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――「實に亡國に生まれたものは何んでも不幸である」――釋(5)釋宗演『燕雲楚水 楞伽道人手記』(東慶寺 大正七年)

【知道中国 1773回】                       一八・八・十

――「實に亡國に生まれたものは何んでも不幸である」――釋(5)

釋宗演『燕雲楚水 楞伽道人手記』(東慶寺 大正七年)

 「民國の御大將馮國璋」と釋宗演の話は1時間ほど。「一國の大總統丈に宗敎方面にも多少考へを持つて居られた事を喜び且つ感謝するものである」などと記すが、2人の会話を読む限り、釋宗演が“受け太刀”であったように思える。

 いったい当時の日本人の通例で、釋宗演もまた自らが学んだ漢学知識によって描き出した支那像に基づいて判断を下す。だが、それは飽くまでもバーチャルなものであり、バーチャルであればこそ自らが現地で見聞きする現実とは違って当たり前だろう。だからこそ自らが抱くバーチャルな支那像を現実に沿って修正すべきはずを、敢えてそうはしない。なぜだろうか。とどのつまりはバーチャルを実相と思い込み、現実を間違いと見做すがままに判断を下してしまうからこそ、いよいよ現実とはかけ離れてしまう。だが、それは飽くまでも日本人が描いたバーチャルなイメージに過ぎないのである。釋宗演が思い描いてきた国教、儒教、仏教と相手のそれが違っていて当り前であることを自覚しないゆえに、行き違いが起り、誤解が生じ、時に不必要な対立が生まれてしまうのではないか。

 次いで釋宗演は総理の段祺瑞と面談する。「氏は軍人上りだから宗敎には縁が遠いので」、「民國の御大將馮國璋」との話程には面白くはなかったそうだが、ここでも釋は「宗敎の必要を説いて孔子敎をして不文の國敎とすることを奨め」ている。だが「總理は孔道を宗敎として認めない」という立場に立ち、釋の提案に賛意を示すことはなかった。

 次いで「敎育總長の范源漉氏を尋ねた」が、ここでも釋は「例によつて國敎に就いて説」くのだが、范は「現に國敎を定むるの當否を論じて大問題となつてゐる」と語るに止めた。かくして当然ながら「談話は別に面白い事もなかつた」のである。

 当時の政府で親日派として知られ、後に1919年の五四運動の際、反日学生によって襲撃された交通総長の曹汝霖を訪ねている。ここでも釋は「例に依つて孔子敎と國敎との關係を説」いたものの、曹は「現今の状態では希望はあつても實行する程の餘裕がない」と応えている。釋がなぜ、ここまで他国の国教化にこだわるのかは不明だが、そこは日本ではないことにそろそろ気づいてもよさそうなものを。

 会話の中で曹は、「支那人は僧侶の肉食帶妻を非常に嫌つて、そんな破戒の僧侶は斷じて相手にしないと云つてゐた」。さらに「此の事は日本の僧侶に熟考して貰ひたい事柄で、實際肉食帶妻の僧は全然今の支那人を敎化することは出來ないだらう」と続けた。かりに釋が妻帯していたするするなら、強烈な皮肉としかいいようはない。

 当時、本願寺派などは布教に乗り出していたことから、日本布教権問題が懸案になっていた。この問題に対し曹汝霖は、「米國の宗敎家の如く眞面目でやれば好いが、既に過去に隨分面白くない事を散々にやつたから大いに困る」と述べた。この親日派の言を、釋はどう聞いたのか。それにしても「ワザト自己の寺を焼いて置いて、その原因を支那人にかこつけて賠償を澤山分取らうとした」り、「亞片やモルヒネを密賣した」り、「車夫を撲つた」りと、日本の坊さんも“大活躍”をしていたらしい。

それにしても「米國の宗敎家の如く眞面目でやれば好い」と言うが、その「眞面目」の内実が知りたいところである。

北京を離れ天津経由で大連へ。大連では満鉄で「『生と死』と云ふ題で一時間以上の講演」をしたり、落剝の身を寄せている肅親王に食事に招かれたり。大連を去るに当たり、「市の整然たる港や建築物或は道路殖林又は交通機關等種々萬端の設備、夫れから日本人の一大勢力や滿鐵萬能を今更の如く記述するも始まらない、別に珍しい事でもなく且又能く世人の知つてゐることであるから」と、敢えて言及を避けている。《QED》

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