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――「實に亡國に生まれたものは何んでも不幸である」――釋(4)釋宗演『燕雲楚水 楞伽道人手記』(東慶寺 大正七年)

【知道中国 1772回】                       一八・八・初八

――「實に亡國に生まれたものは何んでも不幸である」――釋(4)

釋宗演『燕雲楚水 楞伽道人手記』(東慶寺 大正七年)

 清朝崩壊前後のドサクサに紛れ、紫禁城内の多くの宝物は皇帝に仕える宦官によって秘かに持ち出され売り飛ばされ、カネに換えられていた。その場合、当然のように「雪舟の如く雄渾豪毅な筆」や「光琳の樣な堅實で構圖の優美な靈筆」から売り飛ばされたに違いないから、すでに逸品があろうはずもないわけだ。「予の鈍眼から見」ても「失望せざるを得ない」ような品々しかなかったとしても、それは当然のことだった。だから「失望せざるを得ない」のは、清朝崩壊という愁嘆場に在って最期の皇帝である宣統帝に殉ずる道を選ぶことなく、先を争って歴代皇帝秘蔵の財宝を売り飛ばし、小遣い稼ぎにセッセと励んでいた宦官のあさましい姿だろう。だが考えてみれば明日をも知れぬ皇帝に忠誠を誓ったところでロクなことはないわけだから、宦官の“窃盗行為”にも彼らなり事情があったと同情したくもなる。それにしてもアサマシイ限りではあるが。

 財政総長、外交総長の次に総統である「民國の御大將馮國璋」を表敬すべく向かった先は中南海だった。紫禁城の直ぐ西側に在って元は清朝皇帝の多くの別宅が置かれ、毛沢東を筆頭とする初期の共産党政権幹部が住んで以来、中南海は共産党中枢を形容することになるが、当時から政府首脳が住んでいたわけだ。ということは毛沢東は歴代権力者の伝統を引き継いだだけ、ということになりそうだ。住まいに関する限り、余り革命的でなはい。

「總統の態度は豫想と甚だしく違つてゐて、却々手答へ」があり、「可なり宗敎のことに注意を拂つて居」て、「流石に大頭の貫目が多少見えて嬉しく思つた」。

ここでも釋宗演は仏教の国教化に熱弁を振るうのだが、「宗敎の必要は感じてゐます、併し今急に國敎を定めると云ふ事は頗る困難であります」と軽く躱されてしまう。だが釋宗演はめげることなく、「孔子敎が一般に普及されて居る以上は之を發展せしめて事実上の國敎になさるのが適當かと存じます、そして孔子敎のなかにも佛敎が含まれて居ります、殊に佛敎と孔子敎とは或る點に於て全然一致して居ると私は信じます」と持論を述べる。

すると「民國の御大將馮國璋」は「イヤ」と先ず否定してから、「佛敎と孔子敎とは少しく異つてゐると私は思ひます。孔子敎は現在を説いてゐます、佛敎は虛無を根本として説いてゐます」と両者の違いを説く。次いで「孔子の敎は先ず人が多數寄集まると富と云ふものが出來てきます、次で其の人々を治める爲めに敎と云ふものが生じてくる、即ち人と富と敎の三者が鼎立して始めて成立するものであります、然るに佛敎は虛無と云ふ事から發して現在を説き未來を説いて居ります」と、儒教と仏教の違いを述べ反論してきた。

だが釋宗演はメゲない。「法華經の言の如く治生産業皆不與實相相違で俗界の仕事に働くと云う」のであって、仏教だからと言って虚無のみを説いているわけではなく、儒教と仏教とが「二つに離れるものではありません」。それのみか「孔子敎の五倫五常と云ふことは吾々佛敎の五戒十善の内容と全く同一のものでございます。(中略)儒佛の一致は枚擧に遑がありますん(「ありません」の誤植だろう)」と食い下がった。

これに対し「民國の御大將馮國璋」は「佛敎を排斥すると云ふ意思は毫もありません」と断わった後、「全く五倫が具はつて國家が治まるものであ」るから、儒教を「主敎にしたい」と応じた。次いで釋宗演が「君臣の敎」について問うと、「孔子は君を最高の者として居りますが、民國では此の君臣の間は政府と人民との關係」であり「政府が即ち君」である。だが「此の觀念が未だ一般人民に普及されて居ませんから從つて國家も充分に治まるとは思ひません」とした。

釋宗演は長時間、詳しく話が出来たことは「實に望外の欣びと嬉しさとを禁じ得られません」と話し、約1時間の対話は終わる。釋宗演の独り相撲ではなかったか。《QED》

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