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――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(18)内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

【知道中国 1711回】                       一八・三・卅

――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(18)

内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

 これまでは袁世凱陣営、つまり「北方が成功したと仮定」しての議論だが、かりに南方の革命党(=反袁世凱勢力)が勝利したとしても、「とにかく新しい国家を組織して、それを成り立てて維持して行くというには、第一にはそれを遂行するだけの人物を要するわけである」。じつは革命党陣営にも「色々な人物がおるのであるが、日本(維新政府)のごとく支那の国を負担して、そうして大改革を遂行すべき人物」は見当たりそうにない。そのことが、じつは革命党の最大の欠陥だと指摘する。

 ここで内藤は議論を外圧に転じた。

 清末以降、辛亥革命から第二革命期まで外圧は一層激しくなっているから、外圧によって局面が転換する可能性は高い。そうなった場合、「支那の前途というものは、いよいよ以て危険を感ずるわけである」。にもかかわらず「革命党の立て者になっておる人間」にも多くは期待できそうにない。であればこそ、「いよいよ以て危険」となる。

 袁世凱陣営にせよ革命党にせよ外圧に対処できるほどの人物が見当たらないうえに、双方に外交交渉を担いうる人材がいそうにない。「袁世凱の現在の政府でも常にこの外交に対して清朝の末路よりかも遥かに軟弱に傾いておる。蒙古の問題についてロシアに譲るとか、また西蔵問題についてもイギリスに譲らなければならぬようになるとか」を考えると、ますます軟弱に傾くと予想せざるを得ない。

 これを日本に置き換えると満州問題の取り扱い、ということになる。「日本の対支那行動について何か容易ならぬ野心があるような議論を出す者がある」が、「これについては日本の立場として日本の態度、意見を表明しなければならず、支那としても対日の態度という者を自覚しなければならぬ」。「日本は自分の利益上やむを得ず支那を保全しなければならぬというものではない」。やはり日本、ロシア、イギリスの3国は「自分のやむを得ざる立場というものでなくして、つまり自分の権利としてこれ(保全論)を発言することが出来るのである」。「色々な関係から自分の権利として支那の保全を主張しておる」ことを諸外国のみならず、「また支那人にもその意味を呑み込ませ、日本人も自らその意味を明確に自覚する必要がある」。

 かくして内藤は「今後ともしばしば局面の転換を経て、その度ごとに何らかの損害をその交際しておる国が蒙るということがあっては、その自分の立場というものを十分に自覚する必要が確かにあるのであって、殊に外交の局に当る者などは、その意味で支那に臨まないと大なる謬見に陥り、また大なる自分の不利益をも来すのであると思う」と結ぶ。

 変革期や混乱期のみならず安定期であればなおさらのこと、どのような姿勢で隣国に向い合い、どのようにして自国の国益を最大限に確保するのか。

 内藤の指摘は正鵠を得ていると思う。彼の主張がそのような形で国政に反映され、輿論を裨益し、国論を動かすことはあったのか。それを明らかにするには詳細な検証が必要だが、改めて「今の日本政府には、こういう考えのありそうにも思われない。それで日本では、朝野ともに支那の政争を野次馬的に眺めて、わいわいと騒ぎまわるものの、自分の国でも、そのために政府と民間と互いに理窟を言い合うて、自分の国で大いになすべきことのあることを遺却しておるかと思う」(「支那現勢論」)の一節が気になる。どうやら当時も「こういう考え」、つまり大局観はみられなかったということだろう。

 次に『支那論』の本論に移りたいが、小休止して内藤が深刻な議論を展開していた頃に現地を歩いた人々の旅行記を読んでおきたい。それというのも彼らと内藤の考えの違いに、以後の日本が辿る対中政策の紆余曲折の萌芽が見つかるかもしれないからである。《QED》

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