおる」。ところが、そういった実情を知らない南方出身官吏――彼らを送り込んだのは日本だ――に邪魔され、「日本と満洲の関係が、段々気まずい傾きを来しておる」。かくして内藤は、「今日でもその歴史を知らない南方人の官吏さえ逐い退けてしまえば、満洲のことは、日本との間に何ら悪い関係がなしに、円満に行くべきはずである」と結論づけた。

満洲の歴史、満洲と日本の関係を知る在満漢人に満州を任せるべきだ。「もしも日露の勢力を引き去ってしまうと、満洲は依然として貧乏の土地に止まる」。だから財政的に考えるなら中華民国から満州を切り離すがいい。中華民国が「漢人の天下で漢人が支配するということになると、支那本部の財力でもって、支那を支配するということを根本の主義として立てて行かなければならぬ」。かくして新しい国家は「支那の根本財政に害こそあるけれども、利益にはならぬというような土地をば切り離してしまう方が、財政の理想上から云うと至当のことである」と主張した。財政上も中華民国は満洲を切り離すべし、である。

さらに内藤は筆を進めるが、かりに「支那人がそこらじゅうの異種族の土地を侵害するということは、一方から云えば漢民族の発展」と見做すことができるが、これを異種族の立場から考えるなら「支那の人民」の「侵略的精神」というべきものだろう。だから「今日において国力すなわち兵力とか財政力」からして「維持できない土地は、政治上からこれを切り離してしまって、単に将来の経済上の発展を図る方」が得策である。

かくして内藤は、「五族共和というような、空想的議論」を排し、中華民国は実力に見合う形で「むしろその領土を一時失っても、内部の統一を図るべきである」。「今日支那の領土問題を論ずるにおいて、(中略)種族問題と、政治上の実力とが最も注意して考えられなければならぬところである」とする。

歴史的経緯と現状を弁えず、メンツと理想にこだわる余りに「五族共和というような、空想的議論」を掲げ推し進めることは政治的には愚策というべきだ。内政にせよ国際関係にせよ、高邁な理想を掲げはするが、軍事的にも財政的にも、また民力のうえからも費用対効果を考え判断するのが政治の要諦だろう。だからこそ日露戦争から中華民国初期の満洲を考えた時、内藤の考えは傾聴に値する。そこで問題となるのは内藤の主張が、実際に満洲に関心を懐いた日本朝野を動かしたか否かである。

内藤の主張を敷衍するなら、日本は中国における南北――ということは、中部・西部・東部に加え、東西南北の辺境部の違いからくる文化(つまりは《生き方》《生きる姿》《生きる形》)の違いに思いを致すことはなかったという決定的な間違いを犯してしまったということになろうか。やはり中国と中国人を文化的に一律と見做してきたことが、日本にとっての大きな蹉跌だったようだようにも思える。

どうやら日本の中国理解は、根本から見直さざるを得ないことになろうか。《QED》

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