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――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(19)内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

【知道中国 1718回】                       一八・四・仲七

――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(19)

内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

辛亥革命から3年ほどが過ぎた大正3(1914年)7月に上海、南京、大連、旅順、奉天から朝鮮を旅行した広島高等師範学校生徒は、辛亥革命を「其名目は如何にも花々しく支那民族覺醒の聲を聞くようであるが(中略)丸で是れ利慾の輩の暴動である、銃劍や衆力を以て強奪を試みようといふのが彼の革命の動機の一半であるらしい」と捉え、袁世凱打倒を掲げた第2革命が失敗した原因を「砲の響の威嚇よりも財布のチャランチャランの魅力」が袁世凱軍に「比して(反袁世凱勢力が)遥に劣つて居たからだ」と断じている。

 この考えが正しかったのかどうかは別にして、おそらく当時、中国の大変動をこう受けとる日本人がいただろうことを承知しておいた上で、“支那学の泰斗”で知られた内藤湖南に戻り、『支那論』の本論を読み進もうと思う。

 冒頭の「自序」で「この書は支那人に代って支那のために考えた」「自分は全く支那人に代って、支那のために考えて、この書を書いたのである」と綴っているところからして、常識的に考えれば「支那のため」に本書が執筆されたことになる。

この点を指して「人はここに植民地経営にあたる本国知識人による対植民地の認識視点に類似するものを容易に見出すであろう」し、「湖南が中国人以上に中国数千年の歴史を観望し、(中略)現在の中国を分析し、判断しうるような視点の持ち主であること」を語り、「(中国に対する)認識論的な支配の欲求と、それを可能にする学への自負がある」(子安宣邦)と批判的に見る一方、「ひたすら中国社会の安定を望み」、「新生中国の自立的発展を願う」湖南の「民族を超えた文化史観」(谷川道雄)の発露だと肯定的に捉える声もある。いわば内藤は“上から目線”で本書を記したのか。それとも文字通り心底から「支那のため」を思ったからなのか――どちらが正しいのか。目下のところは不明としておきたい。

さて「自敘」に拠れば、内藤は大正2年11月初めに思い立ち、11月から12月末までの2か月間に都合5回の口実筆記をしている。「変化の急激な支那の時局は」「目まぐるしいほど変転し」ているため、「すべて議論が時局に後れるようになっておることは免れないであろう」。だが敢えて「改めるほどのこともないと思うから、やはりそのまま世に問うこととした」と断わった後、『支那論』で展開した議論には「積極的施設に関する考えが甚だ乏し」く、同時に「支那人に代って支那人のために考えた」ために、「外国の側から、例えば我が日本のごとく、支那の事勢によっては、多くの利害を感ずべき国から看た議論が欠けておる」と、「支那人に代って支那人のために考えた」議論であることを強調している。

 最近の財政に関する情報などが手元に「ほとんど全くない」ので、「状況から判断される限りの空論に留まることとなった」。だが「目下最も大切なること」は、「支那のごとく絶大な惰力によって潜運默移しておる国情、人為による矯正の効力を超越しておる国情が、自然に落ち着くべき前途は、確かに積極的施設の基礎となすべきもので、この惰力の方向を知ること」である、とする。

 明末以来に発表された多くの経世論を振り返るに、「支那の宿弊を論じたところは、尤も痛切ではあるが、(中略)外制模倣を主張したところは、徹底しておらぬ恨みがある」。それというのも「支那の識者の智識」が「外制」、つまり欧米先進諸国を機能させている制度の「根源由来を明らめ知るまでに至らぬ」からだ。「外制」を成り立たせ支えている歴史や文化に考えを及ぼすことなく形だけを取り入れようとするから、齟齬が起きることになる。

 かくして清末に繰り返された改革が失敗に終わった背景を「強兵といえば、新式軍隊の増加と解釈し、富国といえば、商工業の発達とのみ思い、政治の改革といえば、憲法とか国会ということを考えるだけで、外国文明の意義を知らぬ」点に求めるのである。《QED》

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