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――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(10)内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

【知道中国 1703回】                       一八・三・仲四

――「支那人に代わって支那のために考えた・・・」――内藤(10)

内藤湖南『支那論』(文藝春秋 2013年)

まさか、とは思う。だが相手が相手であるだけに、なにを言い出すかわからない。それ相応の覚悟はしておくべきだろうし、もちろん対応策も。

たとえば沖縄である。

最近になって、中国から「古くから我が領土だった」との声が聞かれるようになったことから、共産党政権のデタラメぶりを強く非難する向きも見られる。だが、満州事変勃発直前の1931(昭和6)年春に北京(当時は北平)に赴いた英文学者・市川三喜は、「北平で新教育によって名高い孔徳学校を参観」し、「日本に対しては国恥地図が小学四年の室にかけてある」のを見て、「阿片戦争やなんかはおかまい無しの、日本を目標としたものだ。よき支那人を作る為には、其自尊心養成に必要なら、国恥地図も是非無いとしても、そんなら各国からうけた恥を大小の順に並べるがいい。さしあたって突かかる目標なる日本に対しての反感を養うべく琉球までを、奪われた、此恨不倶戴天なんて焚きつける事は、教育をして人間を作る機関から切り離し、国家の道具製造場と化す苦々しい態度だと思う」(「紫禁城と天壇」)と記している。

市川に依るなら、満州事変勃発の半年ほど前、すでに「よき支那人を作る為」に「さしあたって突かかる目標なる日本に対しての反感を養うべく琉球までを、奪われた、此恨不倶戴天なんて焚きつけ」ていたことになる。つまり「琉球までを、奪われた、此恨不倶戴天」という考えは共産党政権だからではなく、共産党政権誕生以前に「よき支那人を作る為」に子どもたちの柔らかい頭脳に叩き込まれていたことになる。当時すでに「琉球までを、奪われた」と思い込むのが「よき支那人」だったわけだ。

市川にしてみれば、当時の中国人にとっての教育は「人間を作る機関」ではなく、「国家の道具製造場」でしかなかったということ。つまり当時すでに中国人が「琉球までを、奪われた、此恨不倶戴天」と言い募っていたことから敷衍するなら、共産党政権による教育の「国家の道具製造場」化が大々成功裏に行われているということだろう。

ここで、章炳麟に象徴される歴史、いいかえるなら正統中華王朝の根拠とする『史記』から『明史』に及ぶ歴代王朝の歩みを綴った24種の「正史」(別名を「二十四史」)と称する歴史書の記述を根拠とするに彼ら独自の奇妙な領土観――有態に表現するなら「ずっと昔からわれらのもの」――を考えてみたい。

この「ずっと昔から・・・」という考えに従うなら、チベットも、ウイグルも、モンゴルも、シベリヤも、日本海も東シナ海も、ましてや南シナ海も、自動的に「ずっと昔から中国のもの」となってしまう。だが、その「ずっと昔」が曖昧過ぎるというもの。こういえば、章炳麟流には「いや、我が『漢書』『後漢書』という明白な証拠があるではないか」という答えが返ってくるだろうが、そもそも『漢書』『後漢書』が怪しい。それは近代的な意味における国家の歴史を記したものではない。王朝の正統性を僭称するためのカラクリではないか。ましてや、それを領土主張の根拠に持ち出されたらたまらない。

彼らの意識の根底を推測してみるなら、彼らの「ずっと昔」は太古の尭舜の時代にまで遡りかねない。それぞれの地域が中国の版図に組み込まれた根本的・決定的記録として、『史記』やら『水経注』など数多ある古代の史書・地理書を持ち出すことだって考えておく必要があろう。これは荒唐無稽な妄想の類ではない。『史記』などの古代文献に記された地名、国名、島嶼名を無限に拡大解釈されたら、最悪の場合には地球全体とはいわないまでも、少なくとも東アジア地域や海域が歴史的に「中国の神聖な領土」とされかない。なぜなら、『史記』や『水経注』などより古い文字史料を我々は持ち合わせていないからだ。《QED》

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